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牛痘児・疱瘡神-除痘館跡-

前のエントリーで疱瘡に関する民話に触れましたので、それに対するお話でも。






こちらは大阪市中央区にある除痘館跡に建てられた、緒方ビルの玄関に掲示されている除痘館種痘錦絵(1850(嘉永3)年)。
白牛に跨がった牛痘児が疱瘡神を追い払っている絵が描かれています。
ちなみに、当時はVaccine(ワクチン)をはくしんと読んだことにより、白神という字が当てられていたりします。(福井県に除痘館を作った笠原良策の記した白神記とか)
よってこの白牛も白神を表していると考えるのが妥当でしょう。

さて、そもそも除痘館とはどういうものか、という所から少し説明した方が良いでしょうか?
除痘館とは、古くから日本はおろか世界中で恐れられていた天然痘の予防接種である種痘を行う場として、緒方洪庵が嘉永2年(1849)に大阪のこの場所に建てた医療施設です。

緒方洪庵 大阪市中央区 適塾脇

天然痘は日本でも古くから知られた病気で、疱瘡(ほうそう)という名で良く知られていました。
高い感染力、致死率もさることながら、感染時には全身に膿疱(のうほう)が生じ、仮に治癒しても瘢痕(はんこん:一般的にあばたと呼ぶ)を残す、という非常に特徴的な症状を持つ病気です。
平城京でも大流行し奈良の大仏建立の大きな要因になったという説が有力視されていますし、四谷怪談のお岩さんの顔が醜くなった原因であるとする話もあります。
また他にもその特徴的な症状からすぐ前のエントリーにもあるような民話の元にもなっています。
特に江戸末期になると、天然痘は恐るべき感染力で毎年のように猛威を振るい、毎年人口の1%以上が天然痘によって減少していましたという話もあります。
当時の徳川将軍15人中6人(40%)が、天皇14人中5人(36%)も天然痘にかかっていたと云われているようです。
こうしてみると、恐ろしい病気ではあるものの、身近な病気でもあったのでしょう。

日本における種痘導入の経緯は秋月藩の藩医だった緒方春朔が1790年に種痘を行っていましたが、これは天然痘の瘡蓋(かさぶた)の粉末を接種する方法でした。
1810年にはロシアに拉致された中川五郎治が、帰国後に牛痘を用いた種痘法を実践。
1814年には安芸国の漂流民・久蔵が種痘法を覚え、牛痘を日本に持ち帰って効果を広島藩主に進言しているが一笑され実現化に至りませんでした。
そしてようやく1849年に佐賀藩の医師・楢林宗健と長崎のオランダ人医師オットー・モーニッケが種痘を実施し、ようやく日本全国に種痘が普及し始めることになります。

大阪には、京都に送られたモーニケ苗を緒方洪庵が分けて貰う事で種が持ち込まれることになります。
当時の医術では痘苗の保存は一週間が限界で、種痘を施した子供の腕に発痘がみられると、滲み出る膿を採って新たな痘苗とし、一週間以内に他の子供に植え付けるという作業を繰り返さなければなりませんでした。
よって京都から大阪に種を持ち込むには京都から苗元となる子供を連れて、淀川を船で下ってくるという手法が取られたようです。

このように、恐れられた病気に対して苦労しながらも対抗手段を入手することができたのですが、当初はなかなか普及しなかったといいます。
その大きな障害は、無知や恐怖心から来る迷信・伝説、それにすがろうとする既存の漢方医の誹謗中傷でした。
当時、西洋医学を理解する人は少数派で、牛痘種痘法が理解できない人が大半でした。
この時期の種痘は牛痘という種類のもので、天然痘ウィルスの近縁の牛痘ウィルスをうつす事で天然痘に対する免疫力を確保するというもので、その種自体は牛から得ていたものでした。
よって既存からの迷信も含めて下のような風説が巷に流布していたようです。

・牛痘種痘をすれば牛になる。牛の角が生えてくる。
・赤い色が天然痘を避ける。
・疱瘡の神は住吉大社を祀るべし。
・牛痘種痘は「詭術(インチキ術)」で、「危言妄説」。
・万里を隔てた野蛮な国の獣臭い苗を求めて、日本の貴人に植えるとは実に嘆かわしい。

幕末の攘夷ムードが、こうした誹謗中傷の火に油を注いだことも否めません。
また、上記以外でも前スレのような地域ごとの民話も残念ながらマイナス方向に働いた可能性もあります。
そこで活用されたのが一番上であげた錦絵であり、牛痘児、白神、加えて古くからあった疱瘡神といったキャラクターたちという訳です。

さて、まずはそれらが活用された舞台である除痘館跡である緒方ビルに行ってみます。


こちらが緒方ビル。大阪のビジネス街の真ん中にあります。


入り口には除痘館記念資料室の看板もあります。
除痘館記念資料室の開館時間は午前10時~午後4時まで(ただし土曜日は午前中のみ)
休館日は日曜日、祝祭日、年末年始となっています。ちなみに参観無料。


