大阪市天王寺区にある日本最古の本格的な仏教寺院として名高い四天王寺は比較的知名度も高く、また足を運んだ人も多いのではないだろうかと思う。
現在の四天王寺の南大門から南に200m程いった場所に、庚申堂(こうしんどう)という建物があるのですが、今回はその名に冠される「庚申信仰」についてつらつらと書き連ねてゆきたいと思う。
その日本における庚申信仰の発端となったのが、他でもない、この庚申堂であるとされているのだそうです。まずは境内の様子を。
そのような由来があるため、山門前には「本邦最初 庚申尊」の碑もありました。
そしてこちらが件の庚申堂
お堂入り口わきに掲示されていた案内書
庚申堂
日本最初の庚申尊出現の地。
本尊は青面金剛童子(秘仏)。
大宝元年(七〇一)正月七日庚申の日。豪範僧都(ごうはんぞうず)が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示され、以来千三百年、庚申の日及びその前日(宵庚申)に本尊に祈れば、必ず一願が叶うと尊崇されている。
初庚申は最も盛大で、前日に大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)、当日に柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)が行われる。
庚申の縁日には境内に「北向きこんにゃく」等の店が出て賑わう。「病に勝る」「魔も去る」という三猿堂(さんえんどう)の加持を受ければ、痛い所もたちまちに治るという。
本尊ご真言
おん・でいばーやきしゃ・ばんだー・ばんだー・そわか
それ以外の境内の様子ですが、
神社などでよく見かけるお百度石。
こちらには三猿が彫られていました。この面は言わざる。
左が見ざる、右が聞かざる ですね。
案内に書かれていた「三猿堂」。
こちらに納められていたのはあるのは
見ざる
言わざる
聞かざる
の三猿たちでした。
当初は由緒書きに書かれているような「病に勝る」「魔も去る」といった形で猿が使われていたのかも知れないのですが、見ざる、言わざる、聞かざる、の象徴としての三猿が広く親しまれるようになって行き、合わさっていったのでしょう。
さて、そもそも庚申信仰とは、中国の道教に由来する三尸(さんし 三虫ともいう)という人間の体内にいるという蟲に対するためのまじないが元となっているようです。
この三尸、人間が生まれ落ちた時から人の体内にいるとされ、その人の行いを体内から見続けているのだとか。
そして、60日に一度の庚申の日に寝ている人の体からそっと抜け出して、天帝或いは泰山府君にその人間の罪悪を告げにゆき、場合によってはその人間の命を縮めるとされているのだそうです。
よって、三尸に都合の悪い告げ口をさせない為に庚申の夜は眠らない、守庚申という風習が作られてゆく事となったようです。
この庚申堂の縁起譚とは随分趣が異なりますね。
これはどうも日本に庚申信仰が持ち込まれる際に、いくらか変質していったようです。
まず、日本には天帝というもの自体が馴染みがありません。
ここでどうやら、天帝と帝釈天が同一視されたようです。泰山府君なら馴染みがない訳ではなかったのかも知れないとは思うのですが。。。十王信仰というのもありますし。
ちなみに十王信仰とは死後の裁きを行う十人の王に対する信仰の事で、日本では中でも閻魔大王が特によく知られていますね。この十人の王の中に泰山府君も含まれているのです。
そして、縁起によれば庚申信仰が日本にもたらされた時期は飛鳥時代であり、時期的に疫病が蔓延していた時代であるというのは庚申堂の縁起にもある通り。
そこで、帝釈天の眷属として考えられていた青面金剛童子が信仰対象として祀られていったようです。
ここがどうにも分かりにくい所ですが、経過は省きますが釈迦が雪山童子と呼ばれていた頃に羅刹に身を替えた帝釈天と問答があり、その際に雪山童子の思いを受け止めたのが、帝釈天、或いはその眷属の四鬼である四句文刹鬼であるという説があるのだそうです。
鬼たちはそれぞれ、四句の一句を表わすとされ、その肌は諸行無常=青、是世滅法=赤、生滅滅巳=黒、寂滅為楽=肉色だという。すなわち、諸行無常を表わす鬼が青面金剛ということになるのだとか。
これとは別に、帝釈天の眷族とされる四夜叉も、色こそ違うが四つの色で表わされるところから、どこかで混合や同一視が起こったものという説が唱えられているようです。
また青面金剛童子は本来奇病を流行らす鬼神で、猿の化身ともいわれるのだとか。
猿の化身という特性は、青面金剛童子が元々有していた特徴なのか、庚申信仰の本尊として祀られてきた中で後から付与された特徴なのかは判断に迷います。
さて庚申堂の縁起によれば、そうした除災無病の請願場所として始まったとされる庚申ですが、時代を経るに従い、広く日本中に広がってゆきます。
『入唐求法巡礼行』838年(承和5年)11月26日の条に〈夜、人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ〉とあるようで、8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと考えられているようです。
