日本神話の国産み・神産みにおいて、イザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうけた神として知られているイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥)。
火のカグツチ(迦具土神・神軻遇突智)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなります。
そして、その亡骸は、『古事記』によれば出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山(現在の島根県安来市伯太町)に、『日本書紀』の一書によれば紀伊の熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)に葬られたといわれています。
しかしながら、島根県との境に程近い鳥取県西伯郡にある母塚山(はつかさん)こそイザナミの墓である、という伝承が地元には残されているとの事で足を運んできました。
実は私もこの山のことは知らなかったのです。
しかし、妻の実家で暇をもてあまして付近を散歩していた時に・・・
このような看板を見つけました。
「ようこそ、ロマンに満ちた伝説の山」と書かれており、興味を引かれたので帰宅後に調べたところ、上に書いたような言い伝えが残されている事が分かった次第。
義母に聞いてみたところ、義父がまだ遊びまわっていた頃に石棺が見つかってえらく盛り上がったのだとか。その時分に地元では一気にイザナミの墓稜ではないかとの話が取りざたされていたのだそうです。
自宅に戻ってからその話がどこかに載っていないか調べては見たのですが、残念ながら見当たりませんでした。
そのような話を聞いた事もあって、非常に興奮しながら山を登りだします。
この母塚山は山頂近辺まで車でいけるとのことで、車を使って山を駆け上がります。
ところが登り始めて間もなく、なにやら気になる看板が。
ふろや伝説
伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の男女一対の神によって、盛んに国生みが始まりました。
母親神の伊邪那美は、最後に「火の神」を生んで焼死され、出雲国と伯伎国との境の比婆山(ひばやま)に葬りました。これを「母親山」と呼んだ=この山が現在の「母塚山」であると伝えられています。
母親神の伊邪那美を葬った八百萬(やおよろず)の神々がけがれを祓うみそぎをされたのがここ「ふろや」の泉水であり、この谷を「清水谷」といいます。
母親山は、「死せる神の眠る山」と信仰され、その麓に湧く泉水は「比婆山のふろや」として崇敬をあつめています。
小さな社もありました。
八百萬の神々が禊をしたにしては、ささやかな大きさの泉です。
また話にでてきていた「清水」という地名、この母塚山と日野川の支流である法勝寺川を挟んで向かいの山麓にこの地に語られる再生神話で薬を練ったという「清水井」があり、関連もありそうですね。
ちなみに「清水井」近辺は現在でも「清水」という地名になっています。
このような寄り道をしたものの、一気に山頂まで上っていきました。
山頂近辺の駐車場。
ここまで舗装されていますし、路面状態も良好でした。
近辺からは気軽にドライブがてら訪れる事が出来そうです。
駐車場にあった目印。
左に行くと母塚山山頂(660米)、右に行くと展望台があるようです。
まずは展望台に。
駐車場から展望台へ向かう道に入るところに、いつもの「なんぶ百選」の案内板が。
母塚山の伝説
「伊邪那岐・伊邪那美の男女両性の神が現れて、盛んに国生みが始まった。
母親神の伊邪那美神は、火の神を生んで焼け死なれたので、出雲の国と伯伎の国との堺の比婆山に葬った」と古事記に記されている。そこが母親山で現在の母塚山であると伝えられている。
母親神の伊邪那美神を葬った八百萬の神々が、けがれを祓うみそぎをしようとされたが良い水がなく、この時、女神が現れ、手に持った杖を地にたてられたら、たちまち清水が湧き出て神々はその泉で身を清められた。
泉は古来より渇水の記録のない「谷川のふろや」で、今もなお清冽な水が滾々と湧き出ている。(この谷を清水谷という)
大正時代まで山頂付近に、伊邪那美神を祭る社があり、現在は福田八幡宮に合祀されている。
昭和初期、弘法大師の熱心な信者により大師像と薬師寺像等を寄進し、八十八の札所が設けられた。
母塚山(海抜二七六m)は地方の神名備山として、人々の関心を集めた山である。
南部町
南部町観光協会
山頂にあった伊邪那美神を祭る社は、麓にある福田八幡宮に合祀されてしまっているのですね。
福田八幡宮はこの近辺の河童伝承にて名前が上がっていたので訊ねて行った事のある神社です。
河童-鳥取県西伯郡・福田正八幡宮-
そして、展望台に繋がる小道を歩いてゆきます。
途中、鳥居のように折れてしまっている倒木を潜り抜けて展望台へ。
こちらが南側
こちらが北側。はるか彼方に日本海も見る事が出来ます。
さて、こんな感じで展望台からの眺望を楽しんだ後、今度は山頂方面を目指します。
こんな道ですが、案内板も随所にあり、非常に分かりやすい山道となっています。
「なんぶ百選」の説明でも触れられていましたが、弘法大師の信者の方が作られたものでしょうか?
それにしては年季が入っているようにも思われます。
そしてついに山頂部に到着・・・
写真をご覧になっていただければ分かるように、現在も社のようなものがしっかりとありました。
しかも、かなり雰囲気のあるものが・・・
「伊邪那美神陵墓」と書かれています。
社という性格のモノではないのかな?