玄関の除痘館跡に関する展示物。
ここに冒頭の錦絵も展示されています。


除痘館跡
大阪の除痘館は牛痘種痘をおこなう場所として緒方洪庵(1810~1863)が中心になって嘉永2年11月7日(1849)に古手町(道修町)に開設した。それは牛痘がはじめて長崎に渡来した年である。大阪での種痘活動はまことにさかんで安政5年4月24日(1858)には全国にさきがけて官許を得た。のちに万延元年10月(1866)にはこの場所すなわち当時の尼崎町1丁目、現在の今橋3丁目に移って事業を拡張した。


除痘館の跡
 緒方洪庵は、ここから一筋北側にある適塾で福沢諭吉をはじめとする多くの塾生に蘭学を教える傍らこの場所に除痘館を設立しました。
除痘館では死亡率が二割を超える恐ろしい伝染病であった天然痘から子どもたちを守るため牛痘種痘法(牛からとったワクチンを使うもので、一七九六年英国でジェンナーが始めた方法)による予防接種活動を行ったのです。
これは日本における予防医学の原点ともいえるもので洪庵亡き後も受け継がれ、明治維新以後公共事業として引き継がれるまでつづけました。


冒頭の絵の解説

桑田立斎は牛痘種痘奨励のための版画を嘉永3年に作成して配布した。その版画を元にして各地でその翻刻版が作られた。ここに掲載した版画は同年に大坂除痘館が翻刻したものである。原画の説明文の表現とは一部異なっており、原文に記載されているいくつかの時期などの誤りも訂正したものとなっている。ただ何れもジェンナー(イエンネルと記載)をオランダ人として記述している。その説明文を一部現代語にして以下に示した。現代語訳に際して添川正夫「牛痘法奨励の版画について」、二宮睦雄「桑田立斎先生」を参照するとともに阪大名誉教授梅渓昇先生のご校閲を戴いた。

此板行は江戸にて出来しを世の人のためにとて、この度翻刻して普くひろむるなり。

疱瘡の神とは誰か名付けん
  悪魔外道のたたりなすもの       冨嘉川萬年橋

疱瘡を始めしは、唐土(もろこし)宋の仁宋の時也。是は鼻に入るる法也。其の外植えよう五通りあり。牛痘法というは、一番新しく、優れてよろし。
寛政年中オランダにてイエンネルという人初めて見開きたり。
其の始は、牛の乳を絞る家、必ず疱瘡することなし。不思議のことに思いて牛の乳房を吟味せしに、疱瘡二三粒発せしあり。
其の膿を取りて小児の手にうつしみるに、其の手のみに五六粒できて外へ出る事なし。其の後又人の疱瘡を其の子にうえるといへども発することなし。
是よりオランダ中此の法ばかりになり、その後文化二年の頃唐土へこの法渡り、唐土に古くある鼻に入るる法と植えくらべ見るに、格別優れて良きこと医俗ともに知るやうになり、其のわけを書物にし、唐より日本へも渡したり。当時は天竺其の外世界中此の法のみになり、他の法はすたりぬ。されど仮痘とて疱瘡に似たるもの出ることあり。是は役に立たず。もし仮痘ならば再び植べし。夫れを知らずして再び発すると思うあり。
世の中に是ほど尊き法なし。夫ゆえこの疱瘡種を幾十年前よりオランダ人自慢にて、何よりの土産とて度々持ち渡れども気が抜けて用に立たず、やうやう去秋、ある大候のお骨折にておとりよせありて、世に広まりしは、人の親の幸い、子たるものの仕合わせこのうえやあるべき。
世の人よく迷いをさりて早く安堵の思いをなすこそ上なき幸いならんかし。    山挙画

  親の苦もぬけて楽しむみどり子の 千代の命をむすぶ尊さ  桑斎接痘主人

  「実は悪魔 疱瘡神」「生国阿蘭陀 牛痘児」

 嘉永三戌年 大阪道修町御霊筋西入 除痘館 道修町四丁目   大和屋喜兵衛旗印

ビルの玄関の中に入っても除痘館資料室に関する掲示物が続きます。



中にはこんな掲示物も。
手塚治虫「陽だまりの樹」を元に手塚プロダクションが絵にしたものだとか。
手塚治虫の曾祖父手塚良庵(後に手塚良仙)は緒方洪庵の下、適塾において蘭学と種痘術を学んでいたのだとか。その後、手塚良庵(良仙)は江戸で種痘所の設立に尽力されたということを「陽だまりの樹」の中で描かれているとの事。
こちらの作品については未読の為、また読んでみたいものです。
テレビドラマやアニメ、舞台化もされているのだとか。
これまで退屈そうにしていた同行した息子(4才)も、こういう絵は食いつく様に見ていました。

