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龍・コロ-岩湧寺-

滝畑ダムから加賀へと抜ける林道を通っていくと岩湧山がありますが、この山頂近くに岩湧寺という寺がありますが、この寺の開基縁起に竜が出てきます。

Iwawakiji04.jpg


「大阪伝承地誌集成」に以下の様な話が載せられています。

岩湧寺の竜洞
岩湧寺(加賀田)の大きな洞穴に、いつのころからか竜が棲んでいた。
深夜になると出てきて火炎を吹いて近隣の田畑を荒らし、家畜をひと飲みにして夜明けに戻る。
昼間は寝ているらしく物音一つしない。
村人たちは困りはてて賞金を出し、強そうな武士を探して退治してほしいと懇願する。
たいていの豪傑は大笑いし、「竜といえどもたかが蛇の親分じゃ。ひとひねりしてくれる」と刀槍ひっさげて入っていくが、生きて洞穴から出てくる者はいなかった。
万策尽きた村人たちが天を仰いでいると、笈を背負い錫杖をついた旅の僧がやってくる。
話を聞いて、お前さんがたは退治しようとするからできぬのじゃ。
竜も生きもの、おだやかに頼んで山奥に消えてもらおうと洞穴の前に座って冷水をかぶり、なにやら祈祷を始める。
七日経った満月の夜、巨大な火柱のようなものが洞穴から吹き出して、うねりながら空中に消えていく。
それからは全く竜が出なくなったので、村人たちは大喜び、旅僧を歓待しようとするが、まだ修行中の身だからと去っていった。
若き日の役小角だという。


ネットで調べる限りこれ以上のことは分かりませんでしたので、後は上の話にある洞穴があることを期待しつつ現地へ向かう事とします。

Iwawakiji01.jpg
滝畑から加賀田へ抜ける林道を走っていくと、やがて岩湧山キャンプ場に到着します。
岩湧寺はその直ぐ脇にあります。

Iwawakiji02.jpg Iwawakiji03.jpg
しゃくなげ園があったのですが、時期(訪問したのは2012年5月13日)が悪くもう終わりかけでした。

しゃくなげ園
しゃくなげは、ツツジ属の中でも最も豪華な花をつけ近畿などでは京都の北山や高野山などに広く野生しています。5月頃、紅紫色~白色の花を多数咲かせます


Iwawakiji04.jpg Iwawakiji05.jpg
本堂とその脇にあった案内板

岩湧寺
この寺は、岩湧山北側中腹に位置し、文武天皇の勅願寺で役小角の開基であるとされている。 境内には本堂(市指定文化財) 多宝塔(国 重要文化財) 庫裡が配置され、本堂は江戸時代初期のもので本堂内にある厨子は室町時代後期のものと言われている。
多宝塔は、天文年間(室町時代1532-1555年)頃の建築であり多宝塔の本尊である大日如来坐像(国 重要文化財)は、桧材寄木造像高88.7cm、金剛界像で平安時代末期のものである。同じく塔内の愛染明王坐像(市 指定文化財)は鎌倉時代の作である。 又、境内の杉材は、樹齢400年以上で市内でもこれだけ老木の林はここだけしかみられないものである。
昭和57年3月 河内長野市
Iwawakiji07.jpg
本堂についての案内板もありました。

市指定文化財
岩湧寺本堂
文化財の種類 有形文化財 建造物
番 号 建五
指定年月日 昭和五十一年三月三十日
 岩湧寺は岩湧山北側の中腹にあり、寺伝によれば七世紀の末に文武天皇の願いによって役小角が開いたとされています。現在は、融通念仏宗に属していますが、往古は天台宗の霊場であったと伝えられています。
 市の指定を受けている本堂は、様式・意匠から江戸時代初期に建てられたものと考えられます。
 正面は柱間が三間で、側面は柱間が四間の規模です。屋根は現在、銅板で葺き、方形造と呼ばれ、四角錘状の形をした頂部に宝珠を飾ります。正面の屋根は、前に長くのびており、建物の庇を兼ねています。この庇は、向拝(ごはい)とよばれています。
 本堂の内陣須弥檀上には、室町時代後期の作と考えられる厨子があります。
河内長野市教育委員会
平成十五年三月

 
現地案内板では開基縁起について触れられていましたが、上に有るような物語についての言及はありませんでした。

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こちらが国の重要文化財の多宝塔とその脇にあった案内板。
案内板はすでに文字が読みにくくなっていました。

Iwawakiji08.jpg
境内をあちこち散策がてら洞窟のようなものがないかと見てまわりましたが、残念ながら見つからず。
「大阪伝承地誌集成」の物語で語られる竜の棲む洞窟というのはどこにあったのでしょうね。

Iwawakiji11.jpg Iwawakiji10.jpg
境内、寺務所と思われる建物脇に見事なカヤの木がありました。
折角なのでこちらの写真も。

市指定文化財
岩湧寺のカヤ
文化財の種類 記念物 天然記念物
番号 天三
指定年月日 平成十四年三月二十九日
 カヤの木は、イチイ科に属する針葉樹であり、本州・四国・九州の山地にはえています。葉は細く、厚く、先端は鋭くとがっています。雄と雌の株があります。四月頃に花が咲きます。実は、幅が広い楕円形をしており、カヤ味噌の原料等として食べることができ、また薬としても使われています。カヤの材木は、堅いので、碁盤などの材料としても使われます。
 岩湧寺のカヤの木は、市の指定を受けた平成十四年時点で樹高が二十メートル、幹周が五・九メートルあり、樹齢は四百年とみられました。根本付近には、空洞がありますが、幹と枝は中程から三方に分岐し、美しい形をしています。
河内長野市教育委員会
平成十五年三月

洞、はっけーん^^
最も樹齢四百年程とのことなので、こちらでは無いのでしょうが。

ということで残念ながら、竜が棲んだという洞穴の確認には至りませんでした。
ひょっとすれば、岩湧寺の近辺に目的とする洞窟があったのやも知れませんが・・・情報があればまた足を運んで見たいと思います。

また、この竜の話以外にも、「河内滝畑の民話」の中には岩湧山にはコロがいた、という話も載せられていました。
いた、という話だけが載せられていただけなのですが、書き留めて置くようにします。


岩湧寺
場所:大阪府河内長野市加賀田3824

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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