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本州最南端である和歌山県の潮岬に程近い場所に橋杭岩という景勝地があります。
こちらには弘法大師と天邪鬼に纏わる民話が残されています。

Hashiguiiwa06.jpg


現地に合った案内板。

Hashiguiiwa07.jpg

橋杭岩
 今から1,500万年ほど前(新生第第三紀中新生の中ごろ)、熊野層群とよばれる砂や泥の厚い地層が海底にたい積した。橋杭岩のまわりの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層(しきやるいそう)の泥岩からできている。この地層がたい積した頃、大島から潮岬附近の海底は火成岩の隆起帯になっていた。
 その後、1,400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動が起こった。この活動にともなって、北北西-南南東の方向にのびる地層の割れ目にそってマグマが上昇して冷えかたまり、橋杭岩のもとになる、直立した厚い板状の岩脈ができた。この岩脈は、石英斑岩(せきえいはんがん)という火成岩からできている。
 やがて、すっかり陸地となった紀南の海岸は、荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩よりはるかに硬いために侵食されても残り、あたかも大島に向かって橋脚を並べたように、今もそそり立っているのである。


と、奇景が生成された経緯が書かれてあります。
しかし、私にはこちらの案内板の方が大事で。
Hashiguiiwa04.jpg

吉野熊野国立公園 天然記念物
  <<橋杭岩の伝説>>

その昔弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡るため天邪鬼に手伝わせて橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれている。


こういう伝承が書かれている方が個人的にはありがたいですね。
ただ、これだけではお話としてあまりに短すぎますので、「和歌山県ふるさとアーカイブ」から。

橋杭(はしぐい)岩
出典:熊野古道大辺路の民話
発行:和歌山県西牟婁振興局


 昔々、弘法大師(こうぼうだいし)と天(あま)の邪鬼(じゃく)(人の邪魔ばかりする悪者)が熊野地方を旅して串本までやって来ました。
大島の人々が不便でたいそう困っているのを聞いた弘法大師は、「人に見られないように一晩の内に海に橋を架(か)けてやろう」と思い、天の邪鬼にも手伝ってもらうことにしました。しかし、天の邪鬼はいつも人の反対ばかりする上、偉い弘法大師には引け目を感じていましたので、何とかして弘法大師を困らせたいと思っていました。
 夜になると、いよいよ二人は橋をかけ始めました。天の邪鬼はふだんから働いたことがなかったので、すぐ疲れてきました。それであまり手伝おうとしませんでした。いっぽう、弘法大師は山から何万貫(がん)もある大きな岩を担(かつ)いできてひょいと海中に立ててどんどん橋杭を立てていきました。「この調子で橋を作ると朝までには立派な橋ができ上ってしまう。何とか邪魔をする方法はないものだろうか」と天の邪鬼は考えました。
 そこで弘法大師が人に見られぬように夜のうちに橋をかけてしまいたい」と言っていたのを思い出して鼻をつまんで「コケコッコー夜が明ける~」と鶏(にわとり)の鳴きまねをしました。弘法大師は「まだ夜が明けるはずはない」と耳を疑いましたが、もう一度天の邪鬼が「コケコッコー」と鳴きまねをすると夜が明けてしまったと勘違(かんちが)いしてあわてて工事を止めてしまいました。
 
それで今でも橋杭岩は海の中ほどまでしか続いていません。この珍しい岩は、大正十三年に国の天然記念物に指定されました。


出典:和歌山県ふるさとアーカイブ>和歌山の民話>串本町:橋杭(はしぐい)岩

さて、物語を楽しんだ後で現地の様子です。

Hashiguiiwa01.jpg

Hashiguiiwa02.jpg
私が訪ねた時は干潮の時間帯でしたので、橋杭岩近辺まで歩いて行けるような状態になっていました。
写真中央は、私の両親。
今回の旅には黒猫一家に加えて私の両親、さらに弟まで同行しています。

Hashiguiiwa05.jpg

Hashiguiiwa10.jpg
こういう光景は普段お目にかかることがありませんので、子どもたちも大はしゃぎです。
止めるまもなく娘は走っていってしまいます;;

Hashiguiiwa06.jpg
息子のほうは中々離れてはくれません;;
折角ですので「橋杭岩」と書かれた案内と一緒に。

Hashiguiiwa12.jpg

Hashiguiiwa13.jpg
橋杭岩の並びにある弁天島を眺めていると、鳥居があるのに気がつきました。
気になったら自分の目で見に行くことを身上にはしているのですが、今回は他にも家族がいるために島に渡るのは断念。
調べてみたところ、鳥居の奥には弁財天を祀った祠があるとの事。
祀られているのが弁財天との事ですので、弘法大師や天邪鬼の伝承とはまた別の由来があるのでしょう。

Hashiguiiwa17.jpg

Hashiguiiwa15.jpg
弁天島よりさらに大島よりの岩には写真のように石碑にも見えるようなものもありました。小メ戸コオシ島かな?
調べては見たのですが、残念ながら石碑かどうかなのかさえわかりませんでした。


橋杭岩
場所:和歌山県東牟婁郡串本町

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妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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