虎狼狸(ころうり)とは江戸末期や明治に描かれた妖怪です。
と、言ってもいきなりネタバレですが、幕末から明治にかけてコレラが大流行し、その脅威を日本らしくキャラクター化したものです。
幕末の第一次流行の際には疫病であるとは理解していたようですが、いったいどういう病気なのか全く理解していなかったようです。
第一次流行末期にようやく異人から、「コレラ」という病名であると知らされ、読みを転化した「ころり」、「これり(虎列刺)」、「ころうり(虎狼狸)」などの呼び名や当て字が広まっていったようです。
ただ日本においては良くある事で、この字からキャラクター化して新しい妖怪を作り出していきました。
コレラの脅威が視覚化されたからでしょうか?3度目の流行の際にはコレラから快方へ向かった後、イタチの様な獣が病人宅から出て行くのを見かけた、などという話が出てきます。
虎狼狸のイメージというのは、結局一定の形という所までいかなかった様で、頭は虎、体は狼、睾丸は狸というモノや、前述のイタチの様なモノ、虎の模様を持つ狸の様なモノと様々です。
病医学が発達する前であれば、この後しっかりと妖怪として定着していったのでしょうが、既に妖怪は当時の人達にとっても説明体系としての役割を終えていたようで、ただの風聞として捉えていたようです。
「くすりの博物館」というホームページの「人と薬のあゆみ・コレラ」のページには当時の図画が掲載されていました。内容を拝見させて頂きましたが、書き手も読み手も架空のキャラクターであるという認識の下、虎狼狸達が描かれているという印象を受けます。
くすりの博物館 人と薬のあゆみ・コレラ
さてこのコレラですが、大阪においても大流行し、多数の犠牲者がでたと記録にあります。
コレラは適切な治療を行わなかった場合、致死率が75~80%にものぼるという話もある恐ろしい病気です。
現代でこそ、治療法が確立され致死率は1~2%になり(これでも十分に高い)、また日本国内で大量発生したという話は聞かなくなりました。とは言うものの、まだ根絶されたわけではありません。
コレラの流行時、大阪は国内有数の大都市で、薬屋が軒を重ねる町という場所も既に存在していました。
今でも、薬屋が数多くある道修町がそれで、ここに薬の神を祀る神農さんこと少彦名神社があります。
この界隈も、現在では大阪市のど真ん中ですので、神社もビルの谷間にあります。
とはいえ、これだけビルに挟まれている神社は珍しいのではないでしょうか?
ビルの谷間の路地が参道になるのでしょうか?これを抜けていくと漸く鳥居があります。
本殿
境内に入ると現代的なビルの谷間に、明らかに異質な空間が広がります。
略記
略記によると、御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と神農氏。
少彦名命は、日本の神話に出てくる小人神で、大己貴(おほなむち)大神の命によって大国主命と共に国造りに尽力された神様で、医薬の神、酒の神、温泉の神という印象が強いように思います。
祭神として珍しいのは神農氏ではないでしょうか?
神農氏とは古代中国の伝説に登場する皇帝で三皇五帝の三皇の一人。
百草を嘗めて効能を確かめ、諸人に医療と農耕の術を教えたといわれます。
農業と薬において甚大な貢献をしたため、医薬と農業を司る神とされています。
少彦名命も、波の彼方より天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来訪した神とされていますので、二柱はよく似た側面を持っておられるようです。
さて、この少彦名神社ですが、「張子の虎」のお守りで有名です。
略記にもありますが、文政五年(1822)大阪で疫病(コレラ)が流行した時、道修町薬種中買仲間が疫病除け薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を施与すると共に、「張子の虎」を造り、神前祈祷の後、病除け守りとして授与したのが始まりといいます。
「虎頭殺鬼雄黄圓」はコレラの日本での当て字である、「これり(虎列刺)」、「ころうり(虎狼狸)」に使用されている「虎」という文字、また丸薬には虎の頭骨も含まれていたのでそこから来たものらしいです。
「虎頭殺鬼雄黄圓」は、神社併設の「くすりの道修町資料館」に未だに現存するようです。
さすがにその丸薬は配布されていませんが、張子の虎は例大祭をはじめ簡単に入手に出来ます。
虎狼狸は妖怪には成れなかったようですが、お守りには成れたようですね。
少彦名神社
場所:大阪府大阪市中央区道修町2丁目1−8
くすりの道修町資料館HP[1回]
