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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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「大阪伝承地誌集成」に以下の記述がありました。
ろうそく好きの狐
池田の商家の番頭が用足しに出て時間がかかり、日が暮れた。
提灯を借りて帰路茶臼山のあたりに来ると、下り坂でいつもはすいすい歩けるはずなのに、右へよろよろ左へよろよろ千鳥足のようになる。
「変やな。わい酒も呑んどらんのに…」
と訝しげに歩いていると、提灯の明かりがふっと暗くなり、ありゃと思うとぱっと明るくなる。
「提灯まで酔っぱらったんかいな。しっかりせえ」
と気合をいれたとたん、石につまづいてごろんと転がり、提灯も消えた。
真っ暗だ。
舌打ちしながら火打石をカチカチやったが、灯はつかない。
つかないはずた、ろうそくがない。
急に恐くなって立ち上がると、すいすい歩ける。
番頭は後もふり返らず走りに走って店に帰った。
わけを聞いた主人は笑い出して、
「お前、そらな、狐にたぶらかされたんや。あっこのお狐はんはろうそくが好物やさかい」
と、番頭の肩をぽんと叩いた。
何処にでもある狐に化かされたお話です。
子供をつれて池田市の方で遊んできた帰りに、ちょっとだけ現地に寄ってみました。
(左) 茶臼山公園入口
(右) 公園入口脇にあった現地案内板
府史跡 池田茶臼山古墳
池田茶臼山古墳は、昭和32年(1957)に始まった五月山区画整理事業で破壊の危機に直面しました。この事を知った池田の郷土史家ら有志が集まり、茶臼山古墳保存運動を展開しました。この保存運動は当時の日本住宅公団を動かし、区画事業の計画が変更されて、現在のように公園として残されることになりました。
茶臼山古墳保存運動は、学者や著名人を交えることなく市民だけで自主的に行われたもので、戦後の文化財保存運動としては画期的な出来事でした。
(左) 古墳近景
(右) 古墳の所にあった木製案内板
この木製の案内板は、文字がかすれて判別しにくいところがあったので写真だけ
(左) 古墳頂上部 奥に石室の天井部となる岩も見えます
(右) 古墳頂上部より大阪市内を望む
茶臼山というのは全国各地にあり、大阪でも天王寺動物園の直ぐ脇に同名の山があります。
よって判別を容易にするために、現在では茶臼山という名前の前に地名を付けるところが多いのだそうです。
この池田茶臼山は全長約65mの築造時期は4世紀中頃とみられる前方後円墳であることが分かっています。
後円部で竪穴式石室や円筒埴輪棺が見つかり、玉類などが出土していて池田市歴史民俗資料館にて発掘物も見る事が出来るようになっているとの事です。
1972(昭和47)年に府指定史跡となり現在に至っているとの事。
春になるとお花見スポットにもなるらしいです。
すぐ近くの五月山にはいろいろ噂話があることもあり、他に面白い話は無いものかと調べてみたのですが、残念ながら見つけることは出来ませんでした。
この地であれば、未だに狐狸の姿を見かけることがあるかもしれません。
そういえば箕面の滝を見に行ったときに猿の姿を見かけなかったため、売店の店員さんに何処に行けば見る事ができるのか聞いてみたところ、餌を求めて五月山の方へ行っているようだよ、と教えていただいたこともあるため猿の姿を見かけることもあるのでしょうね。
池田茶臼山古墳
場所:大阪府池田市五月丘1丁目6-15