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大阪府の直ぐ南に位置する和歌山県には、随所に牛鬼にまつわる伝承が残されています。
全国的に有名な温泉である白浜温泉のある白浜町にも、牛鬼がいたとされる語られる地がありますので、足を運んできました。

Suuhi_Ushioni.jpg


場所は和歌山県西牟婁郡白浜町富田にある「牛屋谷」です。
この谷の奥にある滝(名称不明)には古くから牛鬼が棲むといわれ、その為、「牛鬼谷」ともいうのだそうです。
何でも、この付近は昔から樵が伐った木を流して川下で材木としていたそうなのですが、ある時この地の主である牛鬼を怒らせてしまった為、全て滝の奥にあるという深い洞窟へ隠してしまったりしたという話が残っているようです。

黒猫も白浜(少し南の椿温泉)で保養のついでに現地へ訪ねてきました。
今回は家族で保養に行っていたのですが、滝の位置すら確認できておらず、また山中という事もあり妻と子供がまだ寝ている間にコソッと起き出して、車を走らせます。
椿温泉から国道42号線を大阪方面へ向かい「庄川口」を右折、県道213号線で庄川の支流の「牛屋谷」へ向かって走らせます。
そして「出合」という集落の辺りから、県道213号線を離れ川を渡ると、いよいよ「牛屋谷」に入っていくことになります。

ushiyadani01.jpg ushiyadani02.jpg
県道213号線と牛屋谷へ入っていく道が分岐する所にあった社。祭神不明。

そして、いよいよ牛屋谷へ足を踏み入れていきます。

ushiyadani03.jpg


牛屋谷の道は整備されていませんので、車から離れ徒歩で現地へ向かいます。
ushiyadani08.jpg
谷の入り口にあった警告板

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 これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度に地権者の寄附によって路盤の整備を図り共用しておりますが、県道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。
 それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであります。従って通行中の
落石事故等による賠償責任は負えません。尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事業として採択され設けた残土処理場であります。

ちなみに、整備の手が余り入っていないので、こんなところや

ushiyadani04.jpg


こんなところが、

ushiyadani19.jpg

随所に見られました。
行ってみようかな?と、思っている方は十分に注意してください。

最も、それら随所にある危険な場所を除いては歩きやすい道となっています。

ushiyadani20.jpg


そうして山中の道路を歩くこと10数分、事前にGoogleマップで目星をつけて置いた滝と思しき場所にたどり着きましたが、砂防ダムでした。
ushiyadani06.jpg ushiyadani07.jpg
結構落差もあるため、また事前に行っていた検索で滝の名前や情報を見つけることが出来なかったので、これは以前あった滝を利用して砂防ダムを作ったのかな・・・と考え、引返す事にしました。

が、車を置いていた辺りまで引返してきたときに、早朝にもかかわらず運良く現地の人と会うことが出来、牛尾谷にある滝の事を訪ねてみる事が出来ました。
すると、砂防ダムのさらに奥に滝は残っているとの事で、ただ道の下の方にあるので見つけにくいよ、と教えていただくことが出来ました。
残念ながら帰路に要する時間を考えると、そろそろ妻子の起き出す時間なので、この日の調査は打ち切り、翌日再チャレンジする事にしました。

そして、翌日。
昨日の夢見が悪く(熊に襲われる夢を見ていました)、内心びくびくしながら昨日歩いた道を進みます。実は和歌山の山中には熊が出る事があるのです。
そんな中、少しはなれた叢で音がしたので眼を向けると、野生の鹿と思われる動物が斜面を駆け上がっていくところでした。
そんなこんなで昨日確認した砂防ダムを越え、水音と足元を流れる源流の光景に注意を払いつつ、さらに山奥に6、7分歩いたあたりで滝を発見。
私道を離れ、山肌を20㍍から30㍍程降りていくと、ようやく念願の目的地である滝に到着する事が出来ました。

