滝畑には「女塚」と呼ばれる祟りが恐れられている塚があるとのことです。
まず、「大阪伝承地誌集成」には以下のように記されています。
横谷の女塚
戦国時代に合戦に敗れたさる城主の姫が、数人の侍女たちとここまで逃げてきたが疲れ果て、たがいにのどを突き刺し果てた跡という。昼間でも曇天の日は、なんともいえぬ悲しい女性の嗚咽が聞こえ、屈強な男でも一人では通れないほど。塚は丸い石が三つ四つ置かれているだけだ。横谷は岩湧山北麓から流れ出た横谷川が北西流し、滝尻で合流するまでの谷にある村名。
また「河内滝畑の民話」にも、もう少し詳しく「女塚」について記されていました。
女塚
あこのな、○○○○の谷にな、オンナヅカ(女塚)があるな。
キトラヤマとこにな。あれ、女塚ちゅうな。ちょうど岩湧山の隣やな。あれな、昔、女の人やって来て、あこで死んだんやてな、ゆうとったな。
なんやらあれ、七人やって来てあこで死んだんやってゆうとったなァ。せやさかいな、あこはな、よう祟るとかなんやゆうとったでェー、あこいらやったらな。(後略:別の話になる為)
女塚
横谷にオンナヅカちゅうとこあるな。
加賀田へ越すとこにな。
戦国時代にな、戦争に負けた人達がやって来たけど、そこで女の人が自害したんやって。そこをオンナヅカゆうようになったんやって。
その女の人は身分の高い人やったんやってな。
女塚
あの女塚っちゅうんはな、昔な、戦国時代に戦争して負けた武将のお姫さんとか、女の人が五人とか七人とかが追われて来てな、ここで自害したとこやてゆうんや。
女塚はな、あこ一人で通ると、きしょく悪いでェー。二、三人で通ったかてなんも思わんのやけどなァ。
女塚にはな、丸こい石が二つ三つあるんや。あこからな、ちょっと行ったらな、岩湧山のお寺やわ。
実は本文の「河内滝畑の民話」の一番上の話の○○○○の箇所には谷の名称と思われる物が書いてあったのですが、谷の名前まで書かれている河内長野市の地図を見てもそれらしい名前の谷は見えず。
さては、周辺でのみ通用したローカルな名称なのかと思っていたのですが・・・
上の民話を頼りに、横谷から加賀田へ岩湧寺を経由して抜ける道路「林道加賀田滝畑線」を走らせて見ると、山中にポツンと立っていた民家のすぐ脇にそれとおぼしき物を発見。
上の写真のとおり、石が三つ程で塚のようになっており、それを囲むように柵がしてありました。
案内文も碑も何もありませんが、特徴から察するにこれが女塚なのでしょう。
手を合わせ、さて移動しようかときびすを返した時に、ふと「女塚」とおぼしき塚の隣に建てられていた民家の表札が目に入ったのですが・・・
なんと表札の名前は、上の話に出てきていた「○○○○(漢字で二文字)」という名前。
となれば民話で語られる「○○○○の谷」というのは、○○○○さんが住んでいる谷という事なのではないかなとw
民話集に現在も住まれている方のお名前が出ているのはどうかと考えます;;
ということで、このブログではあえて名前は伏せさせていただきました。
こう言うことも踏まえて考えると、「女塚」はここでまず間違いないのではないかと思われます。
さて知っている人は知っていますが、実は滝畑ダム周辺というのは心霊スポットとしても非常に有名です。
その中でも第三トンネルこと「梨の木トンネル」に女の幽霊が出る、ともっぱらの噂です。
実は滝畑ダムに来る時に、私は道路事情を全く知らずに61号線を使用してやって来たのですが、舗装もされていないでこぼこ道、おまけにガードレールは無い上、ダムの寸前にあった「塩降遂道」の雰囲気がとても不気味だったので、てっきりこちらが幽霊の出ると噂のトンネルかと思っていたのです。
こちらが「塩降遂道」。
写真では明るく写っているのですが、トンネル内はライトもまばらでかなり雰囲気があります・・・というかトンネルに入るのも少しためらわれる位。現地訪問時にはこちらが有名な心霊スポットなのだろうと写真に収めたのが上の二枚なのです。
しかし、帰宅後調べると噂のあるのはここより随分小奇麗な「梨の木トンネル」の方らしいのです。
「梨の木トンネル」はごく普通のトンネルであるように見受けられたので写真も取らなかったぐらいです。
が、「女塚」の位置を地図で再確認してみると、すぐ近くに「梨の木トンネル」の名前に気がつきます。
あくまでも想像の域を出ませんが、民話から分かるように、もともとこの地は地元では祟りの伝えられる忌避地であったようです。
そこにトンネルが出来た事により、「女」「祟り」「トンネル」が結びついて心霊スポットとして成立していったのではないかと考える次第です。
女塚
場所:大阪府河内長野市滝畑
より大きな地図で 大阪近郊妖怪・伝承地図 を表示
Entry//
[6回]
