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舎利吹観音-弥勒寺-

四条畷市に伝わる舎利吹観音のお話でも。






まずは四条畷市のHPにて紹介されている民話から。

舎利吹観音[しゃりふきかんのん]
 弥勒寺[みろくじ]には30センチ余りの観音さまがいらっしゃいます。他の観音さまと違うのは、お顔に点々と舎利[しゃり]が吹き出していることです。(舎利とはお釈迦さまの骨、転じて米つぶのこと)。この由来について弥勒寺には150字ほどの巻物が残されています。それによると…
 江戸時代の中ごろ、音羽という名の、それは美しい娘がおりました。村一番の器量よしと評判の高いこの娘を、両親は宝物のように大事に育てておりました。ところが不運にも、娘は流行り病の疱瘡にかかってしまい、美しい顔は見るも無残な傷跡におおわれてしまいました。
 悲嘆に暮れた娘と両親は弥勒寺の観音堂にお籠りして必死に祈願しました。そして満願の十日目の夜明け、夢うつつの両親の目に写ったのは、もとどおりの美しい顔にもどった娘の姿でした。
 親子はたいそう喜び、早速観音さまにお礼を申し上げようとお顔を見上げてびっくり仰天しました。観音さまのお顔には一夜にして舎利が吹き出していたのです。
 観音さまはわが身を持って親子の祈りに応えられたのでした。これを聞いた村人は、誰言うともなく「舎利吹観音」と呼ぶようになり、以来、慈悲深き観音菩薩として信仰を集めるようになったといいます。

疱瘡(ほうそう)、すなわち天然痘にまつわるお話ですね。
幕末に天然痘の予防接種 種痘が認知され、大阪では緒方洪庵が除痘館という種痘所を開き(1849)、その脅威を減じていくことが出来るようになりましたが、それ以前はかなり怖れられていた病気です。それゆえ様々な民話や伝承の元になっていたりします。
疫病神の一種として疱瘡神なんてのも生まれましたし、奈良の都を疱瘡の大流行が襲ったのは怨霊の仕業だとされ、大仏建立の原動力になったりもしました。
当然、疱瘡除けのまじない、習俗も数多く生み出されました。
怪談の定番、四谷怪談のお岩さんの顔が醜くなったのも、小さい頃に罹った疱瘡の為、とする話の物もあります。
この伝承も舞台は江戸中期、疱瘡に対する有効な手段の無かった頃のそういったお話の一つですね。

という訳で現地に向かったのですが・・・
本堂は閉めていらっしゃって残念ながら観音様を拝めず。

ただ寺門の所に


弥勒寺の 舎利吹観音 瘡いやす
延宝年間、十七歳の美女音羽は顔面の悪瘡が高じて、悲しみを救い給えと祈った。満願の暁の頃、尊像を仰げば、身に舎利を流し、一身をもって代わらせ給うたと云う。

舎利吹観音を拝観できなかったのは残念ですが、場所もわかったことですので、近くに寄ったときにでもまた足を運んでみることにします。


弥勒寺
場所:四條畷市南野3丁目

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プロフィール

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自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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