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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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この伝承地も兵庫県とはいっても、大阪府の眼と鼻の先です。
この辺りでは、直ぐ近くを流れる猪名川の対岸が大阪府となっています。
猪名川・五月山一帯に伝わるという九頭竜伝承については、
九頭竜-九頭竜権現社-
を参照して下さい。
さて、この地に伝わる伝承ですが、九頭竜-九頭の社-の現地案内板に記されているように、源満仲公によって放たれた矢が五月山の西北にある河水をたたえた湖に光を放って落ちその湖の主として住む雌雄二頭の竜の内一頭に当たったという故事に由来を持ちます。
その結果、一頭はその地で死んだわけですが、一頭は山を突破り、しばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森、(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天されたと云います。
後に、その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が建立され祀られることとなったそうで、これが現代にも残されているようです。
しかし、訪問して分かったのですが、かつて白龍神社とされた神社は、現在は「鹿島神社 稲荷神社 藤森神社」として小戸神社の境内末社となっていました。
訪ねて行ったのは、平成23年7月17日だったのですが、夏越の大祓で執り行われる茅の輪くぐりが未だ出来るように設置されていました。
小戸神社由来
本殿左手に目的の末社があります。
こちらが白龍神社。
ただし、下に拡大して撮っている張り紙を見る限り、現在では正確には「鹿島神社 稲荷神社 藤森神社」というのが正式となっている様です。
張り紙がされており、記載されている内容が以下のものです。
小戸神社 末社
鹿島神社
稲荷神社(八阪神社末社 合祀)
藤森神社(合祀・分霊)
この社は、昭和三十年代に結成された白龍講によって「白龍神社」と呼ばれるようになりましたが、平成二十年を以って白龍講は解散しました。
宝暦六年(一七五六)に記された古文書に、小戸神社末社「鹿島神社」としてこの社の記載があります。
また「稲荷神社」は明治四十二年明治政府の合祀令により、現在の小戸三丁目の猪名川沿いに鎮座された八阪神社の末社の稲荷神社をこの社に合祀されました。
さらに小花藤木に鎮座された「藤森神社」も同年に合祀されました。
大正十一年合祀令の廃止により、藤森神社は元の小花の郷に戻られましたが、現在も御分霊をお祀りしています。
永らく白龍神社と呼ばれてまいりましたが、今後は元の社名に復古し鹿島神社・稲荷神社・藤森神社として小戸神社の末社と呼称します。
平成二十一年
白龍神社という名前自体、今後目にする期会が無くなっていくのかも知れません。
そもそも、この張り紙の記載を見る限り、こちらが白龍神社と呼ばれるようになったのは昭和三十年の事と読めます。
以前には別の場所に白龍神社があったのがどこか分からなくなり、当時名称の分からなかった現小戸神社末社を白龍神社としたという事でしょうか?
そう考えると、現在池田市建石町にある九頭龍神社こそが、本来の白龍神社だったのかな?とも想像を膨らませてしまいます。
<<関連エントリー>>
九頭竜-九頭竜権現社-
九頭竜-兵庫県川西市・九頭の社-
九頭竜-九頭竜神社-
九頭竜-兵庫県尼崎市・久々知須佐男神社-
小戸神社
場所:兵庫県川西市小戸一丁目13-17
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