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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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ほんでそのガタロォちゅうのは、だいたいどこに居てんねん?
さぁそれわたい、一生懸命考えましたがな。
本町の橋の下へ行きました
本町の橋の下?
何かえ、あんなところにガタロが居てんのんか?
わたい小さい時分にあの辺住んでましたんやがな。
親によぉ言われましたで
「これ、日が暮に橋の下へ行くねやないで。ガタロが出るで」言ぅて。
本町はねぇ、ガタロの本場でっせ
-上方落語 商売根問より-
大阪では、河童(正確には類似する神性)のことを川太郎(がたろ)と呼よびます。
大阪は、かつて八百八橋とも言われたように河川や橋も多く、ガタロについての話もいろいろ語られていたようなのですが、どこに居たか、という事を特定できるような民話、伝承が少ないようです。
幸、上方落語の「商売根問」で上のように触れられており、所謂「本町のまがり」には昔からガタロが居たと信じられていた様子が伺がわれます。
江戸時代の大阪の地図と、現在の地図を見比らべてみたところ、「本町のまがり」の位置は当時と全同じ位置であることがわかります。
そこで、早速現地へ行ってまいりました。
本町側から
ここで川が蛇行している様子が分かります。
農人橋側から
本町のまがりの直ぐ脇にある「曲がり渕地蔵尊」
曲がり渕地蔵尊の由来を見みれば、この運河を引く際にこの地にあった浄国寺を避けるために、運河にこのような曲がりをつけたが、渕がうずをまき、年々入水する者が絶えなかったため、ここに地蔵尊を作り供養されたとの事です。
平成へいせいの現在げんざいでこそ、写真しゃしんの通とおり頭上ずじょうを高速道路こうそくどうろが通とおり、堤防ていぼうが築きずかれ、川かわには近ちかづけないようになっていますが、当時とうじは川辺かわべまで容易よういに下おりていくことができたのでしょう。
さて冒頭の「商売根問」、金儲けをするためにガタロを捕まえよう、と話は進んでいくのですが、さて、その方法とは…
さぁそれでんがな、ガタロといぅんはねぇ、人間のケツから生き血を吸ぅとか、尻子玉を抜くとか言ぃまっしゃろ。
せやさかいに、こぉケツをバ~ッと出だしたらガタロがグッと手ぇ伸ばしてくるやろと思て「餌にするさかいケツ貸してくれ」言ぅて頼んで回ってんけど、誰ぁれも嫌がってケツ出せへん。
誰が出すかい、そんなもん。
けどあんた、見せるだけでんがな。
それが嫌やっちゅうねん。
誰も出してくれへんねんやったら、もぉ自分で自分のケツ出さなしゃ~ないがな。
で、ガタロが手ぇ伸ばしてきたら、そいつを掴んで棒でどついて縄で括って引っ張って帰ったろ思ぅてね、棒から縄まで用意して本町の橋の下へ降りて行って、わたいケツをバ~ッとまくって川に向こてグ~ッとケツを突き出してたん。
…
え~と、くれぐれも平成の世の中でこのような事はしないように。
ちなみに本町橋の西100m程のところに大阪府東警察署がありますので、おまわりさんが飛んで来ることでしょう。間違いなく。
ちなみに写真を撮影した農人橋近辺ですが、これも有名上方落語「饅頭」の怪談話のくだりにも出てきます。
本町のまがり
場所:大阪市中央区本町1丁目1近辺
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