ushiyadani09.jpg
川下から滝の辺りを見たところですが・・・岩に遮られて思うように収められません;;

ushiyadani10.jpg ushiyadani11.jpg
岩によじ登って滝を撮影。滝つぼが形成されています。

ushiyadani13.jpg
岩によじ登って判ったのですが、奥にも滝が見えます。数えてみると、3つで構成されているようです。
一番小ぶりな真ん中の滝。

ushiyadani14.jpg ushiyadani16.jpg
一番大きな、一番奥の滝。とはいえ落差1.5m程なのですが。
 

ushiyadani15.jpg

それにしても水の美しさが印象的でした。引き込まれそうです。

滝のすぐ脇に岩肌が抉れた場所を見つけました。が、伝承にあるような深い洞窟、と言う訳ではありませんでした。しかし、祭祀を行うには格好の場所かもしれません。

ushiyadani17.jpg


滝の周囲も断崖絶壁で、雰囲気に酔ってしまいそうな場所です。

ushiyadani18.jpg


さてこの滝についてですが、実は牛鬼にまつわる伝承の他、殺牛祭祀の伝承も残されています。
「雨乞習俗の研究」「牛と古代人の生活」「増補 日本民族辞典」「牟婁口碑集」等に見る事が出来ますが、雨乞いの為、牛の首を滝壺の棚の上に置く、或いは滝壺に首を投げ込むと、その穢れを流すために滝の主が雨を降らせると伝えられ、また大正二年にもそういった祭祀が行われたようです。

和歌山には、実はこの場所以外にも殺牛祭祀があったと伝えられている地域が随所にあります。
日本においては、雨乞いの為に牛馬を殺し、その首等を聖域に放り込むことで、聖域の主がその穢れを洗い流すために雨を降らせる事を目的としたい流すために雨を降らせる事を祈る雨乞いの風習があります。和歌山の伝承が伝える雨乞いの風習もこの例に漏れません。

さて、歴史上でこのような殺牛祭祀に関する記録を見てみると、桓武天皇が「殺牛祭祀」の禁止令を出していたことが知られています。
「続日本紀」では延暦十年(791年)九月十六日の条に以下のように記されています。

仰越前 丹波 但馬 播磨 美作 備前 阿波 伊豫等國 壞運平城宮諸門 以移作長岡宮矣
斷伊勢 尾張 近江 美濃 若狹 越前 紀伊等國百姓 殺牛用祭漢神


この他、「類聚三代格」「類聚國史」等にも殺牛祭祀を禁止する記載を見る事が出来ます。

しかし、そもそも古代日本に牛がいたかどうかという点については、魏志東夷伝の倭国の条の女王国に関する記載の中に、

其地無牛馬(虎)豹羊鵲

とありますので、牛馬がいなかった、若しくは一部地域にのみ生息していたという見方が強く、牛馬は大陸からもちこまれた可能性が濃厚であると考えられています。
ですので、こういった殺牛祭祀、殺馬祭祀は牛馬と共に大陸より持ち込まれたと考えられています。

