役行者こと役小角が付近を荒らしまわっていた二人の鬼を捕らえ、その後改心した鬼は前鬼・後鬼として役行者に付き従うようになったというのは比較的知られている話であると思います。
その二人を改心させた場所というのが、大阪から見れば生駒山を越えた向こう側、生駒市 寶山寺(ほうざんじ:宝山寺とも書きます)にある般若窟であると伝えられています。
寶山寺は俗に生駒聖天、生駒の聖天さんとも呼ばれ親しまれています。
本尊は不動明王なのですが、鎮守神として歓喜天(聖天)を祀っており、俗称から見ると歓喜天への信仰の方が人気があるのかもしれません。
歓喜天に対する信仰も興味深いとは思うのですがですが、まずは当初の目的地である般若窟へ向かいます。
この寺の裏手にある崖の中ほどにあるとの事です。
むしろ、この生駒山山腹から突き出た火成岩の山塊を巨大な盤座として信仰が生まれたのではないかとも言われていますので、むしろこちらの方が信仰の本体であると言うべきなのかもしれません。
残念ながら、般若窟へ至る道は一般の人間は危険である為、立ち入り禁止とされていました。
その脇に立てられていた現地案内板。
般若窟
般若窟は、その昔、役行者が窟内に梵本の般若経を納められ、その往錫の霊域を訪ね、弘法大師もこの地で修行された霊跡であります。
中興開山湛海律師は、役行者がこの般若窟を、弥勒浄土の内院になぞらえて修行されたことから、本尊弥勒菩薩像を初め、役の行者像などを祀られました。
また、嶺頭には雲上閣を建立して、自ら彫刻された虚空菩薩像を安置され、八千枚不動護摩供に並ぶ苦行である、虚空蔵求聞持法を修しておられます。
鬼については触れられていません・・・
この崖の中腹にある窟に閉じ込められ、改心を迫られたら・・・
さて、折角ですので般若窟以外の寶山寺の風景も写真に収めてみました。
駐車場から。
人気のある寺院ですので駐車場は2箇所もあり、山の中腹にあるにもかかわらず車では非常にアクセスしやすい寺院です。
またケーブルカーもすぐ脇を通っており、公共交通機関でのアクセスも良好です。
このケーブルカーの敷設に関しては、実は寶山寺に関する逸話も残っています。
近鉄電車創業の折、大阪・奈良間を鉄道で結ぶにあたりこの生駒山を貫通させる形でトンネルを掘りましたが、やはりその費用がかなり経営を圧迫していたようです。
最も寶山寺としては、鉄道の駅が麓にできた事で参拝客が非常に増えたことで喜ばしかったようなのですが。
そんな中、社員の給料の支払いにも困窮した同社の取締役の一人であった金森又一郎(後、同社の代表取締役・社長)は寶山寺に赴き、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込んだとのこと。
その結果、当時の管主は
「大軌が開業する際に宝山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも大軌の苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」
として、快く資金を都合してくれたという話が残っているのだとか。
この賽銭は給料にも回されたため、当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったと伝えられます。
今も宝山寺には、金森の書いた借用証書が残されているといいます。
また、日本初のケーブルカーが生駒に開業した要因の一つには、上記の話に対する大軌の礼というものもあったといわれているのだとか。
時代が時代であれば、これを元とした民話が生まれてきそうな話ですね。
駐車場脇にあった境内案内図。
山の中腹にあるにも関わらず、かなり大きな寺院です。
こちらが本来の正面に当たります。
神仏習合寺院ですので、寺ですが鳥居があります。参道脇の灯篭の並びが良い感じです。
実は平成23年の年末に行っていたので、この日は注連縄を鳥居に取り付ける行事が執り行われていました。
上2枚の写真は、大きな注連縄を引き上げる為に集まられていた門徒(信徒?)の方々。
下の写真は、それに経を上げに往く為境内を移動中の僧侶の方々。
神仏習合と分かってはいるものの、注連縄飾りの行事の際に経を上げる光景というのは不思議な印象をうけます。
こちらが山門
境内の様子です
さて、案内図には奥の院があるとの事なので、登っていってみることにします。
途中にあった多宝塔。愛染明王が祀られてありました。
奥の院への道中です。
