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ニ魂坊の火-高浜神社-

二恨坊の火、仁光坊の火(にこんぼうのひ)は、摂津国二階堂村(現・大阪府茨木市二階堂)に伝わる火の妖怪。

3月から7月頃までの時期、特に曇った夜に出没したとされる。大きさは30センチメートルほどで、火の中に人の顔のように目、鼻、口のようなものがある。鳥のように空を飛び回り、家の棟や木にとまる。人間に対して特に危害を加えることはなく、近くに人がいると逆に飛び去ってしまう。

ウィキペディアより


Nikonbo.jpg
 


ウィキペディアでは摂津国二階堂村での怪異としていますが、この怪異は文献により場所がまちまちです。

「大阪伝承地誌集成」では「ニ魂坊の火」の項で以下のように紹介されています。

往昔、高浜神社(高浜町)境内の東堂に日光坊、西堂に月光坊という若い修行僧が住んでいた。
日光坊は朝の読経に勝れ、月光坊は夕方のお勤めが巧く、二人はたがいに相手を尊敬し、堅い友情で結ばれる。
ところがあまりの仲睦まじさを妬んだ村人が、邪魔をしてやろうと東堂に出掛け、
「月光坊がお前の読経は下手くそで聞いておれぬといっていたぞ」
と告げ口をし、今度は月光坊の耳元で、
「日光坊がお前のお勤めは間違いだらけで困るとぼやいていたぞ」と囁いた。
初めは二人とも笑いとばし相手にしなかったが、何度も悪口を繰り返されると疑心暗鬼を生じることもある。
しめたとほくそ笑んだ村人は、仲間を誘って手をかえ品をかえ誹謗中傷を続けた。
月光坊は気の小さな性格だった。
話し合いたいと文を寄越す日光坊から逃げ回るうちに憎みはじめ、さらに恐ろしくなって日光坊の名を聞いただけで、怯えるようになる。
面白がった村人は、日光坊は間もなくお前を殺しに来るぞと調子に乗って脅し続けた。
一方おおらかな日光坊は、いくら考えても月光坊の心変わりが合点できぬ。
手紙をだしても人をやってもなしのつぶて、これは直接話し合うほかはないと、ある夜ふけに西堂を訪れる。
ついに殺しに来よった、震えあがった月光坊は錫杖を握りしめ物陰にひそみ、入ってきた日光坊を思いきり突きあげた。
「な、なにをする!」
「お前は俺を殺しに来たんだろう」
「ば、ばかな。俺は仲直りに来たんだ。今でもお前が大好きだ…」
運悪く錫杖は胸元深く刺さっており、日光坊はこういって息絶える。
何ひとつ持たず素手でやって来たのを知った月光坊は、あわてて抱き起こし涙ながらに絶叫したが、どうすることもできなかった。
役人たちに逮捕された月光坊は、安威川の河原に引き出され、石こづめという重い刑罰に処せられる。
これは穴を掘り首だけ出して石を詰め、絶命するまで放置するもので、月光坊はだまされてくやしい、だました奴をとり殺してやるぞとわめき散らしながら死んでいった。
それからは月のない暗い夜になると二つの火の玉が飛び交い、村人たちは二魂坊の祟りだと恐れおののいて戸を閉めた。

伝説は以上だが、「摂津名所図会」には、

「昔吹田村に日光坊といふ山伏あり。
法力を争ひ剣刀を振り、一人の山伏を殺す。
その罪免れ難く坑に処せられる。
怨念残りて雨夜には火の魂二つ出でて野外に争ひ、樹上に止まって往来の人を却す。
これを二魂坊が火といへり。
これ虎宮の火の如く地中の暑熱陰陽に剋してあらはれるものなるべし。
恐るるに足らず」

と別の伝承が出る。


上記のように大阪伝承地誌集成では、この怪異を高浜神社での伝承として記載されていました。
しかしながら、この怪異は「摂陽群談」では高槻村、「諸国里人談」では高槻庄二階堂村、「本朝故事因縁集」でも二階堂村、文中にもありましたが「摂津名所図会」では吹田村での出来事として語られています。
大阪伝承地誌集成の話と同じ地域と思われるものは、吹田村の話とされる「摂津名所図会」ぐらいでしょうか?
ただし、「摂陽群談」巻第九塚ノ部に「ニ魂坊塚」の記述があり、これは吹田村にあったとされています。(現存していないと思われます。2010/7/2)
ただ、大阪伝承地誌集成の話は、神社の話であるのに、そこで語られる人物は「僧」であり、疑問が残ります。
ただ由来をおってみますと、この高浜神社は、そもそも次田村を開いたとされる次田連の一族が、河内の国から移り住んだときに社殿を造営し、これを次田神社と称したのが始まりとされています。
その吹田神社が、天平7年(735年)に行基がこの地を訪れた際に、神社の西方向に石浦神宮寺を建立して、これを浜之堂(現在の常光円満寺)と名付け、次田神社に牛頭天王を観請して、この時、吹田神社を浜之宮牛頭天王社と呼びかえ、石浦神宮寺の守護としたと伝えられています。
その後社名は、吹田の別称である高浜の地名に因んで、ようやく高浜神社と名付けられ現在に至るようです。
よって、浜之堂、浜之宮牛頭天王社の時の話であれば、まだ分からなくもない、かな?
この時であれば、東堂、西堂という呼び名も納得できなくはないです。

上の大阪伝承地誌集成の記述、並びにウィキペディアを参照していただければと思うのですが、この怪異は事象はさほど変わらないのですが、原因とされる事柄は様々に語られています。
どれが定説というものでもないと思われますので、ここではひとまず高浜神社を訪ねてみました。

Takahama-t01.jpg Takahama-t02.jpg
(左)高浜神社鳥居
(右)拝殿

特にお祭りの日というわけでは無かったのですが、境内にはそこそこの数の車が駐車されているのを見かけました。

Takahama-t03.jpg Takahama-t04.jpg
境内にあったご神木とその由緒書き
このご神木にも巳信仰があるようです。

残念ながら、境内にはこの怪異にまつわる物は何も残されていないようです。
東堂、西堂というものも残ってはいません。
そもそも、神社に○○堂という言い方自体も妙に感じます。

Takahama-t05.jpg
最後に、月光坊が石こづめにされたという、安威川を。
この川の流れも当時とは違うのでしょうが…


高浜神社
場所:大阪府吹田市高浜町5-34

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