事実、中国の「漢書」「于定國伝」の条において、

太守竟殺孝婦 郡中枯旱三年 後太守至 卜求其故 于公曰 孝婦不當死 前太守強殺之 咎當在此 於是殺牛祭孝婦 太守以下自至焉 天立大雨 歳豊熟

というように、牛を殺して祭ることにより雨が降った、という記載が見られるほか、「廣州記」等随所に殺牛祭祀に関する記述を見ることが出来ます。

朝鮮半島においても、同様に殺牛祭祀についての記載を確認することが出来る他、牛では有りませんが現在でも巫教等の儀式で豚を捧げる光景を目にすることがあります。

このような風習が、古代日本に牛馬と共に持ち込まれたというのは多いに考えられることです。

ただし中国において、生贄とされる牛について、「説文解字」には「●、牛純色」(●=牛辺に全)とみえ、南朝梁の顧野王によって編纂された字典である「玉篇」にも「犠、純色牛」とあり、単色の牛が用いられていたのに対し、朝鮮半島では「鳳坪新羅碑」の記述を見ると斑牛を使用したとの記述があり、やや地域差が見られます。
日本においては、「日本霊異記」での殺牛説話を見ると斑牛を犠牲にしたという記述がありますが、その一方で伝承の中に語られるものには「白馬を捧げた」と単色の生贄を捧げていたとの伝承もあり、国内では両方の影響があるように思われます。
或いは桓武天皇による殺牛祭祀は、「殺牛用祭漢神」とわざわざ「漢神」を祀る事に対する殺牛を禁止しているので、帰化人の中の勢力争いが絡んでいるとも考えられますね。
桓武天皇は藤原家の影響を強く受けており、平安遷都の際にも、遷都前からその地にあったという「園神」と「韓神」を祭る園韓神社を皇室守護のためわざわざ残しています。
「日本霊異記」は斑牛を生贄として記述しているのを見ても、中央は朝鮮半島系の影響力が強く、一方の地方では生贄に単色の牛馬を使用するなど中国系の影響力が無視できない程度にはあったのではないでしょうか。
そうなると禁止令も「伊勢 尾張 近江 美濃 若狹 越前 紀伊等」と地域を指定している事も着目すべき事なのかもしれません。

さて、この地における牛鬼伝承と殺牛祭祀の記述を読み比べてみたとき、大きな矛盾がある点に気がつきます。

牛鬼伝承においては、牛鬼を怒らせてしまった為、材木を隠してしまうなどの報復に出るのに対し、殺牛祭祀においては牛の血で聖域である滝を汚しているのに、血を洗い流すために雨を降らせるだけに留まる、という点です。

この差異について考えて見ますが、殺牛祭祀で語られる論理は他地域の伝承とも考慮すれば、間違いなくそのような考えの元で行われたのであろうし、大正という近代に入ってからの記述もありますので、まず実際に執り行われたのでしょう。
しかし、もう一方の牛鬼伝承については、実は牛鬼の姿を見たものはいません。
不思議な事柄があり、それがおそらく牛鬼の仕業であろうとされてしまったのです。
ただし日本の神は穢されることを嫌いますので、牛鬼伝承に流れる論理は非常に理解できるものです。

ここから先は黒猫の創造の域を出ません。
殺牛祭祀のある地というのは、やはり日本人の心情として不気味なものを感じざるを得ません。
特定の宗教の論理に則った神聖なもの、不思議でもなんでもないものであっても、やはり他宗教の論理でその行為を見た場合、異様なものとして認識されることがありますが、まさにそういった心理が働いているのでしょう。
この地においてもそのような心理が働き、殺牛祭祀が妖怪「牛鬼」として零落していった可能性が高いのではないかと考えています。
また牛鬼という文字を見てみると、そのまま「牛」の「鬼」となるわけですが、他でもなく日本においては、「鬼=おに」の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味した。そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらす伝説上のヒューマノイドのイメージが定着していったという経緯を持ちます。
「源氏物語」に登場する鬼とは即ち怨霊の事を指します。
石田英一郎「河童駒引考」によれば、水神に捧げる供物として位置づけされていた馬が、時代を下り水神に引き込まれる馬へと認識が変わっていった例がアジア全域にあるようです。
それに加えて日本人の神道における宗教観、怨霊信仰が影響を与えたのではないでしょうか。

つまり、この地において「牛鬼」とは「牛の霊」を指し、そこから他地域から流れてきた伝承などによって肉付けされて妖怪「牛鬼」となっていった、と考えているのですが如何なものでしょう?


