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様々な妖怪-滝畑ダム-

滝畑ダムとは大阪府によって建設された補助多目的ダムです。
1967年に工事着工、1981年竣工しています。
堤高は62.0m。石川流域の治水と耕作地への灌漑用水供給、河内長野市及び富田林市への上水道供給が目的で、現在完成している大阪府内のダムでは、最大規模のダムとなっています。
滝畑ダムが建設される事により、もともとあった集落などがダム湖の中へと消えていったのですが、現在はなくなってしまったそのような淵などにも、主が棲む、ガタロウが棲む、コロ(ツチノコ)がいたなどと伝えられていた場所があったようです。

Takihatadamu03.jpg


以下は「河内滝畑の民話」からの引用。

淵のガタロウ・白蛇
 川の淵の底によう穴ァあいとるとこあってな、そこでガタロウに吸い込まれるぞちゅうて、わしらようおどかされたわ。
 けど、こどもはそうゆうとこかてな、よう入ってくやろォ。ほたらな、ガタロウおって吸うんやゆうて、昔はようゆうたもんや。
 ほてまたな、あの淵は人ォ死んでなんやらおるっちゅうてな、ようゆうたもんや。
 今な、ダムのできとる小口にな、あっこにもハッチョウジキちゅうて広いとこあんや。その人は狐に騙されて落ちたちゅうんや。そこいな、わしら子供時分に人が落ちて死んだことあったんや。ほんなもう、夏暑い時分に行たかてな、さぶうて(寒くて)震るわんなんわ。わしらな、よう川い行く自分にな、うちの親父と鰻釣りに行たもんや。
 そこに地蔵さんまつってたけども、酒飲んで狐に騙されてマクレタ(転がり落ちた)ゆうんや。
 そのケツネ(狐)はシラモトの白狐ちゅうてな、ケツネおったんや。明神さんのむこに(向こうに)あるもん。そやさかいな、夜、狐おったんや、あこにな。ケツネはそこらの山のヌシ(主)やから、な。
 あこはシラモトゆうけど、城の元やゆうたんやけども、シラモトゆうとるんや。ほで、そこに主おるんちゅうてな、昔からな。ほて、そこで主を明神さんちゅうてまつっとるんや。今でもあると思うね。
 ほてな、そこの下にな、ハッチョウジキ(八畳敷)の奥にな、ガランドウちゅうとこに蛇ゃおってな、蛇の穴ちゅうてな、主は蛇やゆうてな、白蛇おるゆうとるな。そやからあの明神さんにみなまつっとるんや。今はダムでのうなってしもたけどな。ダムできるまではな、ガランドウちゅうてあって、ヌシの白蛇ィほんまにおるちゅうとったんや。
 あこいな、大正六年にダムでけたんや。ツツミスイゾクちゅうてな、発電所でけて、その水力の発電所の水ゥ溜めるのにな。


「河内滝畑の民話」は語り口をそのままの形で残されているので、読みにくい、また意味が通りにくい所もあります。
きっと話者が身振り手振りをまじえたり、何人かで盛り上がりながら語られたかと思いますが、その場にいた人間には分かった事も、文面だけでは理解しにくいところもありますね。
ただこういった形の注釈を加えない、生の形で残していく事も大切だと思いますので、良い民話集であると思っています。
話としては今の滝畑ダムが建てられてある近辺の話なのでしょう。
ハッチョウジキ(八畳敷)という所は話から察するに、丁度ダム間際のダム湖の一番深い辺りにあるのではないかと思われます。
そして主を祭ったといわれる明神さまは、現存していると読み取れるのですが探し回ってみましたが場所の特定にはいたりませんでした。ハッチョウジキ(八畳敷)の近くと読み取れるので、ダム近辺だとは思うのですけどね・・・
最後の段に関して大正六年にダムが出来たような事を書かれていますが、これは話者の勘違いでしょう。
滝畑ダムは1967年に工事着工、1981年竣工ですしね。
ただ大正時代に入ったばかりの頃というと、日本全体が重工業化を邁進していた時代であり、水力発電のためのダムを建てようとしていた時代ではあります。
この滝畑の地も、あるいはその頃からダム建設の話が持ち上がっていたのかもしれませんね。

