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日野川流域の河童伝承地巡り、今回訪ねた最後の場所は西伯郡南部町にある福田正八幡宮(ふくだしょうはちまんぐう)です。

fukudaseihachimanguu01.jpg


 国土交通省 中国地方整備局 日野川河川事務所のHPを見てみると、以下の話が記載されています。

福田正八幡宮
毎夜屋敷より酒を盗んでいた河童を生け捕りにした。宮司に命を助けられた河童は、お酒を給金として村のまわりを夜回りするようになった。


 掲載されている地図を見てびっくり。かみさんの実家から歩いていける程度の距離でした。
 県道180号線を歩いていると、「ようこそロマンに満ちた伝説の山 母塚山へ 母塚山入口」という看板が。この看板は看板で気が引かれはしたのですが、あまり母塚山の伝説については調べていなかったので少しでも調べてから改めてくる事にして(何せ徒歩15分程で来れますので)、福田正八幡宮を目指します。
 そして目的地である福田正八幡宮は、その看板からやや米子よりのところにありました。

fukudaseihachimanguu01.jpg
県道180号線から入っていった所に鳥居が。

fukudaseihachimanguu02.jpg
鳥居をくぐり、暫く歩いた右手にこのように神門が構えられています。

fukudaseihachimanguu03.jpg 
社殿

fukudaseihachimanguu04.jpg fukudaseihachimanguu06.jpg
本殿を左右両側から。
造りとしては目新しいものではありません。

fukudaseihachimanguu05.jpg
が、本殿裏側にこのようなモノが。
これはちょっと珍しいかな。

由緒書などは境内にはありませんでした。
ですが折角なのでいろいろ調べてみると、どうやら鎌倉時代全国に八幡宮が建立された一社とされているようです。
ですので、祭神は誉田別命なのでしょうか?
現在の社地は吉川広家が天正18(1590)年に再建されたとされているそうです。
また広瀬に居城があった吉川広家が米子に居城を移すさい、吉川氏が安全祈願をした八幡宮ともされているようで、米子城の隠れ城としてもつかわれていたそうです。

現在の境内の様子は小さな村の神社といった趣ですが、結構歴史のある神社のようです。
後日、母塚山の山頂まで登ったときに、そちらの案内板にてこちらの神社について触れられている箇所があり、それによると

大正時代まで山頂付近に、伊邪那美神を祭る社があり、現在は福田正八幡宮に合祀されている。

との事。
ですので、伊邪那美神も祀られているのでしょう・・・と思いきや、南部町観光協会のHPには

福田正八幡宮(福田神社)は福成地内谷川集落の山手にあり、祭神として応神天皇・稲田姫命・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰・天照大神・小耶姫・素戔鳴命・菅原道真が祀ってあります。このように多くの祭神があるのは、各所の村内の祠の祭神を統合したもののようです。
天正年間(1590年)吉川広家によって修理追築された八幡造りで、現在の本殿は文化年間(1809年~1817年)に修築されたものです。


とされており、伊邪那美神の名前を見る事が出来ません。
どういうことなのでしょうね???


福田正八幡宮
場所:鳥取県西伯郡南部町福成1157


より大きな地図で 黒猫による鳥取県妖怪・伝承地地図 を表示

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プロフィール

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自己紹介:
妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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