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龍-狭山池-

日本最古のダムと言われる狭山池。
こちらにも竜にまつわる伝承が残されています。

sayamaike01.jpg


黒猫が調べた限り、以下の二点は見つけることが出来ました。
他にもあるかもしれませんが、いずれも「大阪伝承地誌集成」よりの抜粋です。

昔、狭山池に巨大な雌の大蛇が棲んでいた。
富田林の栗ヶ池にいる雄の大蛇と夫婦で、毎晩会いにいく。
それはよいのだが通行する田畑は荒らされ、運悪く出会った牛馬や人間はひと飲みになる。
若者たちは決死隊を募り大蛇退治を企てるが年寄りは制し、夫と逢瀬を楽しむのなら優しい蛇にちがいないと、神主・僧侶・名主たちが集まって、毎日丑三つ時に狭山池に行き、何とぞ村人たちを襲わないで下さいと祈願した。
その甲斐あって大蛇は出なくなったので大喜び、池の中に弁財天祠を建てて供物を絶やさずお祀りする(祠は現存)。

-大阪伝承地誌集成 狭山池の大蛇-


近くに住んでいた綿屋が商用で狭山に行ったとき、狭山池のほとりに美しい娘が悲しそうな顔をして立っていた。
声をかけると、「実はこの池の中に恐ろしいものが落ちているので、取り除いてほしいのですが、どなたさまも引き受けてくれません。」と訴える。
綿屋は、
「そりゃ気の毒に、こんなに深い池ではどなえもなりへん。」と言うと、
「いいえ、水は私がなんとかします。」と着物を着たまま池に飛び込んだ。
みるみる池の水は干上がってしまった。見ると池の底にピカピカ光った鍬が一本落ちていた。
こんなもんかいな、と拾いあげて捨てると、娘は再び現れ、「御礼に何でも差し上げます。」と頭を下げる。
「なんにもほしゅうはないが、村では干魃が続いて綿や稲が枯れてしまいことがある。そんな時に雨が降る方法があったら教えてほしい。」と頼みました。
「おやすいごようです。」と娘はにっこり笑って、胸の中から鱗を三枚出してきて、
「これを村の鎮守様に納めて、お困りの時にお祈りして下さい。」
綿屋は村に戻ってから、若宮八幡に奉納、以来、祈雨の霊験あらたかで、村は繁栄した。

-大阪伝承地誌集成 娘の鱗より-


一つ目の話には後日談もあり、松原市のHPにて紹介されていました。

西除川と狭山池の大蛇

この他、「怪異・妖怪伝承データベース」にも以下の話が掲載されていました。

狭山池は、昔サカロが池と言った。魔障のある恐ろしい池で、今でも工事をするたびに死人や怪我人が多い。太閤様もこの池に手をつけたので、家の運勢がよくなかったという。

怪異・妖怪伝承データベース 魔障,池


いろいろ話の種の絶えない池のようですね。

さて、ひとまず狭山池のことをざっとおさらいしてみます。
狭山池は「日本書紀」や「古事記」「枕草子」にも名を見ることの出来る、歴史ある池です。
築造は7世紀前半と見られています。
これは1988年に行われた調査で、最初期の木材を年輪年代測定を行った結果、616年の木材が使用されているという結果がでたそうです。
またその際、植物層を含む層があることが判明し、中国や朝鮮から伝わった敷葉工法(しきはこうほう/葉のついた枝を土留めに使う工法)が用いられていることがわかったとのこと。
762年には行基が、1202年には重源が、1608年には片桐且元による改修が行われ、現在の大阪市域を含む数多くの村の灌漑用水として用いられ続けました。
また平成になってからも改修が行われ、狭山池ダムとなり、治水が図られます。
その際、狭山池公園や大阪府立狭山池博物館を整備され現在に至ります。
戦後の一時期、競艇も開催されていたようですね。

そんな狭山池を訪ねてきました。
sayamaike02.jpg sayamaike03.jpg
訪問した日は残念ながら雨が降っていました。
それにしても広い池です。
右側の写真に写っている、池中の社のアップがこちら。

sayamaike04.jpg 狭山池の龍を祀る社です。

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(左) 社の正面あたりにある湖畔にある鳥居。
(右) 鳥居下辺りから。

sayamaike05.jpg sayamaike06.jpg
社のアップ。

sayamaike07.jpg 案内の看板です。

上で紹介した二つ目の話にもからみますが、大阪の河川の変遷を調べて見ますと、一つ大きなものに大和川の川違えがあります。
大和川は現在でこそ奈良から堺の方にかけて東西に流れていますが、かつては現在の柏原市から北へ蛇行し、これもかつてあった河内湖へと流れていっていたようです。
河内湖はその後灌漑され無くなって行きますが、大和川は現在の大東近辺まで北上し、そこから再度西へ蛇行。現在の天満橋近辺で大川(淀川)と合流するという流れだったようです。

さてその川違えを行うまでは、狭山池から大阪市内にかけて直接河川が引かれていたようです。
東区史の古地図を見てみれば、狭山川というのが南から堀江の近辺に流れ込んでいた事が書かれています。
同じ地図をよくよく見れば、狭山川は喜連(これは現在もある喜連でしょうね)という土地の東側を流れていたようです。
そこで現在の地図に当てはめてみると…該当する河川はおそらく現在の平野川になると思います。
そこで平野川について調べてみると、現在の流域こそ大和川から第二寝屋川に城東区で合流する間となっていますが、大和川の川違え以前は大乗川、大水川、東除川、馬池谷筋(喜連川・今川)、狭山西除天道川の全てが、合流していた様です。
予想通り、狭山池から平野川へ水は流れていた事が分かりました。
そして、件の若宮八幡こと旭神社は平野川のすぐ脇にあります。
久米田池の伝承のときにもですが、旭神社の伝承についてはやはり水利権と関係しているのかなと思う次第です。
富田林の伝承は狭山池との繫がりの他、河川の氾濫と治水を感じさせてくれるように思います。

などと、いつもの事ながら妄想たくましく、昔の事に思いを馳せつつ。


<<関連エントリー>>
龍-旭神社(若宮八幡宮)-

狭山池
場所:大阪狭山市池尻近辺
 

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自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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