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ヤマタノオロチ伝承地の二箇所目は尾留(おとめ)大明神旧社地の紹介です。

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この地はスサノオがヤマタノオロチの尾を切り開き、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣を手に入れた地と伝えられているそうです。

目的地はこれに先立ち訪れた八口神社に程近い、小高い丘の上にありました。
まずは尾留大明神が遷座した先である御代(みしろ)神社に。
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鳥居と現地案内板


御代神社(式内社)御由緒

(鎮座地)      大原郡加茂町大字三代四八五
(主祭神)      素戔嗚尊 稲田姫命
(配祀神)      大山咋命
(境内神社・祭神) 高麻神社(青幡佐久佐日子命) 貴布禰神社(高龗神)
            稲荷神社(宇迦之御魂神) 荒神社 社日神
(本殿/神紋)   明神造・二重亀甲に剣花菱
(祭日/祭典)   例祭十月二十六日 祈年祭三月 新嘗祭十一月
            稲荷神社七月十四日 高麻神社十一月三日
(由緒・沿革)
 当社は延喜式神名帳ならびに出雲国風土記に登載せられた古社である。
主祭神・素戔嗚尊ご鎮座の起源は遠く神代の昔にさかのぼり、尊の八岐大蛇退治の神蹟と尊の神格により、この地方の拓殖を遂げられた御偉業に起因するものである。
 尊が高天原より天下り給い簸の川上に至って八岐大蛇をご退治になったとき大蛇狂乱の末その頭は下神原の草枕に、その尾は三代の地に斬り留められたと伝えられる。これを以て中世以来、社号を尾留大明神と称せられた。
特筆すべくは、元の御代神社の社地辺りが三種の神器の一つの天叢雲剱の発祥の地である。
 合祭されている大山咋命は、五穀豊穣・家庭日常生活の守り神としてそんおご神徳を仰ぎ広く信仰されている。当地方は大昔から治水事業に腐心を重ね、氏神さまを中心にして生活してきたものである。その年号は不明であるが、江州・滋賀県大津市坂本の日吉退社より大己貴命(大国主命で国土開拓・統治された)始め二十一神を分霊勧請したものである。社記によれば加茂町大字三代字東に鎮座し給う日吉神社は出雲国風土記に登載されている屋代郷比和神社で、その後日吉神社と称し神原村大字三代宮の東である現御代神社社地に建立された。
 御代神社は式内社として、延喜年間(901~922)に全国の由緒ある神社を調査して延喜式神名帳に登録されたものである。永正十年(1513)の古棟札を最古として以後の造立再建の棟札は保存されているが、祭神勧請の年号は不明である。
 当社は本来、御代神社を正号としてきたが中世以来、祭神のご神蹟により信仰上尾留大明神と称し、従って当社にある古棟札永正十年をはじめ以下天保十二年(1841)に至る十一枚の古棟札には尾留大明神と記されている。
これが現社号の御代神社と称号されるようになったのは明治維新改正後のことである。
明治三年(1870)に国家神道となり、明治五年(1872)に村社に列し、大正元年(1912)当社は神原村大字大津より旧日吉神社の旧社地の現在地に移転された。旧日吉神社は永禄四年(1561)より明治十六年(1883)までの造立再建の棟札が保存され、これによれば本殿、拝殿、随神門を有する立派な社殿であったが、大正元年に本社に合祀りされた。

   追記 三種の神器の一つ「天叢雲剱」は、これより西方約500mの大津地内にある旧社地あたりが
       発祥の地である。



草枕山を頭として、この地まで横たわるってヤマタノオロチ、大きすぎです。
草枕山の山頂部は失われていますが、ざっと目測で地図上で図ってみると数百メートルから1キロ近くの巨体という事になります。

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拝殿(左)と本殿(右)

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拝殿脇にも手書きの由緒書きがありました。

そしてこちらが本命の尾留大明神旧社地。
御代神社から少し離れた辺りにあります。
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現地案内板と「尾留大明神天叢雲剣発祥地」の石碑
現地案内板にはこのように書かれています。


尾留大明神旧社地(天叢雲剣の発祥地)
八塩折の酒に酔いつぶれた大蛇を退治した須佐之男命は、この御立藪で大蛇の尾を開いて宝剣を得られたが、その宝剣の上に怪しき雲があったので、「天叢雲剣」と名付けて天照大御神に献上になり、後、三種の神器の一つとして今も名古屋の熱田神宮に祭られている。この御立藪(現在は畑地)は須佐之男命と稲田姫を尾留大明神と称し広く崇拝されていたが、斐伊川の氾濫により、延享元年(一七四四)約二〇〇メートル南方のここ大津の丘陵中腹に移転。明治四年に御代神社と改称され、更に大正元年日吉神社地に移転合祀して今の御代神社(南方五〇〇メートル)となっている。



この碑の置かれている場所でもそれなりの高台になっているのですが、それでも移転を考えなければならないほど斐伊川の氾濫は凄まじいものだったのでしょう。

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「御代神社旧社地跡」と書かれた石碑もありました。

実は天叢雲剣の発祥地とされる場所は、他にも船越山山頂にあります。
そちらもいずれ訪れたいものです。


<<関連エントリー>>
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尾留大明神旧社地
場所:島根県雲南市加茂三代


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御代神社

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