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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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平成23年のお盆は、鳥取県米子近くにある妻の実家に、黒猫一家は数日間帰省させて頂きました。
その前日は私の実家にも遊びに行ってましたが、夏期休暇とはいえなかなかのんびり出来ないものです。
さて、今回帰省したついでに山陰の伝承地も色々回ってこようと画策し(その下調べをしていて更新が滞っていたのですよ、と言い訳を…)、事前にいろいろ調べてからあちこち回ってきました。
ですので、このブログも夏休みスペシャルという訳では有りませんが、暫くの間山陰の伝承地の紹介をさせて頂こうと思います。
今回はヤマタノオロチ伝承地数箇所と、大国主が殺され、また甦った伝承の残る赤猪岩神社と、人魚伝説の残る粟島神社を訪ねてきました。
黒猫の行動での時系列で言えば一番最後になるのですが、今回は粟島神社を紹介させていただこうと思います。
この地にまつわる伝承については、米子市のホームページにて「粟島の八百べくさん」として紹介されています。
「粟島の八百べく(比丘尼)さん」
粟嶋神社がある所は、昔は文字通りの島で、舟の渡し賃は3文だったそうですよ。
昔、この粟嶋に数人で信仰していたリンゴン(龍神)講があって、当番になると神さん拝みの後、講仲間にごちそうを出すのがきまりでした。
ある年の当番が、ごちそうぶりに見たことのない肉を出しました。聞くと「これは人魚の肉で食べるとうまいし、不老長寿の肉だよ」と言いました。みんなは珍しげに見たもんの気味が悪うて、け、食べたふりをして肉を着物のたもとに入れ、帰りの舟の中で海に捨てたそうです。
ところが、一人だけ酒に酔っぱらっておって捨て忘れた人がいました。こな衆は、家に戻るとじきにいびきをかいて寝てしまいました。家には18になる娘がいて、父親の着物を脱がせていて、たもとにあった肉を見つけ、土産だ、と思って食べてしまいました。
はじめ体がとろけるように思われて、ちょっと気を失い、気が付くと肌はつるつる、耳はアリの歩く音、眼はノミが蜂ほどに見えるようになった。それからです。この人はなんぼ年をとっても、18の娘のまんまで老けんようになりました。同い年の者は、みんなしわくちゃ婆さんになって死んで行くのに、われ一人何年経っても一向に年をとりません。
寂しいでしょうで、知った者がみんな死んでしまって、自分だけ生き残っとるのは。『定(ジョウ)に入(い)る』って言いますが、食を絶ってわざと死ぬことを。この人も仏壇の鐘を持ち出いて、そげして村人に「わしは粟嶋に渡って定に入る。 生きとる間は鐘をチーン、チーンと打つ。 音がせんようになった時が、わしの命日だと思うてごせ」って言って洞穴に入られたそうです。 定に入って何日か後に鐘が鳴らんようになりました。 その時この人は800歳だったので、村人は、八百べくさん、と言いましたと。 べくさんとは比丘尼(びくに)、女の坊さんのことです。
今でも、この洞穴(静の岩屋)は残っていて、戦争中は出征兵士の武運長久を祈って参る人が多かったですよ。
9月15日は敬老の日。長生きして良かった、と思える毎日でありたいものです。
帰省の折ですので折角ですから子供もつれて行くことにしました。
奇しくも、少し前に黒猫の家で以前録画してあった髙橋留美子原作のアニメ、るーみっくわーるどの「人魚の森」と「人魚の傷」及び「高橋留美子劇場 人魚の森」全話を見たところでした。
その上でさらに念入りに、前日の晩に夏の夜の風物詩である怪談話を子供達、甥や姪に聞かせての訪問です。
今回の黒猫の話した怪談話は「コトリバコ」、今回訪問先の「八百比丘尼」、小泉八雲の「幽霊滝」、日野橋に出たという幽霊、そして怪談とはちょっと違いますが大国主が殺されたという赤猪岩神社に残る「猪に似た岩」を封じてある石を動かせば呪いがかかる…といったもの。
全て地元の話なので中々受けが良かったのですが、日野橋に関しては幽霊の噂を聞いたことがない、むしろもう少し浜辺の某施設ではないか、という声も黒猫の義兄弟から聞こえたりしました。
この小山のような場所が、粟島神社になります。写真に写っているのが甥と姪。
ちなみに我が娘は脅かしすぎたのか、今回の訪問では私の側を離れることは有りませんでした。
案内板
鳥居をくぐって登山開始です。
なんでも石段は188段あるのだとか。
途中いくつか小祠もありました。
本殿到着。
やはり出雲地方の注連縄は立派ですね。
案内板その2
目的地である静の岩屋は本殿の方には上がらず、山の右手から回りこめるようです。
そして、こちらが目的地である「静の岩屋」。
奥は案外広くなっているようにも見えます。
出発したのが18時頃、そしてもう19時近くになっていたのであたりは薄暗くなってきました。
逢魔が時、黄昏時と呼ばれる時間帯です。
黄昏時は「誰そ彼」時であると述べたのは柳田國男だったかな。子供達の顔も分かりにくくなって来ました。
境界の時間であるこの時間は、妖を感じるには実に良い時間です。
小彦名命がこの島に辿りついた場所とされる「御岩宮祠」
この神社の御祭神は小彦名命。
小彦名命といえば薬の神。薬の神の神域に、人魚の肉を喰ってしまった為とはいえ、長寿になった人間が棲んだとされる伝承が残っているのですね。
この辺りを切り口に郷土史を調べて見るのも面白いやも知れません。
粟島神社
場所:鳥取県米子市彦名町1404番地
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