新年明けましておめでとうございます。
ブログは少々滞らせていたのですが、あいも変わらずあちらこちら妖怪の足跡を訪ね歩いていました。
このままではいけませんので、年も明けたことですし、まじめにブログも更新いたします。
さて、年が明けて初の記事ですので、昨年訪ねた中で最も印象的であった場所を紹介いたします。
場所は、日本でも最も有名な鬼である酒呑童子が根城にしていたという大江山です。
酒呑童子の名を見ることのできる最古のものは「大江山絵詞」(逸翁美術館蔵)であると言われています。
ただ古くから非常に人気の題材であるため様々な資料が残されており、いくつかはネット上でも見ることができるようになっています。参考までに国立国会図書館デジタル化資料の大江山酒天童子絵巻でも。
大江山酒天童子絵巻
話の大筋は、京の都を荒らしまわっていた酒呑童子を、源頼光と頼光四天王が山伏に扮して鬼の根城まで訪ねてゆき、鬼たちとの酒宴のさなか、「神便鬼毒酒」という毒酒を酒呑童子に飲ませ、身体が動かなくなったところで首を刈り討伐に成功したというものです。
大江山はこの話以外でも鬼の棲む地であったという話が伝えられており、日子坐王や麻呂子親王が別の物語で鬼退治をする舞台ともなっています。
このあたり、大江山の麓の銅山廃坑跡に建てられている「日本の鬼の交流博物館」のHPでも触れられていますので、そちらの物語も楽しんでみてください。
日本の鬼の交流博物館:3つの大江山鬼伝説の紹介
さて、その刈られた酒呑童子の首についてですが、頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、いくつか言い伝えがあるようですが老ノ坂で埋葬したと言われています。
これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神の由来であるとされています。
ただ
wikipediaによれば別の説で大江山の山中にそのまま埋めたとも伝えられているようで、それが今回訪ねていった大江山鬼嶽稲荷神社の由来となっているのだとか。
ということでその大江山鬼嶽稲荷神社です。
社が一つだけの小さな神社です。
ただ、こちらの鳥居が興味を惹かれました。
これは両部鳥居という少し特殊な鳥居が用いられており、稲荷の鳥居にはあまり見られない種類の鳥居です。
権現鳥居ともいわれ、神仏習合の神社でたまに見られるモノなのです。
厳島神社のものが最も有名なのですが、他には福井県の氣比神宮や埼玉県の三峯神社などでも見られるのだとか
現地にあった案内板。
鬼嶽稲荷神社
ここは大江山(千丈ヶ嶽・標高832.5m)の八合目海抜640mのところ、頂上まであと約1.2kmです。ここ鬼嶽稲荷の一帯はブナの原生林で多様な植生がみられ多くの昆虫や鳥獣が生息しており、まさに野生の宝庫です。
昔、神社はもっと頂上近くにあったと伝え、人々は大江山を御嶽と呼んでいました。社伝では、往古、四道将軍として当地へ来た丹波道主命が父、日子坐王の旧蹟に神祠を建立したと伝えています。又、この一帯に修験の遺跡も多く残っています。本殿に向かって右手の小祠(はしくらさん)も、その一つです。大江山は修験の山でもあったのです。
社殿が現在地に移されたのは、弘化年間(十九世紀中頃)と思われ、このとき伏見稲荷大社の分霊を勧請し、鬼嶽稲荷と名を改めました。以来、当地方の主産業であった養蚕の神、稲作の神として、農民たちの篤い崇敬を受けてきました。本殿の前の狐の石像をご覧下さい。狐の尻尾は道祖神を思わせます。農民たちの豊穣への祈りがこめられているのでしょう。
秋の早朝、ここからの雲海の眺めは絶景です。特に日の出の瞬間「ご来光」は神秘的で、美しい紅葉と共に、多くの来山者を迎えています。
