歌舞伎の創始者として知られる出雲阿国。
その晩年は出雲大社近くに戻り、余生を過ごしたと伝えられていう伝承があります。
伝えられるところによると、出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘として産まれ、出雲大社の巫女となり、文禄年間(1592~1596年)より出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったといわれています。
慶長8年(1603年)春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行ったところ京で大変な人気を集めたそうです。
男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じるもので、「かぶき踊り」と呼ばれるようになります。
同年5月には御所でも「かぶき踊り」を演じたほか、四条河原などで勧進興行を行ったそうです。
阿国一座が評判になるとこれを真似た芝居が遊女によって盛んに演じられるようになり、遊女歌舞伎となったそうです。
このころの歌舞伎は現在のものと異なり、女性によるセクシャルなものだったようですね。
阿国に関しての確実な記録は慶長12年(1607年)、江戸城で勧進歌舞伎を上演したもので、以降は各地に伝承として残されるのみです。
この出雲の地にもその後の阿国の余生についての話が残されているわけです。
出雲大社前を走る国道から少し入ったところに目的の阿国寺があります。
阿国寺入口にあった阿国全身像
こちらが阿国寺”連歌庵”
現地案内板もありました。
阿国寺”連歌庵”
歌舞伎の始祖として一世を風靡した出雲阿国は、晩年は大社に帰り、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたと言われています。そのため、この草庵は阿国寺”連歌庵”と呼ばれるようになりました。
連歌庵はもともと中村町にありましたが、中村の大火で消失して、二代目は明治4年、廃仏毀釈によって取り壊され、昭和11年、「劇祖阿国会」によって再建されました。
そしてすぐ近くに阿国の墓と伝えられる墓もありました。
こちらが阿国の墓と伝えられているものです。
現地案内板
出雲阿国の墓
日本を代表する芸能・歌舞伎の始祖として知られている出雲阿国は、大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったと伝えられています。
天正の頃、出雲大社本殿の修復勧請のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。
豊臣秀吉や徳川家康の御前でも、この歌舞伎踊りを披露するほどに名をあげ、世に「天下一阿国」として知られました。
また、阿国と名護屋山三との熱愛ぶりも今の世に語り継がれています。
阿国寺”連歌庵”
場所:島根県出雲市大社町杵築
より大きな地図で 黒猫による島根県妖怪・伝承地地図 を表示
阿国の墓
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伝えられるところによると、出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘として産まれ、出雲大社の巫女となり、文禄年間(1592~1596年)より出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったといわれています。
慶長8年(1603年)春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行ったところ京で大変な人気を集めたそうです。
男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じるもので、「かぶき踊り」と呼ばれるようになります。
同年5月には御所でも「かぶき踊り」を演じたほか、四条河原などで勧進興行を行ったそうです。
阿国一座が評判になるとこれを真似た芝居が遊女によって盛んに演じられるようになり、遊女歌舞伎となったそうです。
このころの歌舞伎は現在のものと異なり、女性によるセクシャルなものだったようですね。
阿国に関しての確実な記録は慶長12年(1607年)、江戸城で勧進歌舞伎を上演したもので、以降は各地に伝承として残されるのみです。
この出雲の地にもその後の阿国の余生についての話が残されているわけです。
出雲大社前を走る国道から少し入ったところに目的の阿国寺があります。
阿国寺入口にあった阿国全身像
こちらが阿国寺”連歌庵”
現地案内板もありました。
阿国寺”連歌庵”
歌舞伎の始祖として一世を風靡した出雲阿国は、晩年は大社に帰り、尼僧「智月」となり、読経と連歌に興じて静かに余生を過ごしたと言われています。そのため、この草庵は阿国寺”連歌庵”と呼ばれるようになりました。
連歌庵はもともと中村町にありましたが、中村の大火で消失して、二代目は明治4年、廃仏毀釈によって取り壊され、昭和11年、「劇祖阿国会」によって再建されました。
そしてすぐ近くに阿国の墓と伝えられる墓もありました。
こちらが阿国の墓と伝えられているものです。
現地案内板
出雲阿国の墓
日本を代表する芸能・歌舞伎の始祖として知られている出雲阿国は、大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったと伝えられています。
天正の頃、出雲大社本殿の修復勧請のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。
豊臣秀吉や徳川家康の御前でも、この歌舞伎踊りを披露するほどに名をあげ、世に「天下一阿国」として知られました。
また、阿国と名護屋山三との熱愛ぶりも今の世に語り継がれています。
阿国寺”連歌庵”
場所:島根県出雲市大社町杵築
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阿国の墓
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