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歯噛(神)様-和田賢秀公墓-

四條畷市にちょっと変わった由来を持つ歯の神様が祀られていますので紹介を。

WadaKensyuHaka02.jpg


歯の神様として祀られているのは和田賢秀という南北朝時代(1336年~1392年)の武将です。
1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇が践祚され、後醍醐天皇の吉野転居により朝廷が分裂していった時代です。
この場所の逸話に出て来る和田賢秀才が没した四條畷の戦いは、1348年(正平3年/貞和4年)1月5日に南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣高師直との間で行われました。
この戦いは南朝方は名和長年・結城親光・千種忠顕のほか、北畠顕家・新田義貞らが1338年(延元3年/暦応元年)までに次々と戦死し、軍事的に北朝方が圧倒的に優位の中で行われました。
南朝方は本拠地である河内国南部で次第に力を蓄え、摂津国南部の住吉・天王寺周辺までゲリラ的に出没し、足利方を脅かすようになりつつあったので、足利方は本格的な南朝攻撃を決意し、ついに1348年1月に高師直を大将とする大軍を編成して、北上する楠木軍と四條畷で対峙した、というのがこの戦いにいたる経緯となっています。

そして結果は楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れることになります。
敗戦に際して南朝方の大将である楠木正行は、弟の正時と刺し違えて自決しています。

さて、肝腎の和田賢秀ですが楠木正季の五男(末男)で、楠木正成の甥にあたります。
楠木一族の中でも武勇の誉れ高く、正行に従い常に参戦しており、四條畷の戦いに際しても従軍していました。
そして戦いに敗れ、正行らが自刃した後高師直の陣に潜入していたところをかつて味方であった湯浅本宮太郎左衛門に討たれてしまいます。
討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、本宮太郎左衛門はそれが元で死んだとされており、土地の人々は賢秀の霊のことを歯噛様(はがみさま)、転じて歯神様として祀られるようになったのだとか。

別の民話を読んで見ると、そこでは相手に噛みついて放さなかったという話は出てこずに、首改めの時に和田の首が余りに無念で、恐ろしい表情であったため、首改めをした者が夜ごとその首にうなされ、やがて体を壊して死んでしまった、という話になっていました。

ただ、現地に置いては歯噛様に対する信仰もあることなので、首に噛みついて、という話の方が人気があるのでしょう。

WadaKensyuHaka01.jpg
場所は旧国道170号線に面しています。

WadaKensyuHaka02.jpg
墓所の域内は結構広かったです。
墓石は高さ約1.2m、正面には「和田源秀戦死墓」とあります。

WadaKensyuHaka03.jpg
墓の脇に案内板もありました。

和田賢秀公墓

 このお墓は正平三年一月五日楠正行公が、四条畷で敵将高師直の大軍と戦い討死にされた時、共に戦われた和田賢秀公の墓です。
 賢秀は源秀ともいわれ、正行公とは従兄であり、歴戦の勇者で新発意ともいい、伝説によると賢秀公討死の際、敵の首に噛み付き睨んで放さず敵はそれが因で死んだ。
 以来、土地の人は賢秀公の霊を歯噛(神)様として祀っている。


敗戦の将を祀るのは良く見られる事ですが、これを歯の神様と転じさせている方は余り見かけないように思います。


和田賢秀公墓
場所:四条畷市南野4丁目

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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