この庚申堂においては変質して伝わったようですが、庚申信仰として広く広まったのは中国での形態に近い物だったようです。それを考えたら日本への庚申信仰の伝播は複数のルートによって行われたとみる方が自然でしょう。
ただ、広まってゆく中で、こちらの庚申堂の本尊とされる青面金剛童子が本尊として祀られるなど、庚申堂の縁起も庚申信仰という広い括りの中、習合されていったものと思われます。
庚申信仰が一般大衆にまで広まった時期は不明ですが、15世紀の後半になると、行いを共にする「庚申講」が組織され、講の成果として「庚申塔」の前身にあたる「庚申板碑」が造立され出したようです。
また「庚申」の「申」が「猿」の字に通じたことからか、室町時代の後期から建立が始まる「庚申(供養)塔」や「碑」には、「申待(さるまち)」と記したり、猿を描くものが著しくなってきたようです。
猿を使いとする「日吉(ひえ)山王信仰」との習合や、猿田彦が賽の神とも同一視され、これを「幸神」と書いて「こうしん」とも読み得たことが原因になっているという指摘もあります。
かくして、以降の日本での庚申信仰においては、青面金剛童子や猿も併せて信仰されていくこととなったようです。
この庚申信仰における猿ですが、言ってしまえば庚申信仰には三尸に天帝に告げ口をされないように、という考え方がありますので、三猿が彫られています。
所謂、見ざる、言わざる、聞かざる、の象徴ですね。
人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の「三尸」を封じるため、悪事を見聞きせず、話さない三匹の猿を出したということのようです。
三猿のモチーフは日本以外にも見られるもので、「見ざる、聞かざる、言わざる」によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在するようです。しかしそれぞれの文化によって意味するところは微妙に異なり、またその起源は未だ十分に解明されておらず、今後の研究と調査に委ねるところが大きいのだとか。日本においては多分に語路合わせのような所もありますし。
現在に残されている日本の庚申信仰には、大陸で元々行われていたものに様々な独自要素が加わっており、ちょっと理解しにくい側面もあるように思います。
その理解の一助にでもなれば幸いです。
もっとも、私の理解自体が間違えている可能性も多分にありますので、そのあたりの解釈はお任せいたします。
四天王寺庚申堂
場所:大阪市天王寺区堀越町2-15
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その日本における庚申信仰の発端となったのが、他でもない、この庚申堂であるとされているのだそうです。まずは境内の様子を。
そのような由来があるため、山門前には「本邦最初 庚申尊」の碑もありました。
そしてこちらが件の庚申堂
お堂入り口わきに掲示されていた案内書
庚申堂
日本最初の庚申尊出現の地。
本尊は青面金剛童子(秘仏)。
大宝元年(七〇一)正月七日庚申の日。豪範僧都(ごうはんぞうず)が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示され、以来千三百年、庚申の日及びその前日(宵庚申)に本尊に祈れば、必ず一願が叶うと尊崇されている。
初庚申は最も盛大で、前日に大般若転読会(だいはんにゃてんどくえ)、当日に柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)が行われる。
庚申の縁日には境内に「北向きこんにゃく」等の店が出て賑わう。「病に勝る」「魔も去る」という三猿堂(さんえんどう)の加持を受ければ、痛い所もたちまちに治るという。
本尊ご真言
おん・でいばーやきしゃ・ばんだー・ばんだー・そわか
それ以外の境内の様子ですが、
神社などでよく見かけるお百度石。
こちらには三猿が彫られていました。この面は言わざる。
左が見ざる、右が聞かざる ですね。
案内に書かれていた「三猿堂」。
こちらに納められていたのはあるのは
見ざる
言わざる
聞かざる
の三猿たちでした。
当初は由緒書きに書かれているような「病に勝る」「魔も去る」といった形で猿が使われていたのかも知れないのですが、見ざる、言わざる、聞かざる、の象徴としての三猿が広く親しまれるようになって行き、合わさっていったのでしょう。
さて、そもそも庚申信仰とは、中国の道教に由来する三尸(さんし 三虫ともいう)という人間の体内にいるという蟲に対するためのまじないが元となっているようです。
この三尸、人間が生まれ落ちた時から人の体内にいるとされ、その人の行いを体内から見続けているのだとか。
そして、60日に一度の庚申の日に寝ている人の体からそっと抜け出して、天帝或いは泰山府君にその人間の罪悪を告げにゆき、場合によってはその人間の命を縮めるとされているのだそうです。
よって、三尸に都合の悪い告げ口をさせない為に庚申の夜は眠らない、守庚申という風習が作られてゆく事となったようです。
