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妻が仕事で出かけ、かつ黒猫が休みを取っているとある土曜日。
上の娘(小学3年生)と一緒に模型作り(ちなみにガンプラ。黒猫はアッガイ、娘はベアッガイを購入;;ナニガ カナシュウテ、アッガイ ヲ ツクッテイルンダロw)に勤しんで、模型に塗る塗料を買出しに心霊スポットとしても有名な難波のビッグカメラまで自転車で出かけた際、折角だからちょっと物珍しい場所でも行ってみるか、と「難波八阪神社」まで脚を伸ばしてきました。

この神社は「大獅子殿」という大きな獅子舞の頭を模した舞台があることで有名です。
 

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正面の鳥居と由緒書

難波八阪神社 御由緒

御祭神 素盞嗚尊
    奇稲田姫命
    八柱御子命
古くは難波下の宮と称し、御三條天皇の延久の頃、すでに難波牛頭天王社として勧請され、厄除招福農耕船運の守神と崇敬され時代の変遷とともに、境内社十三社(祭神三十六柱)を数へる古社で、文藝新興の成神殖産興業商賣繁昌の護神として栄え、近時に交通安全の神として廣く信仰されてゐる。
 昭和二十年春 三月十三日夜半戦災にかかり 同二十三年暮假社殿の復建を見 次々境内施護の完遂があり、諸祭神事も復興整備さる。
昭和四十八年二月十七日 反物町御旅所を合霊合祀す。
同四十九年五月末 新社殿の竣工成り境内地の大模様替え完成す


祭神のスサノオは仏教伝来に伴い「牛頭天王」と習合され信仰されていました。
「牛頭天王」を祀る社は、明治政府の行った廃仏毀釈の折、権現類と並んで名指しされ、ある寺は廃寺に追い込まれ、ある寺社はスサノオを祭神とする神社として強制的に再編されましたが、八坂神社の系列であるこの神社もその例に漏れなかったようです。

ですので、こちらの由緒に書かれてある祭神は、あくまで現在の祭神であると考えないといけないのでしょうか?
神仏習合されて同一視されてこそいますが、やはりスサノオはスサノオ、牛頭天王は牛頭天王と考えるべきなのかもしれません。

ちなみに、こちらの神社ではスサノオのヤマタノオロチ退治に由来する綱曳神事というものも有名で、毎年1月の第3日曜日に行われています。
祭りの当日の朝から神事参加者が縄を綯い合わせた八頭八尾の「八岐大蛇」の形の綱をつくり、境内でその年の恵方に引き合い、その後、綱を担ぎ、神社の周囲を巡行するのだそうです。
綱の長さ約30㍍、太さ45㎝、重さ300㎏の巨大な物で、なおかつ八頭、八尾をかたどったかなり変わった物であるようです。
こちらは大阪市指定の無形民俗文化財として登録されているとのことですが、祭神の変遷等を考えると、明治以降の比較的新しい神事なのでしょうか?牛頭天王はヤマタノオロチを退治しませんからね。
或いは江戸以前から牛頭天王が本地であるものの、垂迹であるスサノオを由来とする神事を祭りの一環として取り入れたのやも知れません。
あちこちのサイトで「摂津名所図会」「摂津名所図会大成」にて綱曳神事が紹介されている、という旨の記述を見かけたのですが、「摂津名所図会」巻三で「難波牛頭天王社」の記述はあったのですが、綱曳神事の記述は見られず・・・別のところに書いてあるのかな?
(しっかり記載があります。失礼しました;;)
「摂津名所図会大成」は資料として手元に有りませんので機会をみて探してみるようにします。

さて、こちらが目当ての「大獅子殿」

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下が東門から境内を見たところですが、こちらの門からの方が良い感じに見えます。

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門の下に立っているのは娘。肌寒かったので私のシャツを上に着ています。


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「大獅子殿」を別アングルから。
こちらで祭りの時には、舞などが奉納されるとのことです。

もともと獅子舞は、16世紀初め伊勢の国で飢饉、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞わせたのが始まりといわれています。
その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、厄を払い、世を祝う縁起ものとして日本全国に広がったものとされていますが、ここ難波の地においてはそれが疫病を祓う牛頭天王・スサノオの信仰と結びついたようです。
難波牛頭天王社或いは難波八阪神社においては、特に夏祭りにおいて盛んに獅子舞が行われたようで、戦前は4頭の獅子が200人のカルサン姿(南蛮服のダブダブズボン)の踊り子を連れて踊りまわったそうです。
有名な京都の祇園祭が、やはり疫病除けの神事として八坂神社で執り行われていますが、難波においては違った形で神事が土着化したようですね。やはり土地柄の差でしょうか?

そして、それ程この神社の獅子舞が名物となっていたようですので、それにあやかりこの「大獅子殿」が造られたようです。

また境内にはこの様な小祠もありました。
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篠山神社の御由緒
 祭神 篠山摂津守十兵衛伴景義
江戸時代 此の地の代官として着任(寛政五年、一七九三~文化六年、一八〇九年)摂津・河内・播磨の三国の惣代、住民がこの地に青物市場開設を嘆願し当代官の尽力により市場開設が許可され、住民は生活の安定・福祉増進に恩恵を蒙った。
住民は感激し、威徳を貴び報恩感謝の念を結集し生き神様(生祠)として奉祭・篠山代官は佐渡金山奉行と立身出世、幕府財政に寄与した。

生き神様として祀られているのが、市場開設に尽力したというのが、いかにも商人の都大阪らしいです。

最後に、伝承などとは全く関係無いのですが、個人的にもうひとつ境内で目を引いたのがこちら。
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第二次世界大戦のときに活躍した戦艦「陸奥」の主砲抑気具の記念碑

何故こんなところに・・・恐らく関係者が氏子か何かにいらっしゃったのでしょうね。


難波八阪神社
場所:大阪府大阪市浪速区元町2-9-19


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妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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