もともと名もない祠で、現在でこそ稲荷神を勧請して稲荷神社とされていますが、もともと修験道にかかわっていた可能性も濃厚のようですね。
なれば両部鳥居があることも納得です。
ただ、事前に得ていた情報とは異なり、由緒では日子坐王の神蹟を称えるために祠を作ったとあることから日子坐王の土蜘蛛退治の話とのつながりで見るほうが正解かもしれません。
日子坐王の土蜘蛛退治とは「丹後風土記残缺(たんごふどきざんけつ)」にて語られる物語で、青葉山を根城にして附近を荒らしまわっていた土蜘蛛を日子坐王率いる軍勢が討伐したというもので、土蜘蛛の軍勢を打ち破ることには成功したものの、首魁である陸耳御笠には逃げられてしまいます。そしてその陸耳御笠の行方を占ったところ、他でもない、この大江山(与謝の大山)に逃れていたとされているのです。
神社の近くでこのような看板を見つけました。
興味を惹かれたので行ってみると
小祠を発見
この附近からさらに山道を下に降りていくようなのですが、ひとりでかなり捜索してみたのですが、肝心の洞窟が何処にあるのか見つけられず、結局断念してしまいました。
さて、実はこちらに来たのは鬼伝説の聖地、大江山に来たかったというのも無論あるのですが、
こちらの案内にもあるように、この鬼嶽稲荷神社の前は雲海を見るのに絶好なスポットとしても知られているのです。
これも目当ての一つだったのです。
そこで大阪から数時間車を走らせ、深夜11時ごろに大江山に車で登り、鬼伝説の語られる山中で車中泊。
夜明け前から日の出を待ち構えていました。
こちらが夜明け前の光景。
生憎の曇り空ですが、雲海は見事に広がっています。
夜明け
ちらっと太陽が顔を覘かせてくれました。
周囲も明るくなってきた頃の光景
雲海に消えていく高圧線の姿も何ともいえず幻想的です。
鬼伝説の聖地として楽しむと同時に、雲海も楽しめます。
晩秋の大江山は非常にお勧めです。
鬼嶽稲荷神社
場所:京都府福知山市大江町北原
より大きな地図で 黒猫による京都府妖怪・伝承地地図 を表示
http://
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酒呑童子の名を見ることのできる最古のものは「大江山絵詞」(逸翁美術館蔵)であると言われています。
ただ古くから非常に人気の題材であるため様々な資料が残されており、いくつかはネット上でも見ることができるようになっています。参考までに国立国会図書館デジタル化資料の大江山酒天童子絵巻でも。
大江山酒天童子絵巻
話の大筋は、京の都を荒らしまわっていた酒呑童子を、源頼光と頼光四天王が山伏に扮して鬼の根城まで訪ねてゆき、鬼たちとの酒宴のさなか、「神便鬼毒酒」という毒酒を酒呑童子に飲ませ、身体が動かなくなったところで首を刈り討伐に成功したというものです。
大江山はこの話以外でも鬼の棲む地であったという話が伝えられており、日子坐王や麻呂子親王が別の物語で鬼退治をする舞台ともなっています。
このあたり、大江山の麓の銅山廃坑跡に建てられている「日本の鬼の交流博物館」のHPでも触れられていますので、そちらの物語も楽しんでみてください。
日本の鬼の交流博物館:3つの大江山鬼伝説の紹介
さて、その刈られた酒呑童子の首についてですが、頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、いくつか言い伝えがあるようですが老ノ坂で埋葬したと言われています。
これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神の由来であるとされています。
ただ
wikipediaによれば別の説で大江山の山中にそのまま埋めたとも伝えられているようで、それが今回訪ねていった大江山鬼嶽稲荷神社の由来となっているのだとか。