ここにも案内板が。
といっても書いてあることはあまり変わりがありませんでしたので割愛。
この山頂部の「伊邪那美神陵墓」には、かなり独特な雰囲気がありますね。
結構良い場所でした。
母塚山
場所:鳥取県西伯郡南部町
より大きな地図で 黒猫による鳥取県妖怪・伝承地地図 を表示
http://
[2回]
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実は私もこの山のことは知らなかったのです。
しかし、妻の実家で暇をもてあまして付近を散歩していた時に・・・
このような看板を見つけました。
「ようこそ、ロマンに満ちた伝説の山」と書かれており、興味を引かれたので帰宅後に調べたところ、上に書いたような言い伝えが残されている事が分かった次第。
義母に聞いてみたところ、義父がまだ遊びまわっていた頃に石棺が見つかってえらく盛り上がったのだとか。その時分に地元では一気にイザナミの墓稜ではないかとの話が取りざたされていたのだそうです。
自宅に戻ってからその話がどこかに載っていないか調べては見たのですが、残念ながら見当たりませんでした。
そのような話を聞いた事もあって、非常に興奮しながら山を登りだします。
この母塚山は山頂近辺まで車でいけるとのことで、車を使って山を駆け上がります。
ところが登り始めて間もなく、なにやら気になる看板が。
ふろや伝説
伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の男女一対の神によって、盛んに国生みが始まりました。
母親神の伊邪那美は、最後に「火の神」を生んで焼死され、出雲国と伯伎国との境の比婆山(ひばやま)に葬りました。これを「母親山」と呼んだ=この山が現在の「母塚山」であると伝えられています。
母親神の伊邪那美を葬った八百萬(やおよろず)の神々がけがれを祓うみそぎをされたのがここ「ふろや」の泉水であり、この谷を「清水谷」といいます。
母親山は、「死せる神の眠る山」と信仰され、その麓に湧く泉水は「比婆山のふろや」として崇敬をあつめています。
小さな社もありました。
八百萬の神々が禊をしたにしては、ささやかな大きさの泉です。
また話にでてきていた「清水」という地名、この母塚山と日野川の支流である法勝寺川を挟んで向かいの山麓にこの地に語られる再生神話で薬を練ったという「清水井」があり、関連もありそうですね。
ちなみに「清水井」近辺は現在でも「清水」という地名になっています。
このような寄り道をしたものの、一気に山頂まで上っていきました。
山頂近辺の駐車場。
ここまで舗装されていますし、路面状態も良好でした。
近辺からは気軽にドライブがてら訪れる事が出来そうです。
駐車場にあった目印。
左に行くと母塚山山頂(660米)、右に行くと展望台があるようです。
まずは展望台に。
駐車場から展望台へ向かう道に入るところに、いつもの「なんぶ百選」の案内板が。
母塚山の伝説
「伊邪那岐・伊邪那美の男女両性の神が現れて、盛んに国生みが始まった。
母親神の伊邪那美神は、火の神を生んで焼け死なれたので、出雲の国と伯伎の国との堺の比婆山に葬った」と古事記に記されている。そこが母親山で現在の母塚山であると伝えられている。
母親神の伊邪那美神を葬った八百萬の神々が、けがれを祓うみそぎをしようとされたが良い水がなく、この時、女神が現れ、手に持った杖を地にたてられたら、たちまち清水が湧き出て神々はその泉で身を清められた。
泉は古来より渇水の記録のない「谷川のふろや」で、今もなお清冽な水が滾々と湧き出ている。(この谷を清水谷という)
大正時代まで山頂付近に、伊邪那美神を祭る社があり、現在は福田八幡宮に合祀されている。
昭和初期、弘法大師の熱心な信者により大師像と薬師寺像等を寄進し、八十八の札所が設けられた。
母塚山(海抜二七六m)は地方の神名備山として、人々の関心を集めた山である。
南部町
南部町観光協会
山頂にあった伊邪那美神を祭る社は、麓にある福田八幡宮に合祀されてしまっているのですね。
福田八幡宮はこの近辺の河童伝承にて名前が上がっていたので訊ねて行った事のある神社です。
河童-鳥取県西伯郡・福田正八幡宮-
そして、展望台に繋がる小道を歩いてゆきます。
途中、鳥居のように折れてしまっている倒木を潜り抜けて展望台へ。
こちらが南側
こちらが北側。はるか彼方に日本海も見る事が出来ます。
さて、こんな感じで展望台からの眺望を楽しんだ後、今度は山頂方面を目指します。
こんな道ですが、案内板も随所にあり、非常に分かりやすい山道となっています。
「なんぶ百選」の説明でも触れられていましたが、弘法大師の信者の方が作られたものでしょうか?
それにしては年季が入っているようにも思われます。
そしてついに山頂部に到着・・・
写真をご覧になっていただければ分かるように、現在も社のようなものがしっかりとありました。
しかも、かなり雰囲気のあるものが・・・
「伊邪那美神陵墓」と書かれています。
社という性格のモノではないのかな?
ここにも案内板が。
といっても書いてあることはあまり変わりがありませんでしたので割愛。
この山頂部の「伊邪那美神陵墓」には、かなり独特な雰囲気がありますね。
結構良い場所でした。
母塚山
場所:鳥取県西伯郡南部町
より大きな地図で 黒猫による鳥取県妖怪・伝承地地図 を表示
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