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まず、「大阪伝承地誌集成」には以下のように記されています。
横谷の女塚
戦国時代に合戦に敗れたさる城主の姫が、数人の侍女たちとここまで逃げてきたが疲れ果て、たがいにのどを突き刺し果てた跡という。昼間でも曇天の日は、なんともいえぬ悲しい女性の嗚咽が聞こえ、屈強な男でも一人では通れないほど。塚は丸い石が三つ四つ置かれているだけだ。横谷は岩湧山北麓から流れ出た横谷川が北西流し、滝尻で合流するまでの谷にある村名。
また「河内滝畑の民話」にも、もう少し詳しく「女塚」について記されていました。
女塚
あこのな、○○○○の谷にな、オンナヅカ(女塚)があるな。
キトラヤマとこにな。あれ、女塚ちゅうな。ちょうど岩湧山の隣やな。あれな、昔、女の人やって来て、あこで死んだんやてな、ゆうとったな。
なんやらあれ、七人やって来てあこで死んだんやってゆうとったなァ。せやさかいな、あこはな、よう祟るとかなんやゆうとったでェー、あこいらやったらな。(後略:別の話になる為)
女塚
横谷にオンナヅカちゅうとこあるな。
加賀田へ越すとこにな。
戦国時代にな、戦争に負けた人達がやって来たけど、そこで女の人が自害したんやって。そこをオンナヅカゆうようになったんやって。
その女の人は身分の高い人やったんやってな。
女塚
あの女塚っちゅうんはな、昔な、戦国時代に戦争して負けた武将のお姫さんとか、女の人が五人とか七人とかが追われて来てな、ここで自害したとこやてゆうんや。
女塚はな、あこ一人で通ると、きしょく悪いでェー。二、三人で通ったかてなんも思わんのやけどなァ。
女塚にはな、丸こい石が二つ三つあるんや。あこからな、ちょっと行ったらな、岩湧山のお寺やわ。
実は本文の「河内滝畑の民話」の一番上の話の○○○○の箇所には谷の名称と思われる物が書いてあったのですが、谷の名前まで書かれている河内長野市の地図を見てもそれらしい名前の谷は見えず。
さては、周辺でのみ通用したローカルな名称なのかと思っていたのですが・・・
上の民話を頼りに、横谷から加賀田へ岩湧寺を経由して抜ける道路「林道加賀田滝畑線」を走らせて見ると、山中にポツンと立っていた民家のすぐ脇にそれとおぼしき物を発見。
上の写真のとおり、石が三つ程で塚のようになっており、それを囲むように柵がしてありました。
案内文も碑も何もありませんが、特徴から察するにこれが女塚なのでしょう。
手を合わせ、さて移動しようかときびすを返した時に、ふと「女塚」とおぼしき塚の隣に建てられていた民家の表札が目に入ったのですが・・・
なんと表札の名前は、上の話に出てきていた「○○○○(漢字で二文字)」という名前。
となれば民話で語られる「○○○○の谷」というのは、○○○○さんが住んでいる谷という事なのではないかなとw
民話集に現在も住まれている方のお名前が出ているのはどうかと考えます;;
ということで、このブログではあえて名前は伏せさせていただきました。
こう言うことも踏まえて考えると、「女塚」はここでまず間違いないのではないかと思われます。
さて知っている人は知っていますが、実は滝畑ダム周辺というのは心霊スポットとしても非常に有名です。
その中でも第三トンネルこと「梨の木トンネル」に女の幽霊が出る、ともっぱらの噂です。
実は滝畑ダムに来る時に、私は道路事情を全く知らずに61号線を使用してやって来たのですが、舗装もされていないでこぼこ道、おまけにガードレールは無い上、ダムの寸前にあった「塩降遂道」の雰囲気がとても不気味だったので、てっきりこちらが幽霊の出ると噂のトンネルかと思っていたのです。
こちらが「塩降遂道」。
写真では明るく写っているのですが、トンネル内はライトもまばらでかなり雰囲気があります・・・というかトンネルに入るのも少しためらわれる位。現地訪問時にはこちらが有名な心霊スポットなのだろうと写真に収めたのが上の二枚なのです。
しかし、帰宅後調べると噂のあるのはここより随分小奇麗な「梨の木トンネル」の方らしいのです。
「梨の木トンネル」はごく普通のトンネルであるように見受けられたので写真も取らなかったぐらいです。
が、「女塚」の位置を地図で再確認してみると、すぐ近くに「梨の木トンネル」の名前に気がつきます。
あくまでも想像の域を出ませんが、民話から分かるように、もともとこの地は地元では祟りの伝えられる忌避地であったようです。
そこにトンネルが出来た事により、「女」「祟り」「トンネル」が結びついて心霊スポットとして成立していったのではないかと考える次第です。
女塚
場所:大阪府河内長野市滝畑
より大きな地図で 大阪近郊妖怪・伝承地図 を表示
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