猪名川・五月山一帯には九頭竜にまつわる伝承が伝わっています。
今回はその伝承地の一つ九頭竜権現社を目指して、豊能郡まで足を運んできました。
以下、wikipedia(九頭竜伝承)からの抜粋
久々知妙見宮は清和源氏の祖、源満仲(または多田満仲 912年? - 997年?)が開基したと伝わる妙見宮である。
天徳元年(957年)源満仲が矢文を放ったところ、岩に当たった。その岩を矢文石と名付けて、その地に北辰星(妙見宮)を祀ったと伝わる。その後、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられたとき、源満仲が新しい館をどこに築こうか思い悩み、同国一の宮の住吉大社に参籠した。参籠して二十七日目、『北の空に向って矢を射よ。その矢の(落ちる)とどまる所を居城とすべし』との神託を受けて、満仲は鏑矢を放った。家来を引き連れた満仲は、空高く五月山を越え放たれた矢を追いながら鼓ヶ滝付近まで来た時、白髪の老人に出会い、矢の落ちた場所を知ることが出来た。この場所は「矢を問うたところ」として、『矢問(やとう)』という地名で残っている。
満仲が老人に教えられた場所に行ってみると、河水をたたえた湖(沼)があり、その湖の主の九つの頭をもった雌雄二頭の大蛇(九頭龍)の内の一頭の大蛇大龍の目に射た矢が刺さり、暴れまわっていた。一頭はこの地で死に血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。もう一頭は死に物狂いに山を突き破り飛び出し、湖水は鼓を打つような音をたてて滝となって流れ出た。龍はしばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森、(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天された。後に、その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が建立され祀られることとなる。湖沼の水は干き、よく肥えた土地が残り、多くの田畑が出来ることとなった。そのため 後に「多田」という地名が付けられる。村人等は九頭龍の犠牲の御陰で田畑が拓かれた事を甚く感謝し、九頭龍大明神、九頭龍大権現、白龍大神と崇め御祀りした。満仲は、この地に居城を築き、多田源氏を名乗った。
少なくとも1988年までは、上記の九頭龍が死んだ場所として『九頭死(くずし)』という地名が残っていた。現在は「寿久井の地蔵尊」という地名の付近。
兵庫県川西市の九頭神社は、九つの霊石を御祀りして首から上の病に効く神として信仰され頭痛歯痛眼の病等の平癒に効くと伝えられる。最近は こっそりと「頭の良くなるように」と祈る若者の御参りもあるという。
猪名川・五月山(能勢~多田~池田市)一帯で「九頭龍大(明)神」その対の「白龍大(明)神」等として祀られている場所
・九頭竜権現社(木造祠風) - 大阪府豊能郡能勢町山田(湯小屋神社の北東150mの山中 妙見宮の妙見菩薩信仰の元となる妙見山 (能勢)に祀られている隕石の落下地点「能勢町稲地」から北西1400m程の場所)
・九頭神社 - 大阪府豊能郡豊能町余野
・九頭神社 - 兵庫県川西市東多田2(住宅街の外れ)
・九頭竜神社 - 大阪府池田市建石町と上池田の境界付近(池田城の砦跡地か)
・白龍神社(小戸神社内) - 兵庫県川西市小戸1-13-17(天王宮、中橋西と呼ばれる辺り)
大正時代頃まで「摂津国能勢郡西郷村大字宿野字九頭森」等、地名にそのまま九頭龍の名が残っていた。
須佐男神社(旧・久々知妙見宮)(兵庫県尼崎市久々知1-3-28)に満仲が弓矢を放ったという伝承の残る岩(矢文石)が残る(尼崎列車脱線事故現場から北東へ700m程のところ)。
これだけを頼りに、あちこちを訪ねまわる事にしました。
まずは自宅から一番遠い九頭竜権現社を目指す事としました。
記述を頼りに湯小屋神社を目指します。
これは直ぐ見つかりました。
湯小屋神社とその案内。
神社と入っても小祠があるだけのものです。
湯小屋の森(湯小屋の祠)
「湯小屋の森」は、延喜式内社岐尼神社との縁由が深く、同社の秋の祭事に当たっては、古くは岐尼社の神輿(神魂)がここに神幸され、湧出する霊水のお湯が捧げられる。つづいて母神(いざなみの命)の鎮座する新宮神社(垂水)へ向かわれるならわしとなっていた。
里人の伝えるところでは、岐尼の神はこの湯小屋で産湯されたという。また故老によると、かつての山田村の神事がとり行われる時、この湯小屋の森で精進潔斎をし、水を浴び沐浴したところといわれ、さらに近くでは里人らの産後の湯ごもりをしたところとも伝えている。
古来より神霊(神輿)が神幸する御旅所はもっとも清浄な地とされている。この森の位置は谷が広がりはじめ、村が一望される地にある。さらに神霊(神輿)の禊には付近に湧出する塩水(鉱泉)ひそ、より一層浄祓には効験があるとされ、清浄地に起因するものがいくつかあげられる。
一般には御旅所は本社(岐尼神社)から一、二粁離れたところとされ、ここ湯小屋の森はまさに適地と考えられる。
