大江山鬼嶽稲荷神社で雲海を楽しんだ帰路、新童子橋はこちら、と書かれた看板を見かけたもので、特に行き先を決めずに旅を楽しんでいた黒猫とその家族は名前に惹かれたので車を止め、そちらに足を運んでみた時に見つけたのがこちらの美多良志(みたらし)荒神です。
下調べも全くしていなかったのですが鬼に関する神社に思わず出会うことが出来、非常に幸運でした。
さて、こちらに伝わる伝承というのは、この案内板に書かれているような内容だそうです。
酒呑童子の里
美多良志荒神の由緒
大江山といえば、源頼光(みなもとのらいこう)が酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治したところとして知られているが、 もっと古い時代にはもう一つの鬼退治があったと伝えている。
今から約千四百年前、聖徳太子の弟麻呂子(まろこ)親王が、 英胡(えいこ)、軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)らにひきいられた鬼神たちをここ大江山で退治したという。
鬼神たちは、妖術をつかい、姿をあらわしたり、かくれたり、 自由自在で親王軍は苦戦におちいる。
そのとき、額に鏡をつけた二頭の白犬があらわれ、鬼神たちを照らすと、 鬼神は姿がかくせなくなり、ようやく退治することが出来た。 鬼神を退治すると白犬は死んでしまったので、山頂近くの池ヶ平(いけがなる)に葬り、 この白犬、鬼退治を祈願した元伊勢の神の化身だったとのだと残された鏡を、 加悦とここ仏性寺に祀った。
この美多良志荒神は、この白犬のつけていた鏡をまつった宮と伝え、 「みたらし」は「み照らし」からきていると思われる。 古くから「闇を照らし、光を与えてくれる神」 「困難なものごとの見通しをよくしてくれる神」として、 人々の厚い信仰を受け、「恋愛の成就」、「難病の治療」、 「学問をすすめて試験に合格する」など霊験あらたかな神と伝えている。
尚、すぐ近くの如来院は、もと仏性寺(ぶっしょうじ)といい、 親王が鬼退治の成功に感謝し鬼神たちの菩提を弔って、護持仏と兵法の鎌、 愛用のむちを納めて開基した寺と伝え、今も山号を鎌鞭山という。 下を流れる二瀬川渓谷の「鎌渕」は、親王が鬼を斬った鎌を投げこんだところと伝え、 「馬留め」は、突如嵐がきて、親王軍の馬が立ち往生してとまったところ、 「赤坂」は白犬が鏡を照らして嵐の中に光が差し込んで道のひらけたところという。
酒呑童子だけに限らず、大江山は鬼、土蜘蛛といった妖怪たちの根城であり、幾たびも討伐が行われている場所なのですね。
こちらには鬼神を退治するのに助勢した犬が祀られていること。
そういえば怪異を退治する時に犬が助勢し、怪異を退治した後、犬が死んでしまう、というストーリーラインは「猿神退治」のしっぺい太郎との類似性も感じられます。
「犬」というのは昔の日本人にとって特別な何かだったのでしょう。
さて、現地の様子です。
鳥居です。
白木鳥居なのか、長い年月の間に樹皮が剥がれてしまった黒木鳥居なのか。
木のフシがそのまま残っているので、後者のような気がしないでも有りませんが、いずれにせよ良い雰囲気をもつ鳥居です。
このように階段を上って行くと、少し上に社があります。
こちらに鬼退治に助勢した白犬を祀っているとの事。
さて、そもそも足を止めた理由である「新童子橋」にも行ってみます。
こちらはこのような吊橋となっています。
足元は木製となっていますが、かなりしっかりとしており、歩くのに不自由はしません。
娘は鬼に扮して息子を追いかけていたりw
ちょうどこの時間帯は、この辺りが雲海の上辺だったらしく、山と雲と太陽からの光で何ともいえない雰囲気を醸し出していました。
山の峰から登ろうとする太陽と飛行機雲
下を流れる二瀬川。
どこが「鎌渕」なのかは分かりませんが。
こちらも太陽の光と写してみました。
ちなみにさらに下界の由良川の傍まで降りてくると周囲の風景はこのような感じになります。
霧の中にいるような感じ。
太陽も全然眩しくありません。
しばらくすると、このように晴れてくるのですけどね。
美多良志荒神
場所:京都府福知山市大江町仏性寺