ということでその大江山鬼嶽稲荷神社です。
社が一つだけの小さな神社です。
ただ、こちらの鳥居が興味を惹かれました。
これは両部鳥居という少し特殊な鳥居が用いられており、稲荷の鳥居にはあまり見られない種類の鳥居です。
権現鳥居ともいわれ、神仏習合の神社でたまに見られるモノなのです。
厳島神社のものが最も有名なのですが、他には福井県の氣比神宮や埼玉県の三峯神社などでも見られるのだとか
現地にあった案内板。
鬼嶽稲荷神社
ここは大江山(千丈ヶ嶽・標高832.5m)の八合目海抜640mのところ、頂上まであと約1.2kmです。ここ鬼嶽稲荷の一帯はブナの原生林で多様な植生がみられ多くの昆虫や鳥獣が生息しており、まさに野生の宝庫です。
昔、神社はもっと頂上近くにあったと伝え、人々は大江山を御嶽と呼んでいました。社伝では、往古、四道将軍として当地へ来た丹波道主命が父、日子坐王の旧蹟に神祠を建立したと伝えています。又、この一帯に修験の遺跡も多く残っています。本殿に向かって右手の小祠(はしくらさん)も、その一つです。大江山は修験の山でもあったのです。
社殿が現在地に移されたのは、弘化年間(十九世紀中頃)と思われ、このとき伏見稲荷大社の分霊を勧請し、鬼嶽稲荷と名を改めました。以来、当地方の主産業であった養蚕の神、稲作の神として、農民たちの篤い崇敬を受けてきました。本殿の前の狐の石像をご覧下さい。狐の尻尾は道祖神を思わせます。農民たちの豊穣への祈りがこめられているのでしょう。
秋の早朝、ここからの雲海の眺めは絶景です。特に日の出の瞬間「ご来光」は神秘的で、美しい紅葉と共に、多くの来山者を迎えています。
もともと名もない祠で、現在でこそ稲荷神を勧請して稲荷神社とされていますが、もともと修験道にかかわっていた可能性も濃厚のようですね。
なれば両部鳥居があることも納得です。
ただ、事前に得ていた情報とは異なり、由緒では日子坐王の神蹟を称えるために祠を作ったとあることから日子坐王の土蜘蛛退治の話とのつながりで見るほうが正解かもしれません。
日子坐王の土蜘蛛退治とは「丹後風土記残缺(たんごふどきざんけつ)」にて語られる物語で、青葉山を根城にして附近を荒らしまわっていた土蜘蛛を日子坐王率いる軍勢が討伐したというもので、土蜘蛛の軍勢を打ち破ることには成功したものの、首魁である陸耳御笠には逃げられてしまいます。そしてその陸耳御笠の行方を占ったところ、他でもない、この大江山(与謝の大山)に逃れていたとされているのです。
神社の近くでこのような看板を見つけました。
興味を惹かれたので行ってみると
小祠を発見
この附近からさらに山道を下に降りていくようなのですが、ひとりでかなり捜索してみたのですが、肝心の洞窟が何処にあるのか見つけられず、結局断念してしまいました。
さて、実はこちらに来たのは鬼伝説の聖地、大江山に来たかったというのも無論あるのですが、
こちらの案内にもあるように、この鬼嶽稲荷神社の前は雲海を見るのに絶好なスポットとしても知られているのです。
これも目当ての一つだったのです。
そこで大阪から数時間車を走らせ、深夜11時ごろに大江山に車で登り、鬼伝説の語られる山中で車中泊。
夜明け前から日の出を待ち構えていました。
こちらが夜明け前の光景。
生憎の曇り空ですが、雲海は見事に広がっています。
夜明け
ちらっと太陽が顔を覘かせてくれました。
周囲も明るくなってきた頃の光景
雲海に消えていく高圧線の姿も何ともいえず幻想的です。
鬼伝説の聖地として楽しむと同時に、雲海も楽しめます。
晩秋の大江山は非常にお勧めです。
鬼嶽稲荷神社
場所:京都府福知山市大江町北原
より大きな地図で 黒猫による京都府妖怪・伝承地地図 を表示
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