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龍女-淵埋山 光善寺-

枚方市にある光善寺は、本願寺の蓮如上人が布教の拠点として作られた御坊を基に、有力門徒であった石見入道光善が布教に大きく貢献したということから光善寺と称されるようになった本願寺派の寺院です。
こちらにも創建にあたり大蛇ににまつわる伝説が残されています。

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もともとこの寺のあった場所には、かつて梓原深淵という池があったのだそうです。
そこにこの地域で布教しようと蓮如上人がやってきて、この近くで毎晩説法されるようになりました。
説法を聞きにやってくる地域の住人の中に毎晩熱心に説法を聞きに来ていた女性がいたのだそうです。
女性は忽ち説法の功徳に感じ入り、実は私は梓原深淵にすむ大蛇が化身した姿であると語り、自分の棲む梓原深淵を寺を立てる為に寄進すると申し出、自らは「さいかちの木」を伝って天に昇っていかれたと伝承は伝えます。
ところで大蛇は昇天する際に、金色の巨鱗三枚を遺したそうです。上人はこの鱗を梓原深淵の名残りである寺の池の傍らに埋め、五輪塔を建てたそうです。それで光善寺の庭園の池を龍女の池といい、その脇の五輪塔を蛇塔というのだとか。
山号の淵埋山というのはこの伝承からくるものだそうです。

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(左) 山門 と(右) 本堂

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現地案内板

枚方市指定史跡 光善寺(出口御坊跡)
 出口は、文明7年(1475)本願寺第八世蓮如上人が建立した御坊を中心に発達した寺内町である。寺内町は、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のことをいう。蓮如上人は御坊(のちの光善寺)を拠点に摂津・河内・和泉で布教活動を行い、三年後、山城に創建した山科本願寺に移った。
 蓮如上人の死後、光善寺は戦国乱世の中で退転を余儀なくされ、旧地に復したのは慶長年間(1596-1615)であった。広大な寺域と御堂・山門・通用門・鐘楼・太鼓楼・書院・庭園などの江戸時代の伽藍を残し、寺内町の格としての風格を今に伝えている。その景観は、「河内名所図会」(享和元年刊)にみえるものとよく一致し、江戸後期にさかのぼるものである。伽藍の近世建築には、17世紀の山門および脇門、江戸中期の数奇屋風書院があり、天明2年(1782)の御堂、同7年の太鼓楼がある。
2010年4月 枚方市教育委員会

伝承については触れられていませんでした・・・
実は、伝承については事前には簡単にしか調べていなかった為、寺の庭、五輪塔(蛇塔)、さいかちの木のいずれも写真に収めてこずという大失態を;;また行かなくては・・・

日本古来の宗教観では、水辺の主、山の主いずれも蛇が重要な位置を占めています。
その土着信仰の象徴である蛇が、仏教の説法に感じ入り、住処を寄進しこの地を去るという話ですので、この地の宗教が移り変わりの寓話としてみるのが妥当なところでしょうか。いわばこの地における「国譲り」伝承でしょうか。
蛇は天に昇ると竜になりますので龍女とされていますが、土着信仰においてはやはり巫女のような宗教的職能者がいたのかもしれません。
もっとも、かつての日本は母系社会であったのだろうとの論説もよくきき(もはや定説なのかな?)、そうなればかつてあった土着信仰はそもそも女性の神格であったのかもしれませんね。


埋淵山 光善寺
場所:大阪府枚方市出口2-8-13

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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