さて資料室については室内撮影禁止でしたので写真は撮っておりません。
興味が湧きましたら、是非現地へ。
大阪での種痘所開設にあたっての貴重な資料室ですので。

幕末という時代、学者らを中心にそれまで不可思議な事柄であった自然現象は、次々と謎が解き明かされてゆきました。
この記事で取り上げた疱瘡(天然痘)もその一つです。
古い時代に奈良の都で流行った時には怨霊の仕業とされ、また以降も度々被害をもたらした時には疱瘡神の仕業とされて来たものが、医者の領分へと変わってゆきました。
それまでは医者という職業自体はあったのですが、以前では手が付けられなかったのですね。
医者が手を出せない以上、病気という理解はあったにせよそれらは不可思議なもの、妖怪として理解するしかなく、縋るのは神仏しかなかったのでしょう。
自然科学への理解が進むに従い、それまで妖怪、神仏で解決する範疇の話が、学者、医師の領分の話へと移行していくことになる訳ですが、それまで長らく妖怪として理解されていたものを、いきなり自然現象と理解することはなかなか困難で、様々な流言飛語、迷信が幅を利かせたのが幕末から明治時代であったと思われます。
他にも大阪に縁の深い病気ではコレラなんてのもありますね。

虎狼狸-少彦名神社-

この理解を助けるのに、冒頭で取り上げられたような錦絵といった絵画が一助になったようです。
とはいえこれらの錦絵は、迷信から自然科学の領分への移行をスムーズに行うためという性格を持っています。
よって妖怪として描かれているにも関わらず、妖怪として理解されることは無いキャラクター達なのでしょうね。そう考えると、ちょっと寂しいものがあります。

さて、ここから下は妖怪には関係ありません。
ついでですので適塾跡にも足を運んでみました。
除痘館跡から一筋北側にあります。
こちらは蘭学を教えるための私塾で、福沢諭吉がこちらの卒業生であったり、日本の歴史的には案外大きな働きをした場所となっています。

入口


入り口脇にあった案内書

史跡 緒方洪庵旧宅及び塾 昭和一六年一二月一三日 指定
重要文化財 旧緒方洪庵住宅 昭和三九年五月二六日 指定
所在地 大阪市中央区北浜三丁目三番八号(旧過書町井池東入)

 この建物は、幕末の医師・蘭学者であった緒方洪庵が弘化二年(一八四五)に買い受けて、天保九年(一八三八)に大坂瓦町に開いた私塾、適塾(適々斎塾)を移転した場所である。洪庵は、文久二年(一八六二)に幕府の奥医師として江戸へ迎えられるまでの約一七年年間にわたり、ここに居住した。
 洪庵は、ここで諸国から集った門人たちに蘭学を教え、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した多くの人物を育てた。
 敷地は間口約一二メートル、奥行約四〇メートルあり、主たる建物は、主に教室に使われた表屋(前方部)と、洪庵と家族の居室にあてられた主屋(後方部)からなり、南庭に土蔵と納屋がある。表屋は寛政四年(一七九二)の北浜大火後まもなくの建物と考えられ、もとは町筋に面する商家の形であったが、洪庵入居の際に若干の改造が行われたとみられる。
 表屋は二階建ての一階を教室、二階を塾生部屋とし、主屋は一部二階建てで西側に通り庭を持ち、台所・書斎のほか四室がある。台所の二階にはヅーフ部屋と女中部屋がある。
 洪庵が出府してのち、再三の改造があり、大正四年(一九一五)には前面道路の拡幅によって約1.2メートルの軒切りが行われた。昭和五一年(一九七六)から五五年にかけて行われた解体修復で、軒切り部分を除いて概ね洪庵居住当時の姿に復元した。平成二五年(二〇一三)から同二六年には、文化財的価値に配慮した耐震改修工事を実施した。
 この住宅は、蘭学発展の拠点となった歴史を伝えるばかりか、近世における大坂北浜の町屋建築の姿を示す貴重な遺例である。
 この建物は昭和一七年(一九四二)、国に寄附されることとなり、洪庵の子息や適塾関係者らによって明治初期に設立された大阪仮病院や大阪医学校を源流とする、大阪帝国大学(当時)へ移管された。現在はこれを大阪大学が所有し、一般公開している。建物内部では、適塾および洪庵の事蹟を伝える資料展示を行っている。
平成二六年(二〇一四)四月
文化庁

訪ねたのが2014年6月ですので、出来立てホヤホヤの案内板でした。
こちらは建物や庭は写真を撮っても大丈夫との事ですが、展示物は撮らないでくださいねとのことでした。ただ撮影許可を申請して許可が下りれば展示物の撮影も出来るのだとか。
入場料260円。小学生の娘は無料で入らせてくれました。
除痘館跡に寄られたら是非こちらにも。


除痘館跡
場所:大阪市中央区今橋3-2-17 緒方ビル4F
緒方ビルHP

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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