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交野と七夕伝説総括

本日はいよいよ7月7日。いわゆる七夕です。
ですので、この所交野周辺をまわって来ましたので、その総括のようなものをと書いてみたいと思います。

hatamonojinjya01.jpg


交野がこれまで辿ってきた歴史を見ると、物部氏を外しては語れません。
そもそも物部氏は饒速日を祖とする一族で、饒速日は天磐船にのり天孫降臨されたとされる神様です。

「先代旧事本紀巻第三 天神本紀」に以下の記述が見られます。
饒速日尊禀天神御祖詔。乘天磐船而天降坐於河内國河上哮峯。則遷坐大倭國鳥見白庭山。所謂乘天磐船而翔行於大虚空。巡睨是郷而。天降坐矣。即謂虚空見日本國是歟。

天磐船にのって河内の国の河上の哮峰(イカルガノミネ)に天下ったとされている訳です。
「先代旧事本紀」とは、序文には推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著したものとされていますが、徳川光圀や伊勢貞丈らの研究によって学術的には偽書とされている書物です。
実際の編纂時期は、大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前と推定されているそうです。
また、独自の記述があることも事実であり、物部氏の祖である饒速日に関する記述も多いことから、物部氏に関連した人物が書かれた書物だろうと推測されています。

天孫降臨については、「日本書紀」の場合、以下のように記述されています。
及至饒速日命乗天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰虚空見日本国矣。
饒速日が天磐船にのって降臨した事は書かれているのですが、場所までは書かれていないのですね。

私個人としては、この年代の神話や歴史書というのは、多分に主観や誇張が入っているのは間違いなく、「偽書」ということ事態可笑しなことではないかなと思う次第です。
それを言ったら「記紀」もいろいろ問題がありますしね。
「先代旧事本紀」も「記紀」と共に取り扱うべき資料として考えても良いのではないかと思う次第です。

さて、河内の国の河上の哮峰に降り立ったとされる天磐船ですが、哮峰というのは現在の「大阪府民の森 星田園地」のクライミングウォールの直ぐ脇にあります。
そしてその直ぐ近くに、天磐船をご神体とする磐船神社があります。

天乃岩舟-磐船神社-

また「森古墳群」の3世紀末~4世紀の前方後円墳群は物部氏の墳墓と考えられており、既にその頃には物部氏一族は現地で大きな勢力を持っていたものと推測されています。
その時期、或いは遅くとも平安時期(794年-1185年/1192年頃)中頃にはこの地と天上の世界を結びつける考え方というのが出来ていたのでしょう。

一方、七夕に関してですが、712年に献上された「古事記」、720年に完成した「日本書紀」では「淤登多那婆多」「乙登多奈婆多」と記述され、タナバタという言葉はあったのは間違い有りませんが、これはどうやら、お盆の精霊棚とその幡を基とするようです。
ただし、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編纂されたと見られる「万葉集」には、

天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜(2029)
牽牛 与織女 今夕相 天漢門尓 波立勿謹(2040)
織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長(2080)

と、既に中国の「牛郎織女」(いわゆる牽牛と織女の伝説)が伝わってきており、当時の歌人には広く知れ渡っていた事も分かります。

しかし逆に見てみれば、この時代(800年頃まで)には棚幡と牛郎織女は完全には結びついてはいなかった様に読み取れます。
ただし、織女を"たなばたつめ"と読んだり既に習合していきつつある様子も同時に見られます。

そして降星伝説によると弘仁年間(810年~823年)、この交野の地に七曜の星が降ります。
内一つは「牛郎織女」から名をとり「織女石」と名づけられ祀られます。
それとほぼ同時期に、少しはなれた「中山観音寺」に「牽牛石」が置かれていきます。

降星伝説-小松神社(星田妙見宮)-
降星伝説-星の森-
降星伝説-光林寺-
降星伝説-獅子窟寺-

七夕伝説-観音山公園-


そういった事もあり、この地は9世紀中頃には天上の世界と結びつけるもので賑やかになっていき、そのような考え方が定着していったのでしょう。

加えて、もともとこの地は稲作が盛んであった土地です。
平安期には良い米が取れるので甘田と呼ばれた土地もありましたが、どうやら上の流れで天田と変わっていったようです。
amatajinjya01.jpg amatajinjya03.jpg
現在の天田にある水田

現在もその地にはそもともとは「甘田の宮」と呼ばれた「天田神社」が残っています。
amatajinjya04.jpg amatajinjya06.jpg

また交野市を流れる天野川は、もともとは甘野川とされていたようです。

つまり、日本古来からの棚幡の神事や棚機津女又は棚機女(たなばたつめ)といった者たちが間違いなく存在した場所でもあるのです。

それらを土壌に、大陸からの牛郎織女伝説、それと同じく大陸から伝わったと思われる女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)、交野の天上世界との関わりが合わさって、現在の日本における七夕伝説を形作る大きな要素となっていったのでしょう。
日本全国に七夕発祥の地を称する土地は数多くありますが、この交野の地はその中でも重要な役割を果たしたのではないでしょうか。

これらの七夕や天上世界との関わりを思いは近代に至っても、新しい繋がりを作り出しています。

代表的なものは天野川に架かる橋の名などですが、淀川に合流する一番近い場所にある橋は鵲(かささぎ)橋と名づけられています。
kasasagibashi03.jpg kasasagibashi02.jpg

勿論、七夕伝説で牽牛と織女が一年に一度の七夕の夜に、かささぎが翼を連ねて天の川に橋を架け、二人を逢わせる助けをしてくれることに因んで名づけられたものです。
実はこの橋は、江戸時代には常に橋をかける事は許されなかったのですが、参勤交代にあわせて一年に一度掛けなおされた、という由来を持ちます。
後者は、前者と同じ一年に一度の行事とはいえ考え物ですね。

この他、「牽牛石」の祀られている「中山観音寺跡」と、天棚機比売神(あまのたなばたひめのかみ)を祀る「機物神社」の丁度真ん中あたりにある橋は「逢合橋」と名づけられています。

七夕伝説-機物神社-

天津橋というのもあります。
天の港という意味ですね。
その他にもいろいろと。

残念ながら大阪における今年の七夕は雨になりました。
最も、旧暦の6日夜から7日朝にかけてお祭りするのが本来の姿ですので、新暦の本日で一喜一憂するものでも無いのでしょうが。
来年は晴れると良いですね。

 

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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