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祟り-塚穴古墳-

河内長野市にある塚穴古墳のご紹介を。

tsukaanakofun05.jpg


河内長野市の公式HP内のコンテンツに「わがまち歴史散歩」というページがありますが、そのなかの「市内に残る2基の古墳」という項目の中でこちらの古墳に関する記述が少し見えます。
以下に抜粋。

豊臣秀吉の時代か徳川家康の時代だったか分かりませんが、大阪城の築城の時に、周辺の古墳の石やはては地蔵さんまで使って石垣にしたようです。
その時、この古墳の石室の石を使おうとして運びだしたところ、怪奇現象が起こって、あわてて元に戻し石室を作り直したということです。

少し調べてみると、この時に疫病が蔓延したようですね。
古来日本は、疫病の蔓延は何らかの祟りと結びつける風習があり、この古墳を掘り返した時と時期が一致したのでしょう。

tsukaanakofun02.jpg tsukaanakofun04.jpg
外観

tsukaanakofun03.jpg 直ぐ脇にお地蔵様が。

tsukaanakofun01.jpg 案内板
案内板には以下のように書かれています。

塚穴古墳は横穴式の石室を持つ古墳です。しかし、この石室は古墳時代に造られたものが、そのまま残っているわけではありません。
昭和61年に市教育委員会によって行われた調査で、この石室が近世に壊され再度組み直されたものであることがわかりました。
石室の石材ををよく見るとその頃につけられた、石を割るためのクサビの痕を見ることができます。
平成8年には、同じく市教育委員会によって石室内部の詳しい調査が行われました。
石室内部に堆積していた土砂を取り除くと、床面に穴を掘って埋められている甕が4基見つかりました。
これらの甕のうち3基には人の火葬骨が納められていました。
内部に堆積していた土砂の中からは、五輪塔や宝篋印塔などの石造物が多く出土し、土器や陶磁器に混じって、永楽通宝や寛永通宝などの銅銭も出土しました。
石造物に刻まれていた年号と寛永通宝から、これらの遺物は江戸時代のものと考えられます。
これらの調査結果から塚穴古墳石室は江戸時代に組み直されたあと、内部を墓地として使っていたものと考えられます。
地元の伝承には大阪城築城の際に古墳の石材を運ぼうとしたところ、何らかの事情により元の場所に戻した、というものがあります。

河内長野市上原財産区 平成9年7月


「何らかの事情により」って、伝承でそんな語られ方をするのは珍しいかと…
やはり公の機関の書く案内に、たとえ伝承とはいえ「祟り」等の記述をするのを躊躇ったのではないかと竅った見方をしてしまいます。
伝承は伝承で、事実は事実として、別に考えたら良いのではないかと思うのですが…

さて、この古墳を訪ねてみようと思った切欠は、河内長野市のHPの記載を見たからではなかったのです。
実は「大阪府伝承地誌集成」の中で以下の記述を見たからなのです。

夜道に骨妖怪が出る。
別に村人を襲うわけでもないが通りかかると、草むらからバラバラの人骨が飛びだし、「あれえ」「きゃあ」という間もあらばこそ、ポキポキ音を立てながら大きな骸骨に組まれ、ウォーンとなんともいえぬ悲しげな声を立てる。
月光に照らされた青白い骨妖怪は、身の毛もよだつほど不気味だ。
「なに、狐か狸のいたずらやろ」と強がって退治してみせると意気ごんだ若者たちも、その姿を見ただけで足がすくんで動けない。
村人たちは参って河内の地蔵寺(天見)の老僧に、骨妖怪折伏の祈祷をお願いする。
老僧は、「なにもせぬのじゃな。ウォーンと悲しげな声を立てるだけか。ならばなにか訴えておるのじゃ」と、深夜ひとりで出掛ける。
翌朝戻ってきた老僧は村人たちを集め、「お前さんら、あの近くの古墳を暴いたじゃろ。あれは大昔の高貴な方のお墓で石棺の中で静かに眠っていたのにひきずり出されたと嘆いておられる」と教えた。
確かに石棺を掘り出したところ、焼き物や宝飾や刀剣などがたくさんでてきたので知らせると、学者先生たちが集まってきて大喜び、これは貴重な文化財やと全部持ち帰ったことがある。
村人たちは後悔し埋葬物をとり戻し、砕いた石棺を修復して老僧の回向で丁重に供養したところ、骨妖怪は二度と現れる事はなかった。

-大阪伝承地誌集成 骨妖怪-


この場所は古墳とされているだけで、河内長野市のどの古墳か分からなかったので、インターネットでざっと調べた所でこの塚穴古墳を訪ねた次第です。
しかし、結果として古墳を掘り起こした時期が合いません。
「大阪府伝承地誌集成」を見る限り、出来事は明治から昭和にかけての目撃談と思われますが、塚穴古墳の祟りが起きたとされるのは江戸時代。
話者のところで時期にズレが生じたか、或いは見当違いだったか、と思ったものの、こちらにも怪奇現象の伝承自体は残っているようなので記事として起こしました。
で、現在起稿しているところで河内長野市の該当ページを熟読していると…

もう一つの現存する古墳は喜多町の烏帽子形公園の中に残っています。
烏帽子形山と呼ばれる山全体が公園になっていて、中世には山城に利用されていました。
古墳はこの山の尾根の先端部分に作られています。
古墳の形は直径約16mの円墳で、高さは約3mです。
石室は見つかっていませんが、昭和5年の大師山古墳の発見に触発されて一度掘り返されました。
この時に石室のようなものがあったということです。
このときも、たたりがあるということで早々に埋め戻されたようです。

河内長野市に現存する古墳は2基。「大阪府伝承地誌集成」の記述を見る限り古墳を修復しているような記述もあるので現存している可能性が高いように見受けられます。
となれば、当初、私が行くべき目的地は烏帽子形公園に残る古墳だったようです。
河内長野市は少し遠いですがまた足を伸ばす事にしましょう。滝畑の方の伝承地にも行きたいことですし。


塚穴古墳
場所:大阪府河内長野市上原町
 

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