また上の話ではシラモトという地名が現在のダムが建てられている辺りにあったと読み取れますが、シラモトという土地に関してもこのような話も載せられていました。

シラモトのダリ
 あれな、ダリにつかれたら、ご飯三人分も四人分も食べるわ。おまえ知らんかったかァ。この下のおっさんよォ。あこのシラモトでダレにつかれたんや。
 ふーん。
 シラモトまで戻って来たけど、そっから奥の方へ来ららひんねやて。しんどうてな。それを無理矢理に這うようにして家い戻って来たらしいわ。へで、家い戻って来てから飯ィ食たて。おかずゥ鍋ェいっぱい入れてあったのォ、一人でみんな食うてしもたって。おばはんがな、くぅわァ(恐)かったらしいぞォ。
 インキョのおじいけェ。
 そうよ。
 まだ間ァないでェー。
 ふーん、なんとなァ。
 三年ほど前やったでェー。
 腹へってん、それ食うたらすーっとするらしいわ。
 これはな、ダレにはな、誰もオマシてくれるもんおらへんしするさかいになあ、へでな、つくんやって。
 そうかァ、そんなん知らんかったァー。
 ほんで、ホトケさんにゃ必ずオマサな(供えな)あかんちゅうのは、それやがな。
 うん、そうか。そんなん知らんかったァ。
 ホトケさんのことな、ダレとかダリちゅうてゆうやろ。
 あれ、ダリはな、腹減ってつきよるんや。
 昔の人はな、ダレつかれたら、三ツボでもご飯残せって、そないようゆうたわ。
 それは山なんかでダレにつかれたら、その三ツボのご飯な、オマシたら、ほいたらな、ダレがすーっと退いてくれるんやって。そうゆうことも聞いとんや。なんにも食べるもん持ってなんだら退いてくれぇへんて。
 わしかてな、あこのシラモトで憑かれたことあんやけど、ほんまにだるーてだるーてしゃあないんや。ほんでもう、早うにして家に戻って来てな、飯食うたらいっぺんに治ったことあったんやけどな。あれな、ダリに憑かれたら、ほんまに鍋にな、一杯も二杯も食うんやっちゅうてゆうたな。わしかて、あんとき、ほんまに鍋一杯食うたんや。せやさかい、山へ弁当持ってて食うときな、飯ちょっと残せゆうたんや。あれな、ダリはな、腹が減って飯ィ食えんと死んだ人がなるんやてゆうたな。


非常によく聞くヒダルガミに類する話です。
私が育った兵庫県西宮市でもダリとして伝えられていたと思いますし、両親の育った和歌山県ではガキ(餓鬼)様として同様の話が伝えられています。
伝えられるところのヒダルガミに憑かれた場合の対処法としては、上の話にあるように弁当の米粒を三粒でも良いから残しておいて憑かれたら口にする、というものもありますし、手の平に米という字を書いて食べるような動作をすれば良い、というのも聞いた事があります。
この付近ではダレが憑くと云われる場所が他にもあったようで収録されている民話の中にも、滝畑ダムの少し下流側に当たる日野道、逆にもう少し上流に登り光滝からさらに奥の蔵王峠の名前もあげられていました。

蔵王峠と言えば他にもグヒンサン(天狗)がいたと云われていますし、この付近でグヒンサン(天狗)といえば蔵王峠に行くまでにある光滝寺、扇山、横谷の集落(天狗松というのがあったらしい。枯れた為現存せず)にも居たという話が載せられていました。
Zaoutouge01.jpg Zaoutouge02.jpg
(左) 蔵王峠に向かう道
(右) 滝畑四十八滝のうち一つ荒滝
蔵王峠に向かう道は狭いため対向車があると本当に苦労します。
荒滝のすぐ手前に地蔵尊の後の様なものもありました。紹介したダリに遭う人が結構多かったからなのでしょうか?
ただ、現在は地蔵尊の土台だけになっているようでした。

他にも滝畑ダム周辺にコロ(ツチノコ)もいたという話もありました。

ユリノのコロ
 コロちゅうなァな、なににな、今ァダムしたあるやろ、ユリノちゅうとこにな、ようおったちゅうけどな。今ァダムの堤防したァるやろ、あこんとこの一帯の畑をユリノちゅうたんや。ここらタイラちゅうようなもんや。ユリノ行ったらな、こんな横槌な、まァそんな形ィしたのおったんや。そいつをコロちゅうたんや。山からな、それェころころと転げてくるんやちゅうてな、ようゆうたもんや。後ろ、山やもんな。こんな、切り立った山やもん、白狐おるとこやもんな。
 それ見た人はびっくりしてな、なんやら見てみたら横槌みたいな奴やったてな。
 わしらァ、よう見たことないんやけど、せやけど、みんな目にかけるちゅうたな、ここらにはおらひんわ。ユリノへ行くとあっこにはおったんや、茶ァ摘みに行ったりなんかしたときにな、あっこにはな。あこら茶畑多かったんや。ほて、桑畑がな、昔のな。
 東のオオギヤマあたりにはおったかどうや知らんけどな、ここらでコロおったちゅうのはな、ユリノぐらいやなァ。


この話ではなく他の話でコロのことを「あれェ、ツチノコゆうたんやな。」とされていましたので、ツチノコの地方名だと思われます。
しかし、この民話だけではなく他の話を読んでみても、変わった(気味悪い)生物という印象の話ばかりで、あまり妖怪という雰囲気は感じられません。
ユリノという土地のあった場所は現在のダムのあたりと読み取れるのですが、その辺りはシラモトと言う土地なのかとも他の話からは読み取れるのですが、なにぶん古い、しかも今は無くなってしまった土地の名前なのでハッキリしません。
コロはユリノの他、岩湧山にも居たと書かれていました。

このように現在の滝畑ダムのある地には、かつては様々なモノが棲んでいたと伝えられていました。
それらはその不可思議な話と共に今となっては湖水の下に眠っている事になるのですが、滝畑ダムは現代にも様々な怪異が出るという、いわゆる心霊スポットとしても非常に有名な場所となっています。
それら忘れ去られようとする主たちへの畏怖の思いが、近年に生まれた話の土壌となっているのかもしれませんね。
Takihatadamu04.jpg

こういった妖怪話だけでなく、民話集を読んでみるとどうやら滝畑の一帯には厩猿の風習もあったようです。
厩猿の風習を知らずに、そういうものを見つけてしまうとさぞ驚くことでしょうね。


滝畑ダム
場所:大阪府河内長野市滝畑

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妖怪と酒を愛する一男一女の父。
昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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