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今回のヤマタノオロチ伝承地を駆け足で訪ねた旅も、いよいよ最後となります。
ヤマタノオロチ退治の伝承は、八塩折の酒を飲み、酔いつぶれた大蛇をスサノオが退治し、クシナダ姫とスサノオが結ばれ、めでたしめでたしとなる所で一段落します。

そのスサノオとクシナダ姫が住む土地を探し、「気分がすがすがしくなった」として「須賀(須我)」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まったのが、最後に紹介する「須我神社」の地であったといわれます。
これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」とも呼ばれています。
 

sugajinjya04.jpg

 


またこの地にスサノオが鎮まった時に、美しい雲の立ち昇るのを見て詠んだ歌が、

「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」

という有名な歌です。
よってスサノオは荒ぶる神、治水の神といった側面のほか、和歌の神という文化的な側面も持っておられます。
旅の締めくくりに最も相応しい場所かもしれません。

24号線を日本海側へ向かって車を走らせていると、少し離れた地域からでも標識が出ていましたので、目的地である「須我神社」は非常に分かりやすいです。

標識に従って車を向かわせると現地に到着。sugajinjya01.jpg
どうも黒猫は巡り合わせが悪いのか、伝承地をまわっていると工事中の時に度々出くわしてしまいます。
最も分母となる伝承地もそれなりの数の箇所を回っているので、どうしても出くわすのかもしれませんが。
須我神社の入口も工事中でした。

sugajinjya02.jpg
門の右手を回って境内に入ります。

sugajinjya03.jpg
本殿へいたる石段前にやはりありました歌の碑
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる この八重垣を」

sugajinjya04.jpg sugajinjya05.jpg
拝殿
拝殿前の木箱に筆と色紙が置いてありました。
和歌を奉納される方が多いのでしょう。
恥ずかしながら、そちらの素養はおろか勉強をしたのも中学時分の頃ぐらいですので、せっかくですが和歌を詠みませんでした。

が、帰宅後調べてみると「参拝者は歌を奉納するしきたり」としてある所もあり、無い才を捻くりだしてでも詠んでおくべきだったかなと、少し後悔しています。
このブログを見られて参拝しようという奇特な方は、是非歌を奉納しておいて下さいね。

sugajinjya06.jpg
本殿
既に夕暮れ時ですので、暗い場所は写真に写りにくくなってしまっています。

sugajinjya13.jpg
由緒書き

須我神社由緒
御祭神 須佐之男命
      奇稲田比売命
      清之湯山主名狭漏彦八島野命
  合殿 武御名方命
古事記(和銅五年、西暦七一二年)所載=肥河上(ひのかわかみ)で八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治せられた速須佐之男命は宮造るべき所を求めて此処出雲国須賀の地においでになり「吾此地に来まして我が心須賀須賀し」と仰せになって此地に宮殿を御造りになりましたが其地より美しい雲が立ち騰がるのをごらんになり ”八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を”の御歌を御詠みになりました。即ち此宮が古事記・日本書紀等に顕はれる日本初之宮であり此処が三十一文字和歌の発祥地でこの御歌の出雲が出雲の国名の起元であります。
而うして須佐之男命と奇稲田比売命・御子神清之湯山主三名狭漏彦八島野命の三神が当社主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦七三三年)では此処を須我神社・須我山・須我小川等の名に表現され風土記抄(天和三年・西暦一六八三年)には須我村とあり須我は広く此の地方の総称であったことがうかがえます。
須我小川の流域に曽つて十二の村があってこの須我神社はこの地方の総氏神として信仰されていたものでありまた須我山(御堂山八雲山)の山ふところには巨岩の夫婦岩(磐座)並びに小祠があり須我神社奥宮として祭祀信仰されています。
合殿の武御名方命は天文年中統治(淀之荘)地頭として神中沢豊前守が信州より来任せられたときその氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し諏訪大明神として崇敬せられました以来村名も諏訪村と改められていましたが明治二十二年元の地名の須賀に復し現在に至っています。明治二十五年十一月八日元の島根県社に列せられました。
なお須我山の主峰八雲山は眼下に中海や宍道湖を見おろし島根半島から弓ヶ浜東方遙かには出雲富士(伯耆大山)を望む景勝地で毎年秋頂上では盛大な歌祭りがあり四季にわたって各地からの来遊が多い。

