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日本書紀 巻14、雄略天皇記に以下の話が記されています。

 秋七月壬辰朔 河内國言 飛鳥戸郡人田邊史伯孫女者 古市郡人書首加龍之妻也 伯孫聞女産兒 往賀聟家 而月夜還 於蓬蔂丘譽田陵下 【蓬蔂 此云伊致寐姑】 逢騎赤駿者 其馬時略 而龍翥 欻聳擢 而鴻驚 異體生 殊相逸發 伯孫就視而心欲之 乃鞭所乘驄馬 齊頭並轡 爾乃 赤駿超攄絶於埃塵 驅騖迅於滅沒 於是 馬後而怠足 不可復追 其乘駿者 知伯孫所欲 仍停換馬 相辭取別 伯孫得駿甚歡 驟而入廐 解鞍秣馬眠之 其明旦 赤駿變爲土馬 伯孫心異之 還覓譽田陵 乃見驄馬 在於土馬之間 取代而置所換土馬也





ざっくり現代語に直してみるとこのような感じでしょうか。

 秋7月のこと、河内国が言うのには、
飛鳥戸(あすかべ)郡に田辺史伯孫(たなべのふひと はくそん)という人物がいました。彼の娘は古市郡の書首加竜(ふみのおびと かりょう)に嫁いでいましたが、男児を出産したというので、そのお祝いに婿の家へ行った帰りのことです。
 月夜の晩で、ちょうど蓬蔂丘譽田陵下(応神天皇陵)のそばまで来たとき、伯孫は赤馬に乗っている人物に出遭いました。その馬は普通の馬とは異なり、時に竜のようにうねったり、突然跳ね上がったりして驚ろかされます。その異形の姿は抜きん出ていました。
 伯孫はその馬が欲しくなり、自分の葦毛の馬で轡を並べましたが、赤馬はたちまち走り去ってしまいます。伯孫の馬ではとても追いつくことはできませんでした。
 その赤馬に乗った人物は伯孫の願いを知ると、馬を止めて交換し、挨拶して別れました。伯孫は赤馬を得てたいそう喜び、急ぎ家に帰ると馬屋に入れて鞍をはずし寝てしまいました。翌朝起きてみると、赤馬は埴輪の馬に変わっていました。不思議に思い、伯孫が天皇陵まで戻ってみると、彼の葦毛の馬が埴輪の馬の間に立っていたのでした。伯孫は埴輪の馬と取り替えて自分の馬を連れ帰りました
という。

うろ覚えですが、中国の民話でこのような話の類話を読んだ覚えもあります。向こうには埴輪はありませんので、陶器の馬だったり人形だったりしたように思いますが。

さてこの話の語られる応神天皇陵、現在では正式には誉田御廟山古墳 (こんだごびょうやまこふん、誉田山古墳)と称される古墳は羽曳野市にあります。
天皇陵と治定されている古墳の中には、実際にはその天皇陵であるのか疑問がもたれている古墳もあるのですが、この誉田御廟山古墳(応神天皇陵)においては、隣接する誉田八幡宮社伝によれば欽明天皇(在位539年~571年)の命により、誉田八幡宮が応神天皇陵の前に社殿を建立したとされることから、相当古い時代から応神天皇の御廟であると認識されており、まず間違いはないでしょう。


この古墳の規模について、羽曳野市の公式サイトでは以下の数値を公表しています。

・墳丘長:約425メートル
・後円部直径:250メートル
・後円部高さ:35メートル
・前方部幅:300メートル
・前方部高さ:36メートル

ただし、どの部分を古墳の裾とするかには議論があり、これらの長さには諸説があるようです。
しかしながら全長約420メートルという墳丘長は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ大きさで、体積143万3960立方メートルは大仙陵古墳より大きく日本一ともいわれています。(異論もある)

上でも記しましたが、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)に隣接する形で誉田八幡宮が建立されています。
これは全国に広がる八幡信仰の中で八幡神と応神天皇とが同一視されているためです。
八幡神は武運の神、弓矢八幡として崇敬され、特に源氏の氏神として崇敬されていたのがよく知られています。
「平家物語」の名場面「扇の的」においても、那須与一が扇を狙って矢を放つ際に「南無八幡大菩薩」と唱えた、というのも有名ですね。

さてそのような前知識を抑えた所で現地の様子です。


誉田八幡宮正面にある鳥居

 
(左)鳥居手前にあった境内案内図
(右)誉田八幡宮東側の車道にあった案内板

応神天皇宗廟
安産霊跡
誉田八幡宮
御祭神 応神天皇
    仲哀天皇
    神功天皇
欽明天皇の勅願により社殿御造営
秋祭       九月十五日(応神天皇陵へ渡行)
夏祭(藤まつり) 五月八日
月並祭      一日 十五日
安産祈願 家内安全祈願
厄除祈願 交通安全祈願


