松原市の狐たちの足跡巡り、3箇所目は三宅の一里塚の近くに現れたという耕助狐の住まいに関する現状です。
まずはどのような狐であったのか、
wikipedia 松原の狐たち からの引用です。
耕助狐の話 (一里塚 耕助)
三宅の入口そばの一里塚の耕助狐は、大和川の河川敷を熱心に開墾する狐で、時々前日に開墾した畑を忘れて別の所を耕していたと伝えられている。
住民票に載せられているのは、姓は一里塚、名が耕助、そしてこの狐には本籍の記載もあるようで、大和とされているようです。最後に住所は三宅の一里塚なのだとか。
この狐についても松原市のHPに記述があります。
無断転写・引用は禁止とのことなので、リンクの形で紹介させていただきます。
松原市の狐達と三ツ池のおよし狐
一里塚の耕助狐の話-2
さて、この三宅の一里塚。
本来一里塚とは、大きな道路の側に1里(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)のことを差します。
ところがこちらのモノは一里塚と称されてはいるものの、どうやら正式な一里塚ゆえの名称でなく、松原は平野なので小高い所を塚とかヤマとか呼んでいたようで、そういった俗称のモノであったようです。(
一里塚の耕助狐の話-2)
私も最初は一里塚なので何か石碑でもあるだろうと散々歩き回ってみたのですが徒労に終わり、帰宅後何かヒントでもないかとしっかり読んでいるときに気がつきました;;
ということで現地の写真です。
三宅の入口付近
三宅の出入り口から南の方を見て。
この時は一里塚と思しき石碑を捜し歩いていて、当然の事ながら見つけられなかったものの、三宅の出入り口東側に開いたスペースを利用したちょっとした緑化されたスペースを見つけました。
面積にしてみたら極々小さなものではありますが、北側はこんもりと盛り上げられた塚の様になっており、南側には花を咲かせています。
耕助狐は大和川を開墾して回っていた狐だと伝えられています。
この塚が耕助が棲んでいたという一里塚の現在の姿だと良いですね。
<<関連エントリー>>
狐-天美の踏切-
狐-阪南大学裏手-
狐-籠池跡地(松原市消防署西出張所)-
狐-三ツ池跡-
阪神高速14号松原線 三宅出入口近辺
場所:大阪府松原市三宅西と三宅東の間
より大きな地図で 黒猫による大阪府妖怪・伝承地地図 を表示
http://
[1回]
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まずはどのような狐であったのか、
wikipedia 松原の狐たち からの引用です。
耕助狐の話 (一里塚 耕助)
三宅の入口そばの一里塚の耕助狐は、大和川の河川敷を熱心に開墾する狐で、時々前日に開墾した畑を忘れて別の所を耕していたと伝えられている。
住民票に載せられているのは、姓は一里塚、名が耕助、そしてこの狐には本籍の記載もあるようで、大和とされているようです。最後に住所は三宅の一里塚なのだとか。
この狐についても松原市のHPに記述があります。
無断転写・引用は禁止とのことなので、リンクの形で紹介させていただきます。
松原市の狐達と三ツ池のおよし狐
一里塚の耕助狐の話-2
さて、この三宅の一里塚。
本来一里塚とは、大きな道路の側に1里(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)のことを差します。
ところがこちらのモノは一里塚と称されてはいるものの、どうやら正式な一里塚ゆえの名称でなく、松原は平野なので小高い所を塚とかヤマとか呼んでいたようで、そういった俗称のモノであったようです。(
一里塚の耕助狐の話-2)
私も最初は一里塚なので何か石碑でもあるだろうと散々歩き回ってみたのですが徒労に終わり、帰宅後何かヒントでもないかとしっかり読んでいるときに気がつきました;;
ということで現地の写真です。
三宅の入口付近
三宅の出入り口から南の方を見て。
この時は一里塚と思しき石碑を捜し歩いていて、当然の事ながら見つけられなかったものの、三宅の出入り口東側に開いたスペースを利用したちょっとした緑化されたスペースを見つけました。
面積にしてみたら極々小さなものではありますが、北側はこんもりと盛り上げられた塚の様になっており、南側には花を咲かせています。
耕助狐は大和川を開墾して回っていた狐だと伝えられています。
この塚が耕助が棲んでいたという一里塚の現在の姿だと良いですね。
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阪神高速14号松原線 三宅出入口近辺
場所:大阪府松原市三宅西と三宅東の間
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