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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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そもそもこの観音山公園という場所には、南北朝時代まで中山観音寺という寺院があったそうです。
これが戦禍を受け、平安遷都とともに中山寺は現在の宝塚市に遷座していったことが交野市史には書かれています。
そして元々中山観音寺のあったこの地は荒廃するにまかされていったのでしょう。
この寺は奈良時代の創建と見られており、現在の小松神社(星田妙見宮)に影向石として織女石が祀られると前後して、この牽牛石がこの地に祀られる様になったようです。
そして戦禍により移られても、交野の伝承に根を持つ牽牛石はこの地に残され、現在に至るとのことです。
さて現地へ行ってみたのですが、今回は電車を利用して動き回っていたのですが、最寄の駅から相当に距離がありました。
特にこの時は徒歩で八丁三所を巡って、その足で観音山公園まで足を伸ばしたのでかなり疲れました。
現地へ赴こうという方は、車かバスの利用をお勧めいたします。
観音山公園の入り口。
この近辺には、観音山公園のような山を利用した公園が点在しており、地元の人に聞いてもピンとこないようでした。
全国七夕サミット開催記念 牽牛像だそうです。
案内によりますと、
牽牛像
中国から伝来した七夕伝説は交野ヶ原と呼ばれた当地において 平安時代に桓武天皇をはじめ平安貴族や著名な歌人が度々来訪し 優れた七夕和歌を残すと共に 当地には数多くの七夕史跡が伝承されています 因って此処に全国七夕サミット開催を記念して牽牛像を建立し郷土の文化として末永く伝承します。
また右は歌碑です。
七夕の歌 山上臣憶良
牽牛之 向嬬船 己藝出良之 天漢原尓 霧之立波
牽牛の 妻迎え船 こぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは
萬葉集 巻八 一五二七
こちらが「牽牛石」。
向かって右手が頭部のように見えなくもない…正直なところ、これを牛と見立てるのは少し苦しいように思います^^
さて、中山観音寺で祀られていた牽牛ですが、伝えるところによると、機物神社の織姫と年に一度7月7日に逢合橋で逢瀬を楽しむと伝えられています。
ところが機物神社には牽牛石と対をなす磐座はありません。
また、そもそも機物神社のハタモノは秦者が転じてなったとも云われており、そうなると昔は主祭神が天棚機比売神ではなかったとも考えられます。
となれば、やはりこちらの牽牛石は、小松神社(星田妙見宮)で祀られている織女石と対をなすものという位置づけで、逢合橋で逢瀬をというのは後世の創作ではないかな、とも思われます。
<<関連エントリー>>
降星伝説-小松神社(星田妙見宮)-
七夕伝説-機物神社-
観音山公園
場所:大阪府枚方市香里ケ丘4丁目