須我神社社務所



他、境内摂末社もいくつか写真に収めてみました。
sugajinjya07.jpg sugajinjya09.jpg
(左) 境内社・海潮神社社殿
(右) 御仮殿

sugajinjya10.jpg sugajinjya12.jpg
境内社・御祖神社、社日神社、義綱神社入り口

境内はそれなりに広いのですが、摂末社が点在しており少し寂しい気もします。
また本殿自体も比較的近年に建て直されたものの様で、雰囲気が出るには今しばらくの時間が必要なのかもしれませんね。
最も、訪れたのが小雨もパラついている夕暮れ時でしたので、黒猫が訪ねたときにはそんなにも悪くなかったのですが。


<<関連エントリー>>
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八口神社-
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・尾留大明神旧社地-
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ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県仁多郡・鬼神神社-

須我神社
場所:島根県雲南市大東町須賀260


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トヨタマの伝言

  • posted at:2011-12-24 20:43
  • written by:古代出雲ロマン旅行人
 古事記の専門家の一般的な解釈によると、スサノオはイザナミの母神を求め、鳥髪の峯(現島根県奥出雲町船通山)に降り立ち、斐伊川沿いを下降し、オロチ退治をおこなった(雲南市あたり)。そのあと櫛稲田姫を娶り、須賀の宮(安来市広瀬町 須賀神社)を作り居を構えた。これには異論もあるだろうけど、オオクニヌシがスサノオの試練を受けた根之堅洲國から脱出する描写を考えるとこのあたりが地理的ルートとして合理性があるように見える。
 また、面白いのはこのあたりの墳墓制が日本の弥生時代と古墳時代を分けることになったという考古学的事実である。現在、奈良県にある箸墓古墳が最古の古墳とされているが、実際は安来市にある古代出雲王陵の丘の造山一号墳や大成古墳といった方墳が古墳の始まりだったのである。そうなったのはそれ以前にも作られ、現在では四隅突出型墳丘墓という古墳時代以前の精巧な土木技術で出来た墳墓を、古墳の議論に含めたくない意図が考古学者にあったようだ。その後も西方出雲市の大規模な銅剣や銅鐸の発見でも、結構考古学者の対応は焦って否定的になる者もいたと言われている。古代出雲を封印するのになんの得策があるのだろうか?

出雲の古墳と文化の伝播

  • posted at:2011-12-26 07:24
  • written by:黒猫
出雲地方の古墳は非常に面白いですね。
方墳、四方突出型墳丘墓、前方後円墳まであります。
方墳や四方突出型墳丘墓は朝鮮半島のものと様式に共通点があり、同一の文化圏であったことを強く意識させられますが、古墳様式の発展については日韓どちらの文化が他方に影響を与えていたのか意見が分かれているようです。

地層から採取される花粉から水稲稲作の伝播時期を見た研究を見てみても、出雲地方と朝鮮半島南部は同一時期に水稲稲作が始まったことが示唆されているようです。
こんな古代の時期を研究するのに当たって、現在の国境にこだわった見方をするというのは無意味であるように思われますね。

最も、こういうのは日本だけに限られたことではなく、出雲文化に関わりのある韓国でも同様のようです。

古事記を精読しよう

  • posted at:2011-12-30 11:01
  • written by:トヨタマ
 この神社の言がただしければ、オオクニヌシの実在性が危うくなる。八十神にいたぶられた赤猪岩神社と黄泉比良坂のあいだあたりに根之堅洲國にある須賀の宮はないと不自然だ。この神社の存在は、出雲大社に対して失礼だと思う。

和歌の枕詞

  • posted at:2013-03-24 08:29
  • written by:遅れて古事記ファン


「あらかねの土にしては、すさのおのみことよりぞ起こりける。」(古今和歌集仮名序)
あらかねとは通常、土の枕詞であり、この文章は、
「(和歌はこの日本の)地においては須佐之男命の時から詠まれはじめた。」
となる。
しかし、出雲国風土記で意宇郡安来郷の地名由来には「スサノオノ命が、ここに来て、こころが安らかになった。だから安来とつけた。」あり定住を決めた発言とも読める。
記紀においてはヤマタノオロチを倒した後、稲田姫命をめとり「八雲立つ出雲八重垣妻篭めに、八重垣つくるその八重垣を」と日本最初の和歌を出雲で詠んで定住を開始したという。
古代より、鉄の産した安来の地のことを「あらかねのつち」=(新しい金属(鋼)を産する地)と訳せばあらゆることに説明がつくのである。

神の領域

  • posted at:2013-09-16 21:43
  • written by:八咫烏
 しかしやっぱり安来の須賀神社のほうが古事記の記述にあっていると思う。

プロフィール

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黒猫
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男性
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自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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