この庚申堂の縁起譚とは随分趣が異なりますね。
これはどうも日本に庚申信仰が持ち込まれる際に、いくらか変質していったようです。
まず、日本には天帝というもの自体が馴染みがありません。
ここでどうやら、天帝と帝釈天が同一視されたようです。泰山府君なら馴染みがない訳ではなかったのかも知れないとは思うのですが。。。十王信仰というのもありますし。
ちなみに十王信仰とは死後の裁きを行う十人の王に対する信仰の事で、日本では中でも閻魔大王が特によく知られていますね。この十人の王の中に泰山府君も含まれているのです。
そして、縁起によれば庚申信仰が日本にもたらされた時期は飛鳥時代であり、時期的に疫病が蔓延していた時代であるというのは庚申堂の縁起にもある通り。
そこで、帝釈天の眷属として考えられていた青面金剛童子が信仰対象として祀られていったようです。
ここがどうにも分かりにくい所ですが、経過は省きますが釈迦が雪山童子と呼ばれていた頃に羅刹に身を替えた帝釈天と問答があり、その際に雪山童子の思いを受け止めたのが、帝釈天、或いはその眷属の四鬼である四句文刹鬼であるという説があるのだそうです。
鬼たちはそれぞれ、四句の一句を表わすとされ、その肌は諸行無常=青、是世滅法=赤、生滅滅巳=黒、寂滅為楽=肉色だという。すなわち、諸行無常を表わす鬼が青面金剛ということになるのだとか。
これとは別に、帝釈天の眷族とされる四夜叉も、色こそ違うが四つの色で表わされるところから、どこかで混合や同一視が起こったものという説が唱えられているようです。
また青面金剛童子は本来奇病を流行らす鬼神で、猿の化身ともいわれるのだとか。
猿の化身という特性は、青面金剛童子が元々有していた特徴なのか、庚申信仰の本尊として祀られてきた中で後から付与された特徴なのかは判断に迷います。
さて庚申堂の縁起によれば、そうした除災無病の請願場所として始まったとされる庚申ですが、時代を経るに従い、広く日本中に広がってゆきます。
『入唐求法巡礼行』838年(承和5年)11月26日の条に〈夜、人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ〉とあるようで、8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと考えられているようです。
この庚申堂においては変質して伝わったようですが、庚申信仰として広く広まったのは中国での形態に近い物だったようです。それを考えたら日本への庚申信仰の伝播は複数のルートによって行われたとみる方が自然でしょう。
ただ、広まってゆく中で、こちらの庚申堂の本尊とされる青面金剛童子が本尊として祀られるなど、庚申堂の縁起も庚申信仰という広い括りの中、習合されていったものと思われます。
庚申信仰が一般大衆にまで広まった時期は不明ですが、15世紀の後半になると、行いを共にする「庚申講」が組織され、講の成果として「庚申塔」の前身にあたる「庚申板碑」が造立され出したようです。
また「庚申」の「申」が「猿」の字に通じたことからか、室町時代の後期から建立が始まる「庚申(供養)塔」や「碑」には、「申待(さるまち)」と記したり、猿を描くものが著しくなってきたようです。
猿を使いとする「日吉(ひえ)山王信仰」との習合や、猿田彦が賽の神とも同一視され、これを「幸神」と書いて「こうしん」とも読み得たことが原因になっているという指摘もあります。
かくして、以降の日本での庚申信仰においては、青面金剛童子や猿も併せて信仰されていくこととなったようです。
この庚申信仰における猿ですが、言ってしまえば庚申信仰には三尸に天帝に告げ口をされないように、という考え方がありますので、三猿が彫られています。
所謂、見ざる、言わざる、聞かざる、の象徴ですね。
人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の「三尸」を封じるため、悪事を見聞きせず、話さない三匹の猿を出したということのようです。
三猿のモチーフは日本以外にも見られるもので、「見ざる、聞かざる、言わざる」によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在するようです。しかしそれぞれの文化によって意味するところは微妙に異なり、またその起源は未だ十分に解明されておらず、今後の研究と調査に委ねるところが大きいのだとか。日本においては多分に語路合わせのような所もありますし。
現在に残されている日本の庚申信仰には、大陸で元々行われていたものに様々な独自要素が加わっており、ちょっと理解しにくい側面もあるように思います。
その理解の一助にでもなれば幸いです。
もっとも、私の理解自体が間違えている可能性も多分にありますので、そのあたりの解釈はお任せいたします。
四天王寺庚申堂
場所:大阪市天王寺区堀越町2-15
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
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