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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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そこでいろいろ調べているうちに、どうやらこれは堀川での話らしい。
堀川の近辺は昔は湿地だったとのことで、これをある場所は埋め立て、ある場所は川として使用できるようにし、という工事をしていた最中の話らしいです。
その湿地地帯だった場所には、1882年に堀川監獄が建てられ、監獄自体が1920年に堺市に移転されたのち、その跡地は現在扇町公園となっています。
扇町公園は、実は心霊スポットとしても有名なのですが、このサイトの趣旨はあくまでも妖怪スポットめぐりなので、心霊スポットとしての視線では見ないようにします。
また調べているうちに、「大阪伝承地誌集成」に以下の記述がありました。
扇町公園のあたりは、江戸の末期ごろ天満界隈の塵芥の捨て場であった。
異臭たちこめ害虫が発生し、住民たちの苦情も頂点に達する。
万延元年(1860)天満奉行所の腕利き同心小西文吾は、与力からあのごもくを何とかせえと命じられる。
文吾が知り合いの人足頭に相談すると、頭はあわてて両手を振った。
「あっこはあきまへん。真夜中になるとごもくが動きよる。うちの若いもんも恐がってようさわりまへん」
「ばかを申せ。ごもくが動くはずがない」
「いんや。ほんまです。ごもくに足がはえてモソモソ動いてこっち来よるて、ごんも熊も八も見たもんようけおります」
「よし、それなら今夜確かめにいこう」
文吾は腕に自身がある。
厭がる人足頭を無理にひきずりだし、夜更けを待ってごもく山に近づいた。
なんともいえぬ腐臭でむせ返る。
ちょうど満月の夜で、ごもく山が怪しげな山脈のように訴びえ立ってみえる。
鼻をつまんで歩き廻ったが別段変わったことはない。
ばかばかしい、何も起こらぬではないかと言おうとしたとたん、目前の小山の如きごもくの一塊が、音響たてて崩れた。
なんと四本の足が生えてムクムクと動きだしたではないか。
月光に照らされたそ奴は、爛々と眼を輝かせたおよそ一丈はあるかと思われる大とかげであった。
ギャーと叫んだ人足頭は腰を抜かし手足をバタバタさせるばかりだ。
文吾はさすがは武士、腰こそ抜かさなかったが手足がすくみ、逃げることもできない。
「わ、悪かった。お前のねぐらとは知らなかった。ごもくはこのままにするから許せ、許せ」
文吾が何べんも叫ぶと大とかげは長い舌をチロチロ出し人足頭の頭をなめようとしていたのを止め、二、三度合点してふり向いて去ろうとした。
月が黒雲にかくれ暗くなる。
「しめた、今だ!」
文吾は伝家の宝刀引き抜くや力一杯斬りつけた。
再び月が顔を出したとき、人足頭は文吾をくわえて悠然と近くの大川に消えていく大とかげを確かに見た。
眼の前に大とかげの尻尾の先が転がり、まだピクピク動いている。
上で触れた扇町公園のあったあたりに、かつてごもく山という小山があり、、「大阪伝承地誌集成」では大蜥蜴の話はそこでの出来事と伝えられているとしていました。
もっとも堀川と大川の違いがありますが、話の大筋は同じのようです。
かつては湿地帯にあった堀川の北側にごもく山があった、ということかな?
と、思っていたら堀川戎神社内の地車稲荷に古い地図が掲示されていました。
予想通り、堀川の北側に「ゴモク山」の文字が見えます。
ともあれ、現地へ足を運んでみました。
ご覧の通り、現在では普通の公園です。
かつてのごもく山の名残でしょうか?
公園北側は小高い丘のようになっています。
丘の北側は植樹され林のようになっています。
扇町プール前。
湿地のあった名残が僅かでも感じられるのは、ここぐらいでしょうか?
蛇足ながら、この扇町公園南側に阪神高速12号守口線に入る料金所があるのですが、その脇に碑と社があります。
碑には「八重垣大明神」としるされており、社があるにも関わらず周囲は全てフェンスで囲まれており、近寄ることもできません。
写真を撮ったときは、ひょっとしてこれが大蜥蜴を祀ったものか?と期待をしていたのですが…
どうやら思惑は外れ別の事件に由来するもののようです。
しかし、せっかく写真も撮ったことなので載せておきます。
扇町公園
場所:大阪市北区扇町1