<<関連エントリー>>
殺牛殺馬祭祀-兵庫県西宮市・高座岩-
殺牛殺馬祭祀-牛ヶ首池-
殺牛殺馬祭祀-箕面の滝-

牛屋谷の滝
場所:和歌山県西牟婁郡白浜町庄川


より大きな地図で 黒猫による和歌山県妖怪・伝承地地図 を表示

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牛鬼

  • posted at:2011-10-19 00:02
  • written by:?
こんばんは。しろたさんの「妖怪館」からやって来ました。
?と申します。よろしくお願いいたします^ー^

殺牛祭祀と牛鬼の関係。面白いですね!
考えてみると、牛鬼って和歌山以外でも
水と関連する伝承が多いですよね。
九州あたりでは海から出てくる妖怪とされているし、
島根あたりでは雨の日に出る怪光を牛鬼と呼ぶようですし…。

水と牛鬼…。
殺牛祭祀は他地域の牛鬼伝承にも何らかの影響を与えていたりするのかも??

Re:牛鬼

  • posted at:2011-10-19 09:27
  • written by:黒猫
ようこそお越し下さいました^^
牛鬼伝承の由来が伝えられているものもありますので、牛鬼に関する伝承の全てが殺牛祭祀に関連するという事は有りませんが、殺牛祭祀と牛鬼の関連性を考えていらっしゃる方も案外いるようです。
かくいう私も、化野燐先生と榎村寛之先生の妖怪講座でこの見解に触れられた話があって、それを切欠に自身で踏み込んで行ったものですので。
ともあれ、殺牛祭祀と牛鬼伝承との関連も含めて探訪を楽しんでいます。この滝もその一環です。
島根他の牛鬼伝承の語られる場所にも行ってみたいなぁ…

それはさておき、?さん今後とも宜しくお願い致します。
勝手ながらサイトの方もリンクを貼らせて頂きました^^

怪火と牛鬼の繋がりは…?

  • posted at:2011-10-26 22:13
  • written by:?
リンク、ありがとうございます!
こちらからもリンクさせていただきました。


島根や鳥取で伝えられている牛鬼は雨の降る夜に出る怪火だったりするので、
「まったく牛っぽい要素がないのに、何で牛鬼なんだろ?」と疑問だったのですが、
雨を降らせる殺牛祭祀 → 雨の日に出るものは牛と関係がある
という発想があって、そこから雨の日に出る怪火が牛鬼になったのかな? などと、
とってもシンプルな想像をしてみました((^ー^;
それとも、殺牛祭祀とはまた違うところで、火と牛の繋がりがあるのでしょうかねぇ?

九州辺りでは牛鬼が女の妖怪とカップルになって出てくる伝承がありますよね。
その他の地域では単独行動が多いですけど…和歌山の牛鬼も、やっぱり独身ですか?^^;

怪火としての牛鬼

  • posted at:2011-10-26 22:39
  • written by:黒猫
リンクありがとうございます^^

牛鬼と殺牛祭祀の関係はあくまで説でしかありませんが、怪火としての牛鬼に関しては?さんの指摘されたとおりの見方が出来るかもしれませんね。

牛鬼と濡れ女のような女性の妖怪とのセットに関しては、案外、佐脇嵩之が書く牛鬼図(このエントリーの一番上の絵ですが)のように、水辺の妖怪である牛鬼が、やはり水辺の妖怪である蜘蛛(民話 賢淵に代表されるものです)と結びついた結果なのかも知れないな、とも考えています。
水辺の蜘蛛、というと女性の、棚機津女が零落させられた姿であるとの見方もあります。
牛鬼は男性的なイメージを持ちつつも、女性的なイメージを内包せざるを得なかった為、日本の妖怪の中では珍しい"つがい"という形をとらざるを得なかったのかな、と勝手に想像しています。

最も、こういったことに正解があるわけではなく、また仮に正解があったとしても地域・伝承によって回答は違ってくるでしょうしね。妖怪を楽しむことが出来ればそれでよいかなと思います。

プロフィール

HN:
黒猫
性別:
男性
趣味:
自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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