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かつて京都の東の方、清水寺の近辺は鳥部野(鳥辺野)と呼ばれ、人の亡骸はそちらへ運び込まれていました。その辺りは彼岸の地であり異界であったわけです。
そしてその入口にあたるとされた場所は、「六道の辻」と呼ばれており現在の六道珍皇寺のある辺りであると云われています。

Rokudouchinnouji03.jpg

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栄枯盛衰は世の習い。
かつて日本では戦国武将たちが覇を争っていましたが織田信長の亡き後、豊臣秀吉がその後を継いで天下統一を成し得ます。
その秀吉の甥である豊臣秀次は不幸な事件で幕を下ろしたことで知られています。
その秀次にまつわるモノが京都市中京区にある瑞泉寺に残されています。

Zuisenji07.jpg

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鵺が源頼政によって退治され、その亡骸は大川に流され、現在の大阪市淀川区と兵庫県芦屋市の二箇所に流れ着いたという話は有名で、黒猫もその伝承地を訪ね歩いてきました。
しかし鵺にはもうひとつ違う伝承があるとされ、随所で紹介されています。

Nue.jpg
 

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この所、府外の記事ばかり書いています・・・
季節が良いので遠出する事が多かった故なのですが、また府内中心に記事を書いていきたいなと思いつつ。

古来、日本人の思想の中で境界というのは常に大きな意味を持っていました。
此方と彼方の境目には、彼方の住人であるモノノケや霊達がやってきていると信じられていました。
ムラと山の境界、ムラとムラの境界、地と川の境界である川原、地と海の境界である海岸。
時間帯についても同じです。
此方の住人の時間帯である昼と、彼方の時間の住人の時間である夜との移り変わりの時間は、常に妖のモノと遭遇しやすい時間帯であるとされています。

ゆえに、それらの境界における怪談には事欠きません。
その中でも京都における最も有名な、「一条戻橋」を紹介させていただきます。

seimeijinjy25.jpg

 

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京都へ遊びに行ったついで、晴明神社にも足を運んできました。
この神社は、おそらく最も有名な陰陽師である安倍晴明が生前住んでいた屋敷を、晴明が亡くなられた時の帝である一条天皇が晴明の偉業を称え、また晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘四年(1007年)、その御魂を鎮めるために創建されたと伝えられています。
 

Abe_Seimei.jpg


 


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プロフィール

HN:
黒猫
性別:
男性
趣味:
自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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