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真田の抜穴-産湯稲荷神社-

真田の抜穴巡り、3か所目は産湯稲荷神社へと足を運んできました。






この神社境内の北側には「玉之井」と呼ばれる井戸があるのですが、この付近には昔人がたって歩けるほどの坑道があって、50余間、即ち90m程の奥行きがあったようです。
ただし、明治18年の洪水により坑道の中間部が崩落。残った入り口や坑道も戦後の土地開発の際に埋めてしまったとの事です。

この件に関しては大阪府史蹟名勝天然記念物 第5冊(昭和2-6出版)に記述が見られます。

近代デジタルライブラリー 大阪府史蹟名勝天然記念物 第5冊
コマ番号140 251ページ目で原文を確認することが出来ます。

以下引用

産湯清水 東成区東小橋町

東小橋町産湯稲荷の社前にあり。傳へて大小橋命の産湯の水なりといひ、古来名泉として知らる。現今は二井に別ち堅牢なる瓦葺の屋根を設け入口に「玉之井」の額を掲ぐ。四週には石畳を敷き玉垣を設け側に一碑を立て正面に

大小橋産湯玉之井
 神祇道管領従二位卜部良連御染筆

裏面に

文化二乙丑十一月吉日

とあり。玉之井の南方は一帯の高地をなす。北面に眞田の抜穴と稱するものあり。全長五十餘間ありしが、明治十八年の洪水に中間陥没して今全通せず。入口も扉を設けて堅く閉せり。此邊は往昔大小橋命の館舎の地なりと稱せられ、比賣古曾神社も亦此高地に鎮座せるを鶴橋町字東小橋に移ししものなりと。地は今僅かに産湯稲荷本社の敷地を除くの外全部一私人の有に歸せり。

現在ではこの全長90mもあったと伝えられる坑道の片鱗すら伺うことは出来ず、記録上でしかその存在を知ることは叶いません。
この近辺の上町台地で工事が行われた際に、ひょっとしたらこの謎の坑道の一部は見つかるかもしれないですね。

さて、現地の様子です。

鳥居をくぐって境内へ


境内に入ってすぐに地蔵堂が2つ並んでいました。
その手前に狐像が。


手水で清めます。
この神社の手水は風情がありました。


ひとまず社殿で手を合わせます。


そして目的地である玉之井へ。


大阪府史蹟名勝天然記念物にて記載があったように、井戸は2つに分かれているようです。
ただ近年、水位も下がってきたようで平成8年に組み上げ式とされたとか。
また、水質も悪くなってきたので、現在は飲用に適さないのだとか。残念なことです。
 

由緒が書かれいているようですが、かすれており読めません;;


井戸の屋根に神棚がありました。
あまりこういう場所では見かけないような?


これまた、「大阪府史蹟名勝天然記念物」に記述のあった「大小橋産湯玉之井」の石碑。

この井戸をはじめとした周囲一帯に関する記述は「摂津名所図会 三」にも見ることが出来、「産湯清水」、「味原池」などの項目の部分がこれにあたります。
また、その「法蔵山」の項目には、

産湯の清水の丘をいふ。孝徳天皇多くの僧尼を聚めて経を読ましめたまふ旧蹟によってこの名あり。
ここは初め比売古曾社の旧地なり。この丘に狐穴多くあり。土人俗に狐谷ともいふ。

との記述が見えます。
はたしてこちらにあったとされる洞穴は、いったい何の穴であったのでしょう?


産湯稲荷神社
場所:大阪府大阪市天王寺区小橋町3−1

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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