堺市南区に位置する櫻井神社は、鬼や天狗が出てくる古典芸能「上神谷のこおどり」が、毎年秋祭りに奉納されることで知られています。
あらかじめ断っておくのですが、今回はその由来を調べようといろいろ手にとってみたり、社務所の方に聞いてみたりしたのですが、残念ながら由縁までは辿り付く事が出来ませんでした。
どうやら、こちらに合祀された國神社に由来するようなのですが・・・
ですが、折角なので神社やこおどりの紹介だけでも。
櫻井神社は、伝承によると創立は悠遠の時代で、この地方に住居していた桜井朝臣の一族がその祖先である武内宿禰命を奉斎したと伝わっているそうです。
拝殿が鎌倉時代前期の建物だそうです。
拝殿はどうやら古い時代のものが少ないようで、神社拝殿として最古のものとされているようです。大正6年(1917年)に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和28年(1953年)に文化財保護法に基づく国宝に指定されています。
そして「上神谷のこおどり」についてですが、中踊(鬼神、天狗)と外踊(新発意、太鼓打、カンコ、扇ふり、音頭取)で構成され、まず当屋で一踊りしたあと、道唄をうたいながら神社に練り込み、神前に向って半円形に整列し、音頭取の歌にあわせてあひき踊、やかた踊などを踊るというものだそうです。
さらに、踊の終了後、鬼神の背負うヒメコと呼ぶ神籬(ひもろぎ)を奪いとり、門口にさして魔除けにするという民俗がのこっているのだそうです。
「こおどり」は、地元から発生したものではなく、外から流行り踊り的なものが、農村である上神谷で定着したものだそうです。和泉市や和歌山のかつらぎ市でも同様の踊りが残っているのだとか。
基本的に豊作などへの祈りや感謝。こおどりの「こ」は、雨乞いのこ、子どものこ、ツツミのこ、そして神のこの意味と言われているのだそうです。
そしてそもそもは、鉢ケ峯の國神社で行っていたものが、明治43年(1910年)に神社合祀により櫻井神社に統合され、櫻井神社で行うようになったのだとか。(上神谷の9つの神社が櫻井神社に合祀)
ともあれ現地の様子です。
境内への入口ですが、こちらの神社には鳥居が有りませんでした。
神社ではなく寺の山門といった趣です。
こちらが国宝の拝殿。
近づいてみます。
拝殿近影
現地案内板二種
(左)
櫻井神社
御祭神は、仲衰天皇・応神天皇・神功皇后で、上神谷八幡宮とも称せられています。
当社は、延喜式内社で、古くから公武の崇敬がありました。天正5年(1577)織田信長の根来攻めの兵火にあい、社頭は一時荒廃しますが、江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵等が再建されました。
拝殿は、鎌倉時代の建築で、古い様式の架構である二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)がみられ、創建当時の姿をとどめています。内部は、中央に「馬通(めどう)」と呼ばれる通路を持つ割拝殿形式の建物で、市内では唯一の国宝に指定されています。
毎年10月第1日曜の秋祭に奉納される「上神谷のこおどり」は、中世の風流踊りの影響がうかがえる神事舞踏であり、国選択・大阪指定無形民族文化財に指定されています。
また、鎌倉時代の神像と応永19年(1412)の銘を持つ石灯籠は、大阪府の有形文化財に指定されています。
(右)
国宝櫻井神社拝殿
この拝殿は神社の祭礼を行う建物で、建立は鎌倉前期と推定されている。
中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹梁蟇股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。大正6年国の特別保護建造物に指定され昭和三年解体修理が行われ、同28年文化財保護法に基づき国宝に指定された。その後同53年屋根吹替等保存修理を行う。
神社拝殿最古の遺構として貴重な建物である。
大阪府教育委員会
(左) 拝殿から見た本殿
(右) 拝殿を回りこんだところから本殿
稲荷社
あと、境内を散策していて面白かったのがこちら
絵馬堂なのですが・・・
中に巨大な鬼の面が。
NHKに出た記念に奉納されたものだそうです。
由来まで辿り付く事が出来なかったのが残念です。
資料をめくっている内に見つけることが出来たら追記するようにいたします。
櫻井神社
場所:大阪府堺市南区片蔵645
より大きな地図で 大阪近郊妖怪・伝承地図 を表示
Entry//
[6回]