境内入ってすぐに羽曳野市によって作られた案内板がありました。

河内ふるさとのみち
誉田八幡宮
 誉田別命(応神天皇)を祭神とし、永亨5年(1433)につくられた「誉田宗庿(廟)縁起」には、欽明天皇が命じて応神陵の前に営んだ社を、後冷泉天皇の頃(1045~65)になって、南へ1町(約109メートル)離れた現在の場所へ造り替えたことが伝えられている。
 鎌倉時代から室町時代にかけては、源氏の氏神である八幡宮を祀る社として、鎌倉の保護を受けて大いに興隆したが、戦国時代にはたびたび合戦場となって兵火にかかることもあった。その後、豊臣氏からの社領の寄進や江戸幕府の庇護のもとに、社殿の再建と整備が進められた。「河内名所図会」や天保9年(1838)の「河内国誉田八幡根本社内之図」を見ると、本社や摂社、神宮寺の塔頭など、多くの建物が並び、参詣の人々で賑わうようすがしのばれる。
 源頼朝の寄進と伝えられる神輿や、丸山古墳で出土した鞍金具などの国宝、重要文化財の「誉田宗庿縁起」や「神功皇后縁起」など、多数の貴重な文化財が社宝となっている。

記述のあった「河内名所図会」を見てみると、図入りで書かれており、その図には御陵頂上部にも社が描かれています。
現在では、私のような一般の人々は古墳内に立ち入ることは出来ませんし、古墳自体も樹木に覆われていますので現在どうなっているのかは窺い知ることが出来ませんが、現在でも社があるのかもしれませんね。




社殿


拝殿の向こうに本殿が見えます。


南大門
かつての神宮寺の名残はここしか残されていないとの事。
つまりはお寺の山門だったのですね。


「誉田林古戦場跡」と刻まれた碑


誉田林古戦場跡
 誉田八幡宮の付近は、南北朝から室町戦国の各時代を経て、江戸初期の元和年間にかけて戦略上の要地であったため再三古戦場の舞台となったところである。
 すなわち、南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟の軍と楠木正行の間で合戦が行われ、室町中期の享徳年間には畠山政長と義就の間で再三にわたり誉田合戦が行われた。すこし降って、永正元年(1504)には、前記の孫に当る畠山稙長(タネナガ)と義英との間で合戦のあとで和議となり誉田八幡宮「社前の盟約」が結ばれたのもこの境内であった。大阪夏の陣の折には、大阪方の武将 薄田隼人正もこの境内に大陣を置きこの地より出撃して道明寺近辺で、討死をとげたのである。


放出池

社殿北側から応神天皇陵へ向かうと、途中に幾つか摂末社も見受けられます。

木々に隠れるようにして当宗神社の社が。


当宗神社(まさむねじんじゃ) 式内社
 当宗神社の祭神は、現在素戔嗚命(すさのおのみこと)であるが、当初は中部朝鮮の楽浪郡から渡来した「当宗忌寸」祖神である山陽公を祭っていたようである。当宗忌寸の子孫には、宇多天皇の祖母が歴史上現れている。
 その旧地は、放生川(碓井川)と東高野街道(京街道)との交差点の北東に八平方メートルほど残存している。

山陽公とは、中国の後漢最後の皇帝である献帝が、建安25年(220年)、魏の曹丕に帝位を禅譲し後漢が滅亡した際、魏の文帝となった曹丕から封じられた称号です。
新撰姓氏録(814)は当宗忌寸(まさむねのいみき)氏について「当宗忌寸 出自後漢献帝四世孫山陽公之後也」と記していますので、祭神を山陽公としているのでしょう。

そして応神天皇陵へ向かって行くと、



応神天皇陵前に架けられている太鼓橋が見えてきます。
放生橋という名のようです。
通常は、ここまでしか近くによることは出来ません。


河内ふるさとのみち
放生橋(ほうじょうばし)
 鎌倉時代に造られたと伝えられる、放生川に架かる花崗岩製の反橋。長さ4m、幅3mの橋を、高さ3.5mの3本の橋脚で支えている。
 毎年9月15日の秋の大祭の夜には、神輿がこの橋を渡って応神天皇陵の濠のほとりまで運ばれ、祝詞の奏上や神楽の奉納などの神事が行われる。
 かつては陵の頂上まで渡御していたといい、誉田別命(応神天皇)を祭神とする誉田八幡宮と応神天皇陵古墳との、古くからの深いつながりがうかがわれる。


応神天皇陵は、出土した埴輪の種類が多いとされているようです。
円筒、キヌガサ、家、盾、甲、草摺、水鳥など。
また内濠から土師器と共に鯨、烏賊、蛸、鮫、海豚など。魚形土製品が10個出土しています。
そして円筒埴輪や円形埴輪、後円部側の外濠の外部で馬形埴輪なども出土しています。
伝説の元となったものかもしれませんね。

誉田八幡宮には出土品とされるものが収蔵されており、一部は拝観することが出来るようになっているようです。訪問時には事前の下調べが足りず、拝観できることを知らなかったので残念ながら未見なのですが。次の機会には是非拝観してきたいと考えています。


誉田八幡宮
場所:大阪府羽曳野市誉田3丁目2-8

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