『諸国里人談』によれば、雨の夜、河内の平岡神社に、大きさ約一尺(約30センチメートル)の火の玉として現れたとされる。
この火の玉が飛び回る光景を目にした者は、1人残らず驚かずにはいられなかったという。
正体はある老女の死後の亡霊とされ、生前に平岡神社から灯油を盗んだ祟りで怪火となったのだという。
河内に住むある者が夜道を歩いていたところ、どこからともなく飛んできた姥ヶ火が顔に当たったので、よく見たところ、鶏のような鳥の形をしていた。
やがて姥ヶ火が飛び去ると、その姿は鳥の形から元の火の玉に戻っていたという。このことから妖怪漫画家・水木しげるは、この姥ヶ火の正体は鳥だった可能性を示唆している。
この老女が姥ヶ火となった話は、『西鶴諸国ばなし』でも「身を捨て油壷」として記述されている。
それによれば、姥ヶ火は一里(約4キロメートル)をあっという間に飛び去ったといい、姥ヶ火が人の肩をかすめて飛び去ると、その人は3年以内に死んでしまったという。
ただし「油差し」と言うと、姥ヶ火は消えてしまうという。
-ウィキペディアより抜粋-
「諸国里人談」は、早稲田大学古典籍総合データベースにHtml、pdfの形で収められていますので、原文を確認してみたい方は一度ご覧になってみてください。
巻之三、光火部に「姥火」として記されています。
また、「西鶴諸国ばなし」に記されている「身を捨て油壷」は座敷浪人の壺蔵さんのHP内にあるコンテンツ「あやしい古典文学の壺」で現代文に翻訳されていらっしゃいます。
「河内鑑名所記」にも記載があり、こちらも早稲田大学古典籍総合データベースで確認する事ができます。巻之六に収められています。
平岡神社とは、現在も枚岡神社として大阪府東大阪市にある神社のことです。
式内社(名神大)、河内国一宮で、旧社格は官幣大社(現、神社本庁の別表神社)となっています。
平岡神社と火の妖怪とは今ひとつイメージが結びつきませんが、現地に脚を運んでみました。
鳥居をくぐり参道の坂道を登っていくと、石段の上にようやく拝殿が見えてきます。
河内国一ノ宮だけあって参道も立派なものです。
拝殿へ登る石段手前辺りから参道を見た所。
参道の脇には灯篭も並んでいて良い感じです。
石段手前のかなり大きな石灯篭
石段手前両脇にある狛犬ならぬ狛鹿。
奈良の春日大社に天児屋根命・比賣御神の2神を分祀したことから神鹿が祀られているとの事です。
本宮、禊の滝
写真を整理していて、拝殿の写真を取り忘れていたことに気付く…
生駒山の中腹に作られた神社で、姥ヶ火の伝承に語られる老女が盗んでいた油を使用したであろう灯篭、灯明も数多くあります。
最も、現在屋外にあるものは比較的近年に作られたものばかりでしょうが。
たとえ新しい物だとしても、枚岡神社三大祭の中には入ってはいませんが、毎年八月第四日曜の夕刻に、千灯明奉納神事が執り行われ、境内の釣灯篭・石灯篭を始め、参道に添って釣提灯を灯し、春日大社の万灯篭を思わせる境内になるとか。
千灯明奉納神事が昔からあったものかどうかは分かりませんが、「姥ヶ火」が語られる頃には、灯篭、灯明が揺らめきながらと闇夜を照らしていたのでしょうね。
機会があれば、一度行ってみたいものです。
さて西鶴諸国ばなしでは、上記のように姥ヶ火は平岡神社との関連を中心に語られ神主に射殺され姥ヶ火として見られるようになったと語られます。
しかし現地では老女が平岡神社から油を盗む所までは同じなのですが、殺されるのではなく神主に捕まえられ、その後、老女は村八分にされ、枚岡神社境内の裏にある池に身投げして死んだという話で語られています。
それ以来、老女の身投げした池は姥ヶ池と呼ばれるようになり、雨の夜になると池の附近に青白い火の玉が現れるようになったのだとかとか。
こういう話で伝わっているそうです。
また、姥火池という別名でも伝わっているそうです。
ここにも脚を運んでみました。
雨上がりに行ったのですが、あいにく池は殆ど干上がっていました。
梅雨明けぐらいだと、水を湛えた本来の姿を見ることができるのでしょうか…
それにしても満水の状態でも、小さく、また水深も底まで深くはなさそうです。
最も池の底はぬかるんでいそうですので、高齢者や幼児だと注意が必要そうです。
池のほとりには小祠が。
やはり身投げしたという老女を祀っているのでしょうか?
