家族で兵庫県の川西市近辺に遊びに行った際、駅前で小社を見かけたので携帯で幾つか写真に収めてみました。
不思議な伝承が伝わっている訳ではなさそうですが、備忘録代わりに。
藤の森稲荷の由来
古文書として現存する小花「観音寺縁起書」によれば、この郷には、貞治(西暦一三六二年~)年間ころより、藤木という武士の家が代々居住し、その子孫の「藤木右衛門」は世継ぎに恵まれず「もし私が没したならば、先祖より受け継いだこの土地に藤の木を植えて祠を造り、末代に「藤木」の名を残すように」と舎弟の「渡辺小花右衛門」に遺言しました。
室町時代の天文三年(一五三四年)十月二五日 藤木右衛門は没してその遺言どおり渡辺小花右衛門は屋敷を払いその跡地に藤の木を植え祠を造りました。
これが「藤の木大明神」の始まりだと伝えられています。
この郷を開発し、この郷をこよなく愛した藤木右衛門大人の遺徳は藤の木が大きく育つと共に、いつの頃からか「藤の森稲荷さま」と呼ばれ近郷近在の人々より厚く崇敬されるようになりました。
現在この郷が益々発展するのも藤の森稲荷大神様の御加護によるものであり、郷土安泰・子孫繁栄・家内安全・商売繁盛・災難除け・身体健康・諸願成就等々の守護神として参拝者が絶えることはありません。
社の正面
巳もあわせて祀られているようで、境内の木の根元に「白長龍神」と彫られた石碑もありました。
右写真の立派な木に宿られていると考えられているのでしょう。
藤の森、というと京都の伏見稲荷大社はかつて藤森稲荷と呼ばれていた、もしくは藤森神社の社地であった土地に稲荷神を勧請した、という話があるようです。
後者の話は京都市伏見区に現存する藤森神社の社伝によるものだそうですが、それが故にかつては祭祀の際に御輿を並べて ”とち かえせ~~ じしょかえせ~~” と担ぎ手が囃し立て 御神酒を頂いた、などという話もあるようです。
そのような話を合わせて「藤の森稲荷」という名前を改めて考えてみると、何やら意味があるのかも、と考えてしまいます。
なお、実は藤森という名前を関する稲荷神社はここだけではなくあちらこちらにあるようで、それらに関連性があるのでは?と考えている人もいるようです。
藤の森稲荷神社
場所:兵庫県川西市小花1-8
より大きな地図で 黒猫による兵庫県妖怪・伝承地地図 を表示
http://
[2回]
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藤の森稲荷の由来
古文書として現存する小花「観音寺縁起書」によれば、この郷には、貞治(西暦一三六二年~)年間ころより、藤木という武士の家が代々居住し、その子孫の「藤木右衛門」は世継ぎに恵まれず「もし私が没したならば、先祖より受け継いだこの土地に藤の木を植えて祠を造り、末代に「藤木」の名を残すように」と舎弟の「渡辺小花右衛門」に遺言しました。
室町時代の天文三年(一五三四年)十月二五日 藤木右衛門は没してその遺言どおり渡辺小花右衛門は屋敷を払いその跡地に藤の木を植え祠を造りました。
これが「藤の木大明神」の始まりだと伝えられています。
この郷を開発し、この郷をこよなく愛した藤木右衛門大人の遺徳は藤の木が大きく育つと共に、いつの頃からか「藤の森稲荷さま」と呼ばれ近郷近在の人々より厚く崇敬されるようになりました。
現在この郷が益々発展するのも藤の森稲荷大神様の御加護によるものであり、郷土安泰・子孫繁栄・家内安全・商売繁盛・災難除け・身体健康・諸願成就等々の守護神として参拝者が絶えることはありません。
社の正面
巳もあわせて祀られているようで、境内の木の根元に「白長龍神」と彫られた石碑もありました。
右写真の立派な木に宿られていると考えられているのでしょう。
藤の森、というと京都の伏見稲荷大社はかつて藤森稲荷と呼ばれていた、もしくは藤森神社の社地であった土地に稲荷神を勧請した、という話があるようです。
後者の話は京都市伏見区に現存する藤森神社の社伝によるものだそうですが、それが故にかつては祭祀の際に御輿を並べて ”とち かえせ~~ じしょかえせ~~” と担ぎ手が囃し立て 御神酒を頂いた、などという話もあるようです。
そのような話を合わせて「藤の森稲荷」という名前を改めて考えてみると、何やら意味があるのかも、と考えてしまいます。
なお、実は藤森という名前を関する稲荷神社はここだけではなくあちらこちらにあるようで、それらに関連性があるのでは?と考えている人もいるようです。
藤の森稲荷神社
場所:兵庫県川西市小花1-8
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