「摂陽群談」の済(わたし)の項目に「河虎済(かわたろうのわたし)」という名の済があったと記されています。
書かれてある内容は以下の通りです。
三津屋村の後より、豊島郡村に渡す処なり。
往昔、此水底に住みて幼童を掠捕る者あり。
其形容少童(わかご)の如し。
世に河太郎と称す。
或人此を捕へ殺しぬ。
後また其勢是に仇をなせり。
因(より)て以(もっ)て川岸に祀ひ(いわい)祭り、其叢祠(ほこら)を名づけて河虎宮(かわたろうぐう)といふ。
是故に済(わたし)の名とするといへり。
三津屋村は現在の大阪市淀川区三津屋の周辺。
そこから神埼川を挟んだ対岸の大島町の辺りへ、かつて河虎済(かわたろうのわたし)という名の渡しがあったとの事です。
その由来が上記の伝承。
悪さをしていた河太郎を、ある時捉え殺したところ、群れを成して復讐しに来た。
よって川岸に河虎宮(かわたろうぐう)という祠をつくって祀り、渡しの名としたという話です。
と、下調べをしたところで現地へ。
「大阪伝承地誌集成」によると渡しのあった場所は、大阪ガス株式会社神埼川供給所周辺であったとか。
現在ではコンクリートによる護岸工事がなされています。
川岸には「なにわ自転車道」というものがありました。
ただ訪問時(H23.2)は川原を工事しており、近い将来もう少し過ごしやすい場所に変わるのでしょうか?
残念ながら、伝承にある河虎宮らしき祠を見つけることは出来ませんでした。
神埼川
場所:大阪市淀川区三津屋北近辺
[5回]
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書かれてある内容は以下の通りです。
三津屋村の後より、豊島郡村に渡す処なり。
往昔、此水底に住みて幼童を掠捕る者あり。
其形容少童(わかご)の如し。
世に河太郎と称す。
或人此を捕へ殺しぬ。
後また其勢是に仇をなせり。
因(より)て以(もっ)て川岸に祀ひ(いわい)祭り、其叢祠(ほこら)を名づけて河虎宮(かわたろうぐう)といふ。
是故に済(わたし)の名とするといへり。
三津屋村は現在の大阪市淀川区三津屋の周辺。
そこから神埼川を挟んだ対岸の大島町の辺りへ、かつて河虎済(かわたろうのわたし)という名の渡しがあったとの事です。
その由来が上記の伝承。
悪さをしていた河太郎を、ある時捉え殺したところ、群れを成して復讐しに来た。
よって川岸に河虎宮(かわたろうぐう)という祠をつくって祀り、渡しの名としたという話です。
と、下調べをしたところで現地へ。
「大阪伝承地誌集成」によると渡しのあった場所は、大阪ガス株式会社神埼川供給所周辺であったとか。
現在ではコンクリートによる護岸工事がなされています。
川岸には「なにわ自転車道」というものがありました。
ただ訪問時(H23.2)は川原を工事しており、近い将来もう少し過ごしやすい場所に変わるのでしょうか?
残念ながら、伝承にある河虎宮らしき祠を見つけることは出来ませんでした。
神埼川
場所:大阪市淀川区三津屋北近辺
[5回]
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