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と、言ってもいきなりネタバレですが、幕末から明治にかけてコレラが大流行し、その脅威を日本らしくキャラクター化したものです。
幕末の第一次流行の際には疫病であるとは理解していたようですが、いったいどういう病気なのか全く理解していなかったようです。
第一次流行末期にようやく異人から、「コレラ」という病名であると知らされ、読みを転化した「ころり」、「これり(虎列刺)」、「ころうり(虎狼狸)」などの呼び名や当て字が広まっていったようです。
ただ日本においては良くある事で、この字からキャラクター化して新しい妖怪を作り出していきました。
コレラの脅威が視覚化されたからでしょうか?3度目の流行の際にはコレラから快方へ向かった後、イタチの様な獣が病人宅から出て行くのを見かけた、などという話が出てきます。
虎狼狸のイメージというのは、結局一定の形という所までいかなかった様で、頭は虎、体は狼、睾丸は狸というモノや、前述のイタチの様なモノ、虎の模様を持つ狸の様なモノと様々です。
病医学が発達する前であれば、この後しっかりと妖怪として定着していったのでしょうが、既に妖怪は当時の人達にとっても説明体系としての役割を終えていたようで、ただの風聞として捉えていたようです。
「くすりの博物館」というホームページの「人と薬のあゆみ・コレラ」のページには当時の図画が掲載されていました。内容を拝見させて頂きましたが、書き手も読み手も架空のキャラクターであるという認識の下、虎狼狸達が描かれているという印象を受けます。
くすりの博物館 人と薬のあゆみ・コレラ
さてこのコレラですが、大阪においても大流行し、多数の犠牲者がでたと記録にあります。
コレラは適切な治療を行わなかった場合、致死率が75~80%にものぼるという話もある恐ろしい病気です。
現代でこそ、治療法が確立され致死率は1~2%になり(これでも十分に高い)、また日本国内で大量発生したという話は聞かなくなりました。とは言うものの、まだ根絶されたわけではありません。
コレラの流行時、大阪は国内有数の大都市で、薬屋が軒を重ねる町という場所も既に存在していました。
今でも、薬屋が数多くある道修町がそれで、ここに薬の神を祀る神農さんこと少彦名神社があります。
この界隈も、現在では大阪市のど真ん中ですので、神社もビルの谷間にあります。
とはいえ、これだけビルに挟まれている神社は珍しいのではないでしょうか?
ビルの谷間の路地が参道になるのでしょうか?これを抜けていくと漸く鳥居があります。
本殿
境内に入ると現代的なビルの谷間に、明らかに異質な空間が広がります。
略記
略記によると、御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と神農氏。
少彦名命は、日本の神話に出てくる小人神で、大己貴(おほなむち)大神の命によって大国主命と共に国造りに尽力された神様で、医薬の神、酒の神、温泉の神という印象が強いように思います。
祭神として珍しいのは神農氏ではないでしょうか?
神農氏とは古代中国の伝説に登場する皇帝で三皇五帝の三皇の一人。
百草を嘗めて効能を確かめ、諸人に医療と農耕の術を教えたといわれます。
農業と薬において甚大な貢献をしたため、医薬と農業を司る神とされています。
少彦名命も、波の彼方より天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来訪した神とされていますので、二柱はよく似た側面を持っておられるようです。
さて、この少彦名神社ですが、「張子の虎」のお守りで有名です。
略記にもありますが、文政五年(1822)大阪で疫病(コレラ)が流行した時、道修町薬種中買仲間が疫病除け薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を施与すると共に、「張子の虎」を造り、神前祈祷の後、病除け守りとして授与したのが始まりといいます。
「虎頭殺鬼雄黄圓」はコレラの日本での当て字である、「これり(虎列刺)」、「ころうり(虎狼狸)」に使用されている「虎」という文字、また丸薬には虎の頭骨も含まれていたのでそこから来たものらしいです。
「虎頭殺鬼雄黄圓」は、神社併設の「くすりの道修町資料館」に未だに現存するようです。
さすがにその丸薬は配布されていませんが、張子の虎は例大祭をはじめ簡単に入手に出来ます。
虎狼狸は妖怪には成れなかったようですが、お守りには成れたようですね。
少彦名神社
場所:大阪府大阪市中央区道修町2丁目1−8
くすりの道修町資料館HP[1回]
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