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鵺-鵺塚-

近衛天皇の仁平3年(1153)京の御所・紫辰殿に夜ごと「鵺(ぬえ)」という怪獣が現れ、帝を悩ませていました。侍臣の源三位頼政が矢で射落としたところ、この「鵺」は頭がサル、胴がタヌキ、四肢がトラ、尾がヘビの姿をしていました。
これを丸木船にのせて淀川に流したところ、当時湿地帯であったこの地に漂着しました。
祟(たた)りを恐れた村人たちは、土に埋めほこらを建てて「鵺塚」と呼び、ねんごろに祀ったと伝えられています。
現在の塚は、明治の初め大阪府が改修したもので、ほこらも昭和32年(1957)に地元の人々によって改修されました。
この「鵺」のデザインは大阪港の紋章として使用されています。

都島区役所前 鵺塚説明書きより
 
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鬼女-都島神社-

都島神社の社伝に拠れば、昔この付近(旧沢上江村)には榎木が繁茂、村人たちを悩ませる鬼女が住んでいた。この鬼女を北面の武士橘氏が退治して、榎並庄を開発したという。
橘氏の子孫は、友淵に住んだ友末氏、貝脇(元旭区清水町)に住んだ山口氏の2氏に分かれ、ともに土豪として地域の発展に大きく貢献したという。

miyakojima2.jpg

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このあたりは、かつて善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。
長徳年間(995~998)頼光は源氏の八幡大神を祀り、この地に産土(うぶすな)神社を創建しましたが、このとき頼光自らが、この樟(くす)を植えたといわれています。
駒つなぎの呼び名は、頼光四天王の1人で、この荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、この神社に詣でるとき、いつも馬をこの樟につないだためであると伝えられています。
樹齢900年と推定される樟は、昭和のはじめに大阪府の天然記念物1号に指定されましたが、残念なことに戦災にあい現在は枯死状態となっています。
都島区役所前 渡辺綱・駒つなぎの樟説明書き

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プロフィール

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黒猫
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男性
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自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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