さらにこの地より南東五百米には社殿が造られる以前の祭祀遺跡(岐尼祭祀遺跡)や、母神とされる新宮神社、岐尼神の産湯の湯小屋、これらは一連のものと考えられ、岐尼社の祖形を思わせるものがある。
螢雪のめぐり行く中、神輿洗神神事と渡御を中心とする二つの神事が習合されて、ある時代まで存続されたものであろう。
平成八年三月
能勢町教育委員会
この地は延喜式内社である岐尼神社と関係が深そうです。
しかし、案内からはこれ以上の情報を読み取る事は出来ません。
そして湯小屋神社から北東の山中というと、下の写真のようになっています。
早速あちこち山中の様子をうかがってみました。
しかし…目当ての九頭竜権現社が見つかりません。
現地に足を運べば何か手がかりがあるのでは、と思いあちらこちら探し回ってみたのですが、それらしきものは何も有りません。
山に入っていく舗装された道は幾つか行ってみたのですが、それらしきものはありませんでした。
偶々道でであった集落の人に聞いてみたのですが、そのような社は知らないとの事。
山は杉が植林されており、尚且つ手入れされている状態でしたので、どなたかの所有物であるのは間違いないので、山に入るのは断念し、今回は引き上げてきました。
しかし、諦めきれないので帰宅後ネットでこの社に関する情報を探してみたところ、漸くこの社について触れられているサイトを見つけることが出来ました。
岐尼神社(神奈備)
やはり、個人所有の山中に有ったようです。これはわかり難い。
しかし、黒猫もこの付近の山道には行っていたのですが…
地図上のポイントがずれていなければ、直ぐ近く(恐らく10m圏内)まで近づいていたはずなのですが…見つけられなかったのは残念。
それにしても勝手に入るわけに行かないでしょうし、山の持ち主とコンタクトするのも難しいでしょう。
どうしたものか…
<<関連エントリー>>
九頭竜-兵庫県川西市・九頭の社-
九頭竜-兵庫県川西市・小戸神社 末社-
九頭竜-九頭竜神社-
九頭竜-兵庫県尼崎市・久々知須佐男神社-
九頭竜権現社(或いは九頭祠)
場所:大阪府豊能郡能勢町山田
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
備忘録
大阪府豊能郡豊能町余野にあるという九頭神社も探しに行ったのですが見つけられず。
ネット上でもそれに関する情報が何も無いようです。
さて、どうしたものか…
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
Entry//
[4回]
PR
以下、wikipedia(九頭竜伝承)からの抜粋
久々知妙見宮は清和源氏の祖、源満仲(または多田満仲 912年? - 997年?)が開基したと伝わる妙見宮である。
天徳元年(957年)源満仲が矢文を放ったところ、岩に当たった。その岩を矢文石と名付けて、その地に北辰星(妙見宮)を祀ったと伝わる。その後、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられたとき、源満仲が新しい館をどこに築こうか思い悩み、同国一の宮の住吉大社に参籠した。参籠して二十七日目、『北の空に向って矢を射よ。その矢の(落ちる)とどまる所を居城とすべし』との神託を受けて、満仲は鏑矢を放った。家来を引き連れた満仲は、空高く五月山を越え放たれた矢を追いながら鼓ヶ滝付近まで来た時、白髪の老人に出会い、矢の落ちた場所を知ることが出来た。この場所は「矢を問うたところ」として、『矢問(やとう)』という地名で残っている。
満仲が老人に教えられた場所に行ってみると、河水をたたえた湖(沼)があり、その湖の主の九つの頭をもった雌雄二頭の大蛇(九頭龍)の内の一頭の大蛇大龍の目に射た矢が刺さり、暴れまわっていた。一頭はこの地で死に血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。もう一頭は死に物狂いに山を突き破り飛び出し、湖水は鼓を打つような音をたてて滝となって流れ出た。龍はしばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森、(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天された。後に、その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が建立され祀られることとなる。湖沼の水は干き、よく肥えた土地が残り、多くの田畑が出来ることとなった。そのため 後に「多田」という地名が付けられる。村人等は九頭龍の犠牲の御陰で田畑が拓かれた事を甚く感謝し、九頭龍大明神、九頭龍大権現、白龍大神と崇め御祀りした。満仲は、この地に居城を築き、多田源氏を名乗った。
少なくとも1988年までは、上記の九頭龍が死んだ場所として『九頭死(くずし)』という地名が残っていた。現在は「寿久井の地蔵尊」という地名の付近。
