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狐-三ツ池跡-

松原市の狐たちの足跡巡り、5箇所目はかつて松原市にあったという三ツ池の近くに現れたという狐の住まいに関する現状です。





まずはどのような狐であったのか、wikipedia 松原の狐たち からの引用です。

およし狐の話 (三ツ池 およし)
およし狐は長尾街道沿いの三ツ池あたりに住む恥ずかしがり屋の狐で、とろけるような美しい娘の姿で現れたという。 堺の若者が、道明寺の縁日に三ツ池の土手に座っている狐にかんざしを与え、デートに誘ってみた。 翌晩青年との約束通り、およし狐は娘の姿で待っており、明け方までふたりは過ごした。 若者はおよし狐と恋に落ち、仕事もせずに遊びまわり、評判になったおよしを毎晩連れまわすようになった。 しかし数ヶ月後の結婚前夜、およしは憔悴しきって、池の土手の上で狐の姿に戻って死んでしまったと伝えられている。

住民票に載せられているのは、姓は三ツ池、名がおよし、そしてこの狐の本籍はどこの出身か不明との事。最後に住所は長尾街道沿い、三ツ池西側とされているのだそうです。
この狐についても松原市のHPに記述があります。
無断転写・引用は禁止とのことなので、リンクの形で紹介させていただきます。

松原市の狐達と三ツ池のおよし狐

一里塚の耕助狐の話-2

さて、どうやら棲んでいたというのは長尾街道沿いにかつてあったという三ツ池との事なのですが、あいにくこの池は現存していません。
そもそも三ツ池とは一つの池の名前ではなく、寄り添うような形で長尾街道にあった3つの池をまとめてそう呼んでいたようで、長尾街道の南に西池(昭和47年潰廃)、その東に長池(52年潰廃)、北に寺池(60年潰廃)があったようです。(長尾街道に沿う三ツ池 )

その三ツ池のあった場所の現在の様子はこのような感じでした。

情報を頼りにみつけた寺池の東側堤防跡。
現在はマンションに併設される児童公園になっていました。


こちらが現在の長尾街道。
古い地図で見る限り、かつては北側(右側)に寺池が、南側(左側)に長池が、そしてその先に西池があったようです。
およし狐の住所は三ツ池西側とされているようなので、もう少し西側によく出没していたのだと思われるのですが、西池の西側堤防跡がどこになるのかちょっと確信がもてませんでしたのでここで御容赦を。
恐らく現在線路が走っているあたりだと思うのですけれど。

このおよし狐、相当な美人であったと伝えられており会えるものであれば会ってみたかったものです。

さてwikipediaに載せられていた松原の狐たちの住まいの現在を訪ねてみましたが、松原にはまだ名前を持つ化け狐たちがいたようです。機会があれば彼らの住まいの現在地にも訪ねて行きたいものです。


<<関連エントリー>>
狐-天美の踏切-
狐-阪南大学裏手-
狐-籠池跡地(松原市消防署西出張所)-
狐-阪神高速14号松原線 三宅出入口近辺-

寺池東堤防跡
場所:大阪府松原市東新町3丁目

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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