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泣き蘇鉄-妙國寺-

この所、かみさんの仕事が忙しいらしく、土曜日も仕事に出かけることが多いです。
よって、今度は下の息子と一日過ごすのに、黒猫の趣味に付き合せて堺市の伝承地をふらふらしてきました。
まず目指したのは、大蘇鉄で有名な妙国寺です。

myoukokuji08.jpg

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QUOカードが当たったぞ~

黒猫は「ゲゲゲの妖怪わくわく探検隊」にも妖怪スポットの投稿もちょくちょくしているのですが、今回そこの抽選にあたってQUOカードをいただくことが出来ました。

QUOcard01.jpg

景品付きのモノに投稿なんて、これまであまり縁がなかったのですが、これはこれで嬉しいものですね。

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表題の通り、ちょっと気が向いてツイッターに加入してみました。
このブログが更新されるとツイート出来るようにも設定できるようなので、早速実験がてらこの書込をしてみました。

ユーザー名は、youkai_kuronekoですので宜しければ、Twitterでもかまってあげて下さい。

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大蛇-勿入渕跡-

平成の現在、大東市を北東から西にかけて寝屋川が横切っていますが、かつては大東市の西側、諸福のあたりに「勿入の淵(或いは、内助の淵)」という有名な大きな淵がありました。
この淵は、諸福村(現:大東市諸福)から長田村(東大阪市長田)まであったと伝えられ、淵というよりも池という方が相応しいような規模のものだったようです。
実際、江戸時代、貝原益軒は『南遊紀行』の中で以下のように描写しています。

内助が淵は大池なり。ふかうの池の西南にあたり、ふかうの池とは別也。方八町ばかり有。蓮多く、魚多し。三ケより漁人行て採る。又其邊にも、漁家少あり。是又山根の大道には少しへだゝれり

江戸期に一度大きな治水事業があり、また近代に入り再度治水事業がすすめられ、現在はかつて淵のあった近辺に勿入渕碑があるだけですが、「河内名所図会」にも、

勿入渕 諸福村にあり土人内助の淵と呼ぶ

と、記述される程、名所としても知られていました。
他、古くは清少納言の「枕草子」の中でこの淵について触れているくだりもあります。
この淵には、いくつか淵の主に関する民話が残されています。
 

nariisonofuchi04.jpg


 

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妻が仕事で出かけ、かつ黒猫が休みを取っているとある土曜日。
上の娘(小学3年生)と一緒に模型作り(ちなみにガンプラ。黒猫はアッガイ、娘はベアッガイを購入;;ナニガ カナシュウテ、アッガイ ヲ ツクッテイルンダロw)に勤しんで、模型に塗る塗料を買出しに心霊スポットとしても有名な難波のビッグカメラまで自転車で出かけた際、折角だからちょっと物珍しい場所でも行ってみるか、と「難波八阪神社」まで脚を伸ばしてきました。

この神社は「大獅子殿」という大きな獅子舞の頭を模した舞台があることで有名です。
 

nanbayasakajinjya03.jpg


 


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プロフィール

HN:
黒猫
性別:
男性
趣味:
自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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