嶋下ノ郡 別府村 虎ノ宮跡ト云所ヨリ出テ片山村ノ樹上ニ留ル火玉也
多ハ雨夜ニ出
逢人火縄ヲ見レバ必ズ消トナリ
虎宮或ハ奈豆岐宮ト称ス
是則日光坊之一族其脳ヲ祭神ト云ル俗伝アリ
延喜式武庫郡名次神ヲ祭ルカ
((黒猫による現代訳))
別府村にある虎宮という所から出て、片山村の樹上に留まる火の玉の事をいう。
雨の夜に多く出る。
これに遭遇した人は火縄を見せれば必ず消えるという。
虎宮或は奈豆岐宮という。
ここには、日光坊の一族がその脳を祀っているという俗伝がある。
延喜式に、武庫郡名次神をまつるともある。
-摂陽群談 十七「虎宮火」より抜粋、及び黒猫による現代語訳-
[4回]
「摂陽群談」は、早稲田大学古典籍総合データベースにHtml、pdfの形で収められていますので、原文を確認してみたい方は一度ご覧になってみてください。
上に打ってみたものも、原文が古い字体なので、少し怪しい所もありますが概ね間違っていないと思います。
誤っている箇所をお気づきの方は教えていただけたら幸いです。
また、「諸国里人談」にも同じ記述を見ることができます。こちらも早稲田大学古典籍総合データベースにて原文を見ることができます。
三巻光火部にあります。
さて、虎宮火ですが摂陽群談が伝えるところによると、その由来として日光坊の名を上げているところを思えば、「日光坊・ニ魂坊あるいはニ恨坊の火」とも関係が深そうです。
或は「日光坊・ニ魂坊あるいはニ恨坊の火」の地域による別称なのかも知れませんね。
それにしても、俗説どおりなら日光坊の一族脳を祀るって、どんな猟奇的な祀り方をしているのでしょう…
てなことで現地に出発。
と、言っても手がかりは、摂陽群談が書かれた時に、既に社跡となっていた別府村にあったという虎宮と、片山村の樹上に見られたという2点のみ。
幸い、別府村と片山村は、現在もそれぞれ摂津市別府町と吹田市片山町として地名が残っています。
ネットなどで下調べをして見ましたが、虎宮跡らしきものは見つけることができませんでしたので、片山町に絞って脚を運んでみる事にしました。
とは言うものの、それ以外の手がかりはありません。
地図で見る限り、別府村と片山村は直線距離にしても数キロ離れており、間には少しずれますが「日光坊・ニ魂坊あるいはニ恨坊の火」の舞台と言い伝えもある高浜神社もあるので、その二つの村を関連付ける何かがあるのでしょう。
その時ふと思いついたのが、別府村、あるいは別府村と片山村の間から片山村の方向に見えた木に火の玉が見えたのではないだろうか、という考えでした。
少し強引だとは思いますが、他に手がかりもない事ですし、かなり大きな古木か丘でも見えればいいなと片山町にあった歩道橋(天童町交番前交差点近く)に登って、周囲を見回してみました。
この近辺は、あまり高い建物は少なく、歩道橋に登るだけでもある程度周囲の高い物を見回すことができました。
で、早速見回してみたところ、右上の写真に写っているように小高い山の山頂近辺と思われる場所だけが林のようになっている場所を発見。
地図で確認すると、そのあたりの町名は藤が丘、若しくは朝日が丘というらしい。
実はこの日、中の人は大阪市中央区在住にもかかわらず、茨木市、吹田市まで自転車(しかもママチャリ)で遠征するという暴挙に出ており、この時既に万博公園より北から戻ってきている最中という状態でした。
ランナーズハイにもにた心境なのでしょう。
早速、その山頂目指して自転車をこぎだしました。
登っている途中にあった公園。
大井池公園というらしいです。
公園は小山の中腹にあるにしては広いグランドがあり、名前からもかつては池だったのでしょう。
山頂に到着。
なにやら祀っている様子…
(左)愛宕大神と石碑があります。
愛宕信仰に関係するものなのでしょう。
(右)由来は分かりませんが石仏もありました。
この山頂であれば別府村からでも、まず間違いなく見えたことでしょう。
帰宅してから調べてみれば、この山は愛宕山というらしいです。
で、この山頂部は「片山村字山神」と言うらしく、1907年、素盞鳴命神社への合祀によって廃社となったそうです。
また、石仏が載せられてある煉瓦作の構造物は、かつてそこで火を灯した跡だったようです。
勢いで山頂まで上がってきてみましたが、ひょっとしてビンゴだったのかも知れません。
少し個人的な解釈を。
この虎宮火ですが「摂津名所図会」にも記載があり、概ねの内容は「摂陽群談」「諸国里人談」と同じなのですが、
按ずるに霧雨の後、湿地に暑熱籠り自然と生じるものなり
という内容が付け加えられています。
科学全盛の現代では、火の玉は湿地帯などの燐が燃えるのが原因ではないか、とよく言われます。
片山村にある愛宕山は、今回訪問したときに通りがかった大井池公園のほか、地図で見る限りいくつか小池が点在し、昔はさらに多くの池沼、小川が点在していたのであろうと思われます。
そういった所で見られた火の玉(当然昔は火の怪異とされたのでしょう)を説明するのに虎宮火という伝承が生まれていったのではないでしょうか。
また、怪異が目撃されるのは片山村ですが、その発生したのは別府村とされており、別府村でなければならなかった何らかの理由があるはずです。
伝承では、それを曖昧ながらも日光坊にからめて説明していますが、日光坊にまつわる怪異は日光坊・ニ魂坊或は二恨坊の火として名前を与えられてしまっています。
しかし、それ以外でも別府村から片山村にかけて、特に片山村の愛宕山にて火の怪異がよく見られるために、こちらの怪異には別の名前が与えられる必要があったのではないかと想像します。
そして片山村の怪異は、愛宕信仰へ習合されていったのではないでしょうか。
片山村字山神
場所:大阪府吹田市朝日が丘町