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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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既に六日と申しけるたそがれ時に、綱が宿所の門を敲く。
「何くより」と尋ぬれば、「綱が養母、渡辺にありけるが上りたり」とぞ答へける。
彼の養母と申すは、綱が為には伯母なり。
人して言ふは、悪しき様に心得給ふ事もやとて、門の際まで立出でて、「適々の御上りにて侯へども、七日の物忌にて 候ふが、今日は六日になりぬ。
明日ばかりは如何なる事候ふとも叶ふまじ。
宿を召され候ふべし。
-平家物語 剣巻より-
一条戻橋の説話、あるいは謡曲「羅生門」で有名な渡辺綱。
日本でも、鬼退治の物語の主役として最も有名な人物のうちの一人でしょう。
母方の里である摂津国西成郡渡辺に住んでいたようですが、これが調べてみると大阪市中央区にあたるようです。
世襲宮司が渡辺氏とされる坐摩神社の歴史を辿ってみると、「天正11年(1583年)、豊臣秀吉の大坂城築城にあたり現在地に遷座した」とされており、この時に一族郎党と共に現在の土地に移られたようです。
そして遷座前の元々の土地は、と調べてみれば、中央区石町に坐摩神社行宮が残っていました。
そこで、早速現地へ行いってまいりました。
(左) 外観
(右) 碑
ビルの谷間にひっそりと残されています。
(左) 行宮内
(右) 由来
渡辺綱と、黒猫は、実はご近所(徒歩5分程)さんでした。
いや、びっくり。
一条戻橋の説話の際、綱は恐らく京都で篭っていたのでしょうが、綱の普段の住まい、茨木童子が化けた義母が住んでいたのは 恐らくこの近辺でしょう。
渡辺とは、渡しの辺りという意味があるらしいですが、この行宮のある場所から現在の大川まで100m足らず…なるほどと頷けます。
なお、もう少し下流に行った所に「渡辺橋」がありますが、これは渡辺津の繁栄にちなみ江戸時代につけられた名前だそうです。
<<関連エントリー>>
式神・茨木童子等-京都府京都市・一条戻橋-
茨木童子-茨木童子貌見橋-
坐摩神社行宮
場所:大阪市中央区石町2丁目1近辺