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名月姫-名月峠-

名月姫の悲話は近畿圏では比較的知られているお話ではないでしょうか?
姫の名前から名づけられた名月峠には、現在も姫の墓が残されています。

meigetuhime06.jpg


「大阪府全史」に以下の記述が見られます。

名月姫墓
大字柏原の東方名月峠に在り。姫は三ツ松刑部左衛門の女にして能瀬蔵人家包の室なり、艶麗端正、恰、名月の如きを以って此の名あり。嘗、平相國清盛之れを聞き數次招きしが節を全うして應ぜざりしかば清盛怒りて國春及び家包を召して之れを強ふ。二人相國の権威に怖れ諾して家に帰り姫に告ぐるに實を以ってす。姫、及、孝貞の両道を思ひて遂に自刃し、屍を玆に葬る。後世其の貞節を嘉し山及び峠に命ずるに名月の名を以ってし永く其の美徳を表すといふ。
墓は田尻に通ずる近来開設の路畔にあり少許の地にして松櫻數樹葛虆之れを纏ひ、塔は其の下に在りて荊棘の滋蔓に任じ五輪にして高さ五尺許、左右に亦小形の五輪塔あり國春及び家包の墓なりと云ふ。風曝淋茲に七百歳、地亦凄寂として偏へに今昔の威を惹く。

平清盛に召されようとしたものの、夫への貞節から自害してしまう名月姫のお話です。

meigetuhime01.jpg meigetuhime02.jpg
バス停のすぐ脇に現地案内板がありました。

名月姫
 摂津御園荘浜村(現・尼崎市)に三松刑部左衛門尉国春という領主がいた。
 国春夫婦には長らく子がなかったので、大日如来に願をかけ中秋名月の夜に女の子を得た。夫婦は美しい名月にあやかり、名月姫と名付けたが、成長するにますます容姿艶麗の美貌は四方に知れ渡り、遂に能瀬家包の妻となった。
 その後平穏な日々を過ごしていたが、ある日時の相国平清盛に見初められ、夫(家包)やしばらく住みなれた大里の地と離別する羽目になった。
 名月姫は悲涙に明け暮れたが清盛の権力には抗し切れず、福原(神戸市兵庫区)に向かう途中、夫(家包)への貞節を守り、この峠において自害し果てた。そのなきがらを峠に葬ったので誰いうとなく、名月峠と言うようになった。
 中央が名月姫の供養塔である宝篋印塔で、屋蓋の隅飾りの散蓮は能瀬特有の近江式装飾文で鎌倉時代後期の作である。左右の五輪塔は夫家包・父国春の供養塔である。
 今も嫁入りには姫の墓前をはばかって、通行しない習俗が残っており、道行く何人かは知れないが線香や野の花が供えられている。

案内板にも書かれていますが、平成の現在でも結婚に関係する車両は、この峠を通る事を控えているそうです。

meigetuhime03.jpg meigetuhime04.jpg
バス停の近くにはもう風化しつつある地蔵や、石に彫られた「左 名月姫墓」という碑が。
古くから参られる人がそれなりにいたのでしょう。

meigetuhime05.jpg
バス停から府道4号沿いに少し歩いていきます。

meigetuhime06.jpg
こちらが名月姫の墓。
年代を感じさせます。


名月姫墓
場所:大阪府豊能郡能勢町 名月峠

 

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