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ヤマタノオロチ伝承地を訪ねて旅をしていた時、船通山に向かう道すがら、ちょっと気になる神社が眼の端を掠めました。
そこで、鳥上滝を訪ねて帰路に着く際、改めて足を運んでみる事にしました。
それがこちら「鬼神(おにかみ)神社」

onikamijinjya01.jpg
 


すいません、単純に名前に惹かれました^^
こちらの神社については、事前の下調べも全くしていなかったので詳細が分からなかったのですが、境内を散策してみました。

onikamijinjya02.jpg onikamijinjya03.jpg
(左) 境内に入って直ぐにまた鳥居が
(右) 拝殿

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(左) 拝殿から見た本殿
(右) 拝殿脇より本殿

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(左) 鬼神神社の扁額
(右) 拝殿脇にあった「由緒書き」

鬼神神社
鎮座地 仁多郡横田町大字大呂字小国2058の2番地
御祭神 五十猛尊 素盞鳴尊 他三柱尊
御陵地 総面積22.4アール、周囲175m、築土高10m、形状長円墳
祭礼日 例大祭十月十日 龍燈祭(御陵墓大蛇の魂 祭)八月七日

 天平五年(七三三)撰上の出雲国風土記の「爾多志枳小国」は此の地を指し、大呂は大風呂で、大きな森の意で、神亀三年(七二六)、大呂に改名。正倉が置かれてこの辺りの中心を成し、 延喜式(九二七)所載の官幣小社「伊我多気神社」は当社である。
 古記録に四十代天武、五十四代仁明、五十五代文徳命の時、朝廷より幣帛が奉られ、仁明天皇嘉祥四年(八五一)相藩正六位に叙せられたとある。正安四年(一三〇二)三澤代地頭として雨川へ入部、三澤郷、を経て 横田郷藤ヶ瀬へ本域移すも永正十六年(一五一九)三澤為國の時、尼子経久に攻略され、大呂城、竹崎城、船通寺、観音寺いずれも兵火に罹り「上宮伊我多気神社」も焼失した。
 御祭神は霊力絶大で、「威武(いたける)の神、邪気、怨霊折伏の神として鬼神伊我武大明神と称へたとあり、文永年間 三澤為忠、その子為國、永禄年間 三澤為清、尼子時久、寛永年間 堀尾忠晴等が建立寄進した。

 慶長九龍集甲辰菊月吉祥日、出雲国造千家元勝撰「出雲国仁多郡小国里鬼神大明神縁起」一巻(一六〇一)に、

 出雲国仁多郡横田荘小国里上宮船燈山鬼神伊我多気大明神者祭祀素盞鳴尊、 五十猛神也延喜式云五十猛陵地伊我多気社是也千然中世錯乱社号単称鬼神大明神也抑太古素盞鳴尊師其子五十猛神降到新羅国の挙白此地吾不欲居遂以埴土作舟乗之東渡到出雲国簸川上所在鳥上峯其舟成岩千今在社前止庶民崇敬岩船大明神也、焉初五十猛神天降之時多乃樹種而下然不殖韓地蓋以持帰遂始自築紫凡大八州国之内莫不播殖而青山焉一宮記白大己貴命兄五十猛神也 云々

  平成十年八月七日

鬼神神社社務所


由緒書きに漢文のままで書いておられると、読む人間が苦労します。
写真に収めておいたので、漢文の箇所は後でじっくり読む事にしておき、ざっと流し読みした所では八月七日に龍燈祭(御陵墓大蛇の魂 祭)という祭礼がありますので、ヤマタノオロチとあながち関係が無いわけではないのかな。
また祭神が五十猛尊となっています。道中には資料を持参していなかったのでうろ覚えですが、確か樹木の神様だったかな~、ということは「木の神」が転じて「鬼の神」になったのかも、と考えながら散策し、帰路に着きました。
妖怪の「鬼」とからむ伝承を期待していたのですが、少し残念。

帰宅後、自分で撮った写真と共に鬼神神社について調べてみました。
島根県のホームページ、神々の国しまね~古事記1300年~スペシャルサイトのしまね神話データフォルダ「鬼神神社の岩船、船燈山(御陵墓)」にしっかりと載せられていました。


入口にスサノオとイソタケルが乗ってきた船だという大岩あり。鎮守の杜は灯台のように船を照らしたとも。

鬼神神社の岩船、船燈山(御陵墓)
奥出雲町大呂地内に所在。神社の入口右手に、スサノオノミコトとイソタケルノミコトが乗ってきた船が岩になったと伝えられる、船形をした大岩がある。
この鬼神神社の鎮守の杜は、「船燈山」といい、スサノオノミコトとイソタケルノミコトが乗ってきた船を灯台のように照らした山と伝えられている。



あらら、そのような大岩があったのですね。案内板か何かあったのかもしれないけど気がつかなかったな~、と思いつつ、改めて由緒書きの漢文の部分を読んでみると・・・

抑太古素盞鳴尊師其子五十猛神降到新羅国の挙白此地吾不欲居遂以埴土作舟乗之東渡到出雲国簸川上所在鳥上峯其舟成岩千今在社前庶民崇敬岩船大明神也

しっかり書いてありましたorz
そういえば境内に入る右手に大きな岩があったのは眼に止まっていたのですが、それがそのような由来のものだったとは・・・
めんどくさがらずに現地で読んでおけば良かったと後悔しきりです。

最初名前に惹かれて立ち寄ってみましたが、古事記の記述に従えばヤマタノオロチ退治はこの地にスサノオが降り立った事から始まることもあり、案外重要な場所なのかもしれませんね。


<<関連エントリー>>
ヤマタノオロチ-島根県雲南市・八口神社-
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ヤマタノオロチ-島根県仁多郡・鳥上滝-
ヤマタノオロチ或いはスサノオ-島根県雲南市・須我神社-

鬼神神社
場所:島根県仁多郡横田町大字大呂字小国2058の2番地


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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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