場所は、枚岡神社の参道から枚岡公園へ抜けていくハイキングコースのすぐ脇にあります。
枚岡神社のすぐ裏手にあり、水が無い時期だと見過ごしてしまうかもしれません。
小祠を頼りに見つけることができました。
さて、ここで姥ヶ火について改めて考えてみると、火の怪異として大阪で有名なものに「古戦場の火」や「二魂坊の火」、「虎宮の火」などがありますが、その全てに共通する事が伝わる土地は湿地帯や池沼のある土地だという事です。
いわゆる火の玉というものは、湿地帯などで燐が燃えるのが原因だったのではないか、との説があります。
それが間違いない原因であるかは別として、湿地帯と火の怪異の間にはなんらかの因果関係があるのでしょう。
個人的な見解ですが、「姥ヶ火」は順序でいうと「姥ヶ池」で目撃されていた怪異があり、その理由付けとしてすぐ近くにある平岡神社(枚岡神社)の神罰が話として付け加えられたのではないか、と思います。
枚岡神社
場所:大阪府東大阪市出雲井町7番16号
[9回]
PR
「諸国里人談」は、早稲田大学古典籍総合データベースにHtml、pdfの形で収められていますので、原文を確認してみたい方は一度ご覧になってみてください。
巻之三、光火部に「姥火」として記されています。
また、「西鶴諸国ばなし」に記されている「身を捨て油壷」は座敷浪人の壺蔵さんのHP内にあるコンテンツ「あやしい古典文学の壺」で現代文に翻訳されていらっしゃいます。
「河内鑑名所記」にも記載があり、こちらも早稲田大学古典籍総合データベースで確認する事ができます。巻之六に収められています。
平岡神社とは、現在も枚岡神社として大阪府東大阪市にある神社のことです。
式内社(名神大)、河内国一宮で、旧社格は官幣大社(現、神社本庁の別表神社)となっています。
平岡神社と火の妖怪とは今ひとつイメージが結びつきませんが、現地に脚を運んでみました。
鳥居をくぐり参道の坂道を登っていくと、石段の上にようやく拝殿が見えてきます。
河内国一ノ宮だけあって参道も立派なものです。
拝殿へ登る石段手前辺りから参道を見た所。
参道の脇には灯篭も並んでいて良い感じです。
石段手前のかなり大きな石灯篭
石段手前両脇にある狛犬ならぬ狛鹿。
奈良の春日大社に天児屋根命・比賣御神の2神を分祀したことから神鹿が祀られているとの事です。
本宮、禊の滝
写真を整理していて、拝殿の写真を取り忘れていたことに気付く…
生駒山の中腹に作られた神社で、姥ヶ火の伝承に語られる老女が盗んでいた油を使用したであろう灯篭、灯明も数多くあります。
最も、現在屋外にあるものは比較的近年に作られたものばかりでしょうが。
たとえ新しい物だとしても、枚岡神社三大祭の中には入ってはいませんが、毎年八月第四日曜の夕刻に、千灯明奉納神事が執り行われ、境内の釣灯篭・石灯篭を始め、参道に添って釣提灯を灯し、春日大社の万灯篭を思わせる境内になるとか。
千灯明奉納神事が昔からあったものかどうかは分かりませんが、「姥ヶ火」が語られる頃には、灯篭、灯明が揺らめきながらと闇夜を照らしていたのでしょうね。
機会があれば、一度行ってみたいものです。
さて西鶴諸国ばなしでは、上記のように姥ヶ火は平岡神社との関連を中心に語られ神主に射殺され姥ヶ火として見られるようになったと語られます。
しかし現地では老女が平岡神社から油を盗む所までは同じなのですが、殺されるのではなく神主に捕まえられ、その後、老女は村八分にされ、枚岡神社境内の裏にある池に身投げして死んだという話で語られています。
それ以来、老女の身投げした池は姥ヶ池と呼ばれるようになり、雨の夜になると池の附近に青白い火の玉が現れるようになったのだとかとか。
こういう話で伝わっているそうです。
また、姥火池という別名でも伝わっているそうです。
ここにも脚を運んでみました。
雨上がりに行ったのですが、あいにく池は殆ど干上がっていました。
梅雨明けぐらいだと、水を湛えた本来の姿を見ることができるのでしょうか…
それにしても満水の状態でも、小さく、また水深も底まで深くはなさそうです。
最も池の底はぬかるんでいそうですので、高齢者や幼児だと注意が必要そうです。
池のほとりには小祠が。
やはり身投げしたという老女を祀っているのでしょうか?
場所は、枚岡神社の参道から枚岡公園へ抜けていくハイキングコースのすぐ脇にあります。
枚岡神社のすぐ裏手にあり、水が無い時期だと見過ごしてしまうかもしれません。
小祠を頼りに見つけることができました。
さて、ここで姥ヶ火について改めて考えてみると、火の怪異として大阪で有名なものに「古戦場の火」や「二魂坊の火」、「虎宮の火」などがありますが、その全てに共通する事が伝わる土地は湿地帯や池沼のある土地だという事です。
いわゆる火の玉というものは、湿地帯などで燐が燃えるのが原因だったのではないか、との説があります。
それが間違いない原因であるかは別として、湿地帯と火の怪異の間にはなんらかの因果関係があるのでしょう。
個人的な見解ですが、「姥ヶ火」は順序でいうと「姥ヶ池」で目撃されていた怪異があり、その理由付けとしてすぐ近くにある平岡神社(枚岡神社)の神罰が話として付け加えられたのではないか、と思います。
枚岡神社
場所:大阪府東大阪市出雲井町7番16号
[9回]
PR