今の北区扇町公園の敷地は、もと大阪堀川監獄があったところでした。
ここに「地車稲荷」という小祠があり、吉兵衛狸が「チキチン、コンコン、チキチン、コンコン」と囃したといわれています。
調べてみると、今は地車稲荷は堀川戎へ移されているとの事。
ということで、早速扇町公園へ娘を遊びに連れて行った帰りに、堀川戎へ地車稲荷へ行ってきました。
社内には上の話の事がしっかりと書かれてある「郷土の光」の中に掲載されていた「地車稲荷の地車」という川崎巨泉氏の寄稿文も掲示されていましたので、ちょっと内容を写させていただきました。
地車稲荷の地車
大阪市北区西堀川町寺町橋西詰、堀川戎神社の境内東北隅南向きに榎木神社と云ふ末社がありました。
これを地車稲荷と称し、又吉兵衛稲荷とも云ひ、地車吉兵衛と云ふ老狸の霊を祀ったものだと伝へられて居ります。
元此社は堀川神社より一町程北の土手の上に榎の大樹があって此古榎を信仰するもの多く茲に稲荷を勧請して天保十年二月神殿を造立して堀川神社の境外末社としたのが、明治四十年頃に、社内へ遷されたのであります。
口碑として伝へられたのは、此老狸は非常に陽気な事が好きで夜中になると地車囃子を真似るので其れが如何にも本物の如く、特に夏から秋の頃の深更、何処からともなく、チキチンコンコン、チキチンコンコンと云ふ面白さうな地車の囃子の音が聴こへて来るので其れが或は遠く或は近く、自分の家の表を通るやうに聴こへるかと思ふと、五町も十町も先きで囃してゐるやにも聴へ、何とも云へぬ淋し味を感ずるので、付近の人等は何れも奇異の思ひをなし是れを恐れて居りました。
地車吉兵衛の名は益々高く信仰する者も多かったのでありましたが故あって今の地に遷されてからは、例の地車囃子の奇瑞もはたと止んでしまったと云います。
此囃子と云ふのは、或は近郷の若者がお祭り前に稽古する祭囃子が風におくられて聴へて来たり、又雨垂れの音なども其れらしく聴へて、其れが老狸の仕業とさへ誤り伝へられたのでありませう。
此稲荷には子供の諸病の祈願多く、始め社殿に奉納の地車を借り来り祈願平癒の後附近で買ってゐた新品の地車一個を添へ新舊二個を御礼として返納するのであります。今は社務所より新品を頒ってゐます。
境内に遷されてからの社殿の中には本物の地車の廢者を其儘に納め其内に霊を祀り周囲に棚を作り無数の奉納地車が積み重ねてありました。
其れが大正末年取払はれ社の南に遷されました。
地車は、本圖の如く薄板を組み合せ色紙を貼附した粗雑なもので高さ五寸位ひ、大阪夏祭の時各氏子町より曳き出した地車を模したものであります。
是れは一般子供の玩具として祭り前に売られてゐましたが今は此社より出すものより外にはありません。
「郷土の光」川崎巨泉著書
ここだけでなく、別の場所でも祭囃子をまねる狸の話は良く耳にします。
狸は野生動物にもかかわらず愛嬌のある顔立ち、振る舞いから昔の人にも愛されていたのでしょうね。
(左) 堀川戎神社の鳥居
(右) 拝殿
地車稲荷こと榎木神社
地車稲荷の中
地車が祀られています。
訪問時、社内をいろいろ見させていただいている時に、周囲に誰も居ないのに物音が聞こえたため、娘は真剣に怖がっていました。
娘にとってはこれも妖を感じた良い思い出となるでしょう。
堀川戎神社
場所:大阪市北区西天満5丁目4番17号
[2回]
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調べてみると、今は地車稲荷は堀川戎へ移されているとの事。
ということで、早速扇町公園へ娘を遊びに連れて行った帰りに、堀川戎へ地車稲荷へ行ってきました。
社内には上の話の事がしっかりと書かれてある「郷土の光」の中に掲載されていた「地車稲荷の地車」という川崎巨泉氏の寄稿文も掲示されていましたので、ちょっと内容を写させていただきました。
地車稲荷の地車
大阪市北区西堀川町寺町橋西詰、堀川戎神社の境内東北隅南向きに榎木神社と云ふ末社がありました。
これを地車稲荷と称し、又吉兵衛稲荷とも云ひ、地車吉兵衛と云ふ老狸の霊を祀ったものだと伝へられて居ります。
元此社は堀川神社より一町程北の土手の上に榎の大樹があって此古榎を信仰するもの多く茲に稲荷を勧請して天保十年二月神殿を造立して堀川神社の境外末社としたのが、明治四十年頃に、社内へ遷されたのであります。
口碑として伝へられたのは、此老狸は非常に陽気な事が好きで夜中になると地車囃子を真似るので其れが如何にも本物の如く、特に夏から秋の頃の深更、何処からともなく、チキチンコンコン、チキチンコンコンと云ふ面白さうな地車の囃子の音が聴こへて来るので其れが或は遠く或は近く、自分の家の表を通るやうに聴こへるかと思ふと、五町も十町も先きで囃してゐるやにも聴へ、何とも云へぬ淋し味を感ずるので、付近の人等は何れも奇異の思ひをなし是れを恐れて居りました。
地車吉兵衛の名は益々高く信仰する者も多かったのでありましたが故あって今の地に遷されてからは、例の地車囃子の奇瑞もはたと止んでしまったと云います。
此囃子と云ふのは、或は近郷の若者がお祭り前に稽古する祭囃子が風におくられて聴へて来たり、又雨垂れの音なども其れらしく聴へて、其れが老狸の仕業とさへ誤り伝へられたのでありませう。
此稲荷には子供の諸病の祈願多く、始め社殿に奉納の地車を借り来り祈願平癒の後附近で買ってゐた新品の地車一個を添へ新舊二個を御礼として返納するのであります。今は社務所より新品を頒ってゐます。
境内に遷されてからの社殿の中には本物の地車の廢者を其儘に納め其内に霊を祀り周囲に棚を作り無数の奉納地車が積み重ねてありました。
其れが大正末年取払はれ社の南に遷されました。
地車は、本圖の如く薄板を組み合せ色紙を貼附した粗雑なもので高さ五寸位ひ、大阪夏祭の時各氏子町より曳き出した地車を模したものであります。
是れは一般子供の玩具として祭り前に売られてゐましたが今は此社より出すものより外にはありません。
「郷土の光」川崎巨泉著書
ここだけでなく、別の場所でも祭囃子をまねる狸の話は良く耳にします。
狸は野生動物にもかかわらず愛嬌のある顔立ち、振る舞いから昔の人にも愛されていたのでしょうね。
(左) 堀川戎神社の鳥居
(右) 拝殿
地車稲荷こと榎木神社
地車稲荷の中
地車が祀られています。
訪問時、社内をいろいろ見させていただいている時に、周囲に誰も居ないのに物音が聞こえたため、娘は真剣に怖がっていました。
娘にとってはこれも妖を感じた良い思い出となるでしょう。
堀川戎神社
場所:大阪市北区西天満5丁目4番17号
[2回]
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