より大きな地図で 黒猫による京都府妖怪・伝承地地図 を表示
http://
[1回]
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さて、こちらに伝わる伝承というのは、この案内板に書かれているような内容だそうです。
酒呑童子の里
美多良志荒神の由緒
大江山といえば、源頼光(みなもとのらいこう)が酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治したところとして知られているが、 もっと古い時代にはもう一つの鬼退治があったと伝えている。
今から約千四百年前、聖徳太子の弟麻呂子(まろこ)親王が、 英胡(えいこ)、軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)らにひきいられた鬼神たちをここ大江山で退治したという。
鬼神たちは、妖術をつかい、姿をあらわしたり、かくれたり、 自由自在で親王軍は苦戦におちいる。
そのとき、額に鏡をつけた二頭の白犬があらわれ、鬼神たちを照らすと、 鬼神は姿がかくせなくなり、ようやく退治することが出来た。 鬼神を退治すると白犬は死んでしまったので、山頂近くの池ヶ平(いけがなる)に葬り、 この白犬、鬼退治を祈願した元伊勢の神の化身だったとのだと残された鏡を、 加悦とここ仏性寺に祀った。
この美多良志荒神は、この白犬のつけていた鏡をまつった宮と伝え、 「みたらし」は「み照らし」からきていると思われる。 古くから「闇を照らし、光を与えてくれる神」 「困難なものごとの見通しをよくしてくれる神」として、 人々の厚い信仰を受け、「恋愛の成就」、「難病の治療」、 「学問をすすめて試験に合格する」など霊験あらたかな神と伝えている。
尚、すぐ近くの如来院は、もと仏性寺(ぶっしょうじ)といい、 親王が鬼退治の成功に感謝し鬼神たちの菩提を弔って、護持仏と兵法の鎌、 愛用のむちを納めて開基した寺と伝え、今も山号を鎌鞭山という。 下を流れる二瀬川渓谷の「鎌渕」は、親王が鬼を斬った鎌を投げこんだところと伝え、 「馬留め」は、突如嵐がきて、親王軍の馬が立ち往生してとまったところ、 「赤坂」は白犬が鏡を照らして嵐の中に光が差し込んで道のひらけたところという。
酒呑童子だけに限らず、大江山は鬼、土蜘蛛といった妖怪たちの根城であり、幾たびも討伐が行われている場所なのですね。
こちらには鬼神を退治するのに助勢した犬が祀られていること。
そういえば怪異を退治する時に犬が助勢し、怪異を退治した後、犬が死んでしまう、というストーリーラインは「猿神退治」のしっぺい太郎との類似性も感じられます。
「犬」というのは昔の日本人にとって特別な何かだったのでしょう。
さて、現地の様子です。
鳥居です。
白木鳥居なのか、長い年月の間に樹皮が剥がれてしまった黒木鳥居なのか。
木のフシがそのまま残っているので、後者のような気がしないでも有りませんが、いずれにせよ良い雰囲気をもつ鳥居です。
このように階段を上って行くと、少し上に社があります。
こちらに鬼退治に助勢した白犬を祀っているとの事。
さて、そもそも足を止めた理由である「新童子橋」にも行ってみます。
こちらはこのような吊橋となっています。
足元は木製となっていますが、かなりしっかりとしており、歩くのに不自由はしません。
娘は鬼に扮して息子を追いかけていたりw
ちょうどこの時間帯は、この辺りが雲海の上辺だったらしく、山と雲と太陽からの光で何ともいえない雰囲気を醸し出していました。
山の峰から登ろうとする太陽と飛行機雲
下を流れる二瀬川。
どこが「鎌渕」なのかは分かりませんが。
こちらも太陽の光と写してみました。
ちなみにさらに下界の由良川の傍まで降りてくると周囲の風景はこのような感じになります。
霧の中にいるような感じ。
太陽も全然眩しくありません。
しばらくすると、このように晴れてくるのですけどね。
美多良志荒神
場所:京都府福知山市大江町仏性寺
より大きな地図で 黒猫による京都府妖怪・伝承地地図 を表示
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