兵庫県川西市の九頭神社は、九つの霊石を御祀りして首から上の病に効く神として信仰され頭痛歯痛眼の病等の平癒に効くと伝えられる。最近は こっそりと「頭の良くなるように」と祈る若者の御参りもあるという。
猪名川・五月山(能勢~多田~池田市)一帯で「九頭龍大(明)神」その対の「白龍大(明)神」等として祀られている場所
・九頭竜権現社(木造祠風) - 大阪府豊能郡能勢町山田(湯小屋神社の北東150mの山中 妙見宮の妙見菩薩信仰の元となる妙見山 (能勢)に祀られている隕石の落下地点「能勢町稲地」から北西1400m程の場所)
・九頭神社 - 大阪府豊能郡豊能町余野
・九頭神社 - 兵庫県川西市東多田2(住宅街の外れ)
・九頭竜神社 - 大阪府池田市建石町と上池田の境界付近(池田城の砦跡地か)
・白龍神社(小戸神社内) - 兵庫県川西市小戸1-13-17(天王宮、中橋西と呼ばれる辺り)
大正時代頃まで「摂津国能勢郡西郷村大字宿野字九頭森」等、地名にそのまま九頭龍の名が残っていた。
須佐男神社(旧・久々知妙見宮)(兵庫県尼崎市久々知1-3-28)に満仲が弓矢を放ったという伝承の残る岩(矢文石)が残る(尼崎列車脱線事故現場から北東へ700m程のところ)。
これだけを頼りに、あちこちを訪ねまわる事にしました。
まずは自宅から一番遠い九頭竜権現社を目指す事としました。
記述を頼りに湯小屋神社を目指します。
これは直ぐ見つかりました。
湯小屋神社とその案内。
神社と入っても小祠があるだけのものです。
湯小屋の森(湯小屋の祠)
「湯小屋の森」は、延喜式内社岐尼神社との縁由が深く、同社の秋の祭事に当たっては、古くは岐尼社の神輿(神魂)がここに神幸され、湧出する霊水のお湯が捧げられる。つづいて母神(いざなみの命)の鎮座する新宮神社(垂水)へ向かわれるならわしとなっていた。
里人の伝えるところでは、岐尼の神はこの湯小屋で産湯されたという。また故老によると、かつての山田村の神事がとり行われる時、この湯小屋の森で精進潔斎をし、水を浴び沐浴したところといわれ、さらに近くでは里人らの産後の湯ごもりをしたところとも伝えている。
古来より神霊(神輿)が神幸する御旅所はもっとも清浄な地とされている。この森の位置は谷が広がりはじめ、村が一望される地にある。さらに神霊(神輿)の禊には付近に湧出する塩水(鉱泉)ひそ、より一層浄祓には効験があるとされ、清浄地に起因するものがいくつかあげられる。
一般には御旅所は本社(岐尼神社)から一、二粁離れたところとされ、ここ湯小屋の森はまさに適地と考えられる。
さらにこの地より南東五百米には社殿が造られる以前の祭祀遺跡(岐尼祭祀遺跡)や、母神とされる新宮神社、岐尼神の産湯の湯小屋、これらは一連のものと考えられ、岐尼社の祖形を思わせるものがある。
螢雪のめぐり行く中、神輿洗神神事と渡御を中心とする二つの神事が習合されて、ある時代まで存続されたものであろう。
平成八年三月
能勢町教育委員会
この地は延喜式内社である岐尼神社と関係が深そうです。
しかし、案内からはこれ以上の情報を読み取る事は出来ません。
そして湯小屋神社から北東の山中というと、下の写真のようになっています。
早速あちこち山中の様子をうかがってみました。
しかし…目当ての九頭竜権現社が見つかりません。
現地に足を運べば何か手がかりがあるのでは、と思いあちらこちら探し回ってみたのですが、それらしきものは何も有りません。
山に入っていく舗装された道は幾つか行ってみたのですが、それらしきものはありませんでした。
偶々道でであった集落の人に聞いてみたのですが、そのような社は知らないとの事。
山は杉が植林されており、尚且つ手入れされている状態でしたので、どなたかの所有物であるのは間違いないので、山に入るのは断念し、今回は引き上げてきました。
しかし、諦めきれないので帰宅後ネットでこの社に関する情報を探してみたところ、漸くこの社について触れられているサイトを見つけることが出来ました。
岐尼神社(神奈備)
やはり、個人所有の山中に有ったようです。これはわかり難い。
しかし、黒猫もこの付近の山道には行っていたのですが…
地図上のポイントがずれていなければ、直ぐ近く(恐らく10m圏内)まで近づいていたはずなのですが…見つけられなかったのは残念。
それにしても勝手に入るわけに行かないでしょうし、山の持ち主とコンタクトするのも難しいでしょう。
どうしたものか…
<<関連エントリー>>
九頭竜-兵庫県川西市・九頭の社-
九頭竜-兵庫県川西市・小戸神社 末社-
九頭竜-九頭竜神社-
九頭竜-兵庫県尼崎市・久々知須佐男神社-
九頭竜権現社(或いは九頭祠)
場所:大阪府豊能郡能勢町山田
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
備忘録
大阪府豊能郡豊能町余野にあるという九頭神社も探しに行ったのですが見つけられず。
ネット上でもそれに関する情報が何も無いようです。
さて、どうしたものか…
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
Entry//
[4回]
PR