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あらかじめ断っておくのですが、今回はその由来を調べようといろいろ手にとってみたり、社務所の方に聞いてみたりしたのですが、残念ながら由縁までは辿り付く事が出来ませんでした。
どうやら、こちらに合祀された國神社に由来するようなのですが・・・
ですが、折角なので神社やこおどりの紹介だけでも。
櫻井神社は、伝承によると創立は悠遠の時代で、この地方に住居していた桜井朝臣の一族がその祖先である武内宿禰命を奉斎したと伝わっているそうです。
拝殿が鎌倉時代前期の建物だそうです。
拝殿はどうやら古い時代のものが少ないようで、神社拝殿として最古のものとされているようです。大正6年(1917年)に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和28年(1953年)に文化財保護法に基づく国宝に指定されています。
そして「上神谷のこおどり」についてですが、中踊(鬼神、天狗)と外踊(新発意、太鼓打、カンコ、扇ふり、音頭取)で構成され、まず当屋で一踊りしたあと、道唄をうたいながら神社に練り込み、神前に向って半円形に整列し、音頭取の歌にあわせてあひき踊、やかた踊などを踊るというものだそうです。
さらに、踊の終了後、鬼神の背負うヒメコと呼ぶ神籬(ひもろぎ)を奪いとり、門口にさして魔除けにするという民俗がのこっているのだそうです。
「こおどり」は、地元から発生したものではなく、外から流行り踊り的なものが、農村である上神谷で定着したものだそうです。和泉市や和歌山のかつらぎ市でも同様の踊りが残っているのだとか。
基本的に豊作などへの祈りや感謝。こおどりの「こ」は、雨乞いのこ、子どものこ、ツツミのこ、そして神のこの意味と言われているのだそうです。
そしてそもそもは、鉢ケ峯の國神社で行っていたものが、明治43年(1910年)に神社合祀により櫻井神社に統合され、櫻井神社で行うようになったのだとか。(上神谷の9つの神社が櫻井神社に合祀)
ともあれ現地の様子です。
境内への入口ですが、こちらの神社には鳥居が有りませんでした。
神社ではなく寺の山門といった趣です。
こちらが国宝の拝殿。
近づいてみます。
拝殿近影
現地案内板二種
(左)
櫻井神社
御祭神は、仲衰天皇・応神天皇・神功皇后で、上神谷八幡宮とも称せられています。
当社は、延喜式内社で、古くから公武の崇敬がありました。天正5年(1577)織田信長の根来攻めの兵火にあい、社頭は一時荒廃しますが、江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵等が再建されました。
拝殿は、鎌倉時代の建築で、古い様式の架構である二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)がみられ、創建当時の姿をとどめています。内部は、中央に「馬通(めどう)」と呼ばれる通路を持つ割拝殿形式の建物で、市内では唯一の国宝に指定されています。
毎年10月第1日曜の秋祭に奉納される「上神谷のこおどり」は、中世の風流踊りの影響がうかがえる神事舞踏であり、国選択・大阪指定無形民族文化財に指定されています。
また、鎌倉時代の神像と応永19年(1412)の銘を持つ石灯籠は、大阪府の有形文化財に指定されています。
(右)
国宝櫻井神社拝殿
この拝殿は神社の祭礼を行う建物で、建立は鎌倉前期と推定されている。
中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹梁蟇股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。大正6年国の特別保護建造物に指定され昭和三年解体修理が行われ、同28年文化財保護法に基づき国宝に指定された。その後同53年屋根吹替等保存修理を行う。
神社拝殿最古の遺構として貴重な建物である。
大阪府教育委員会
(左) 拝殿から見た本殿
(右) 拝殿を回りこんだところから本殿
稲荷社
あと、境内を散策していて面白かったのがこちら
絵馬堂なのですが・・・
中に巨大な鬼の面が。
NHKに出た記念に奉納されたものだそうです。
由来まで辿り付く事が出来なかったのが残念です。
資料をめくっている内に見つけることが出来たら追記するようにいたします。
櫻井神社
場所:大阪府堺市南区片蔵645
より大きな地図で 大阪近郊妖怪・伝承地図 を表示
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