両脇に地蔵の群れ、群れ、群れ・・・
こちらが寶山寺の奥の院。
そして山の山頂に祀られている福徳大神の拝礼所。
一応「福徳神社」とされているようです。
実際にはこの奥の山頂に祀られているらしいのですが、一般の人は立ち入ることが出来ないようになっているようです。
この他案内板では経塚という所などもあるようですが、随所に立ち入ることが出来ない場所があるようでした。
修行の場、聖域、神域といったものですので仕方ありませんね。
最後に境内に戻ってきてお茶とお餅で一服。
寒い日でしたので、熱いお茶が非常に美味しかったです。
聖天こと歓喜天の事についても少し。
そもそもはヒンドゥー教のガネーシャ(Ganesa、群集の長)に起源を持ちます。
ヒンズー教最高神の一柱シヴァ神を父にパールヴァティー)を母に持ち、シヴァの軍勢の総帥を務めたとされています。
古代インドでは、もともとは障碍を司る神だったが、やがて障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されていたようです。
象頭人身の姿で現されることが多いようです。
そもそも周囲を恐れさせていた暴君が、とある美女に私を抱きたいのであれば、仏法に帰依しなさいと言われこれを承諾し、以後仏法を護る神となった、などという由来もある神なので、その仏像は男天・女天2体の立像が向き合って抱擁している歓喜仏的なものが多いようで、日本においては秘仏とされている事が多いようです。しかもこの美女は菩薩が化身したものだったとか。
昔の仏教は、現在の仏教とは少し違っていたことを感じさせるエピソードですね。
そんなこともあり、夫婦和合の神として信仰をあつめているようです。
黒猫も妻との事、少し足を痛めている母の事等をお祈りしてまいりました。
<<関連エントリー>>
鬼(前鬼・後鬼)-慈光寺-
駒山 寶山寺
場所:奈良県生駒市門前町1番1号
より大きな地図で 黒猫による奈良県妖怪・伝承地地図 を表示
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寶山寺は俗に生駒聖天、生駒の聖天さんとも呼ばれ親しまれています。
本尊は不動明王なのですが、鎮守神として歓喜天(聖天)を祀っており、俗称から見ると歓喜天への信仰の方が人気があるのかもしれません。
歓喜天に対する信仰も興味深いとは思うのですがですが、まずは当初の目的地である般若窟へ向かいます。
この寺の裏手にある崖の中ほどにあるとの事です。
むしろ、この生駒山山腹から突き出た火成岩の山塊を巨大な盤座として信仰が生まれたのではないかとも言われていますので、むしろこちらの方が信仰の本体であると言うべきなのかもしれません。
残念ながら、般若窟へ至る道は一般の人間は危険である為、立ち入り禁止とされていました。
その脇に立てられていた現地案内板。
般若窟
般若窟は、その昔、役行者が窟内に梵本の般若経を納められ、その往錫の霊域を訪ね、弘法大師もこの地で修行された霊跡であります。
中興開山湛海律師は、役行者がこの般若窟を、弥勒浄土の内院になぞらえて修行されたことから、本尊弥勒菩薩像を初め、役の行者像などを祀られました。
また、嶺頭には雲上閣を建立して、自ら彫刻された虚空菩薩像を安置され、八千枚不動護摩供に並ぶ苦行である、虚空蔵求聞持法を修しておられます。
鬼については触れられていません・・・
この崖の中腹にある窟に閉じ込められ、改心を迫られたら・・・
さて、折角ですので般若窟以外の寶山寺の風景も写真に収めてみました。
駐車場から。
人気のある寺院ですので駐車場は2箇所もあり、山の中腹にあるにもかかわらず車では非常にアクセスしやすい寺院です。
またケーブルカーもすぐ脇を通っており、公共交通機関でのアクセスも良好です。
このケーブルカーの敷設に関しては、実は寶山寺に関する逸話も残っています。
近鉄電車創業の折、大阪・奈良間を鉄道で結ぶにあたりこの生駒山を貫通させる形でトンネルを掘りましたが、やはりその費用がかなり経営を圧迫していたようです。
最も寶山寺としては、鉄道の駅が麓にできた事で参拝客が非常に増えたことで喜ばしかったようなのですが。
そんな中、社員の給料の支払いにも困窮した同社の取締役の一人であった金森又一郎(後、同社の代表取締役・社長)は寶山寺に赴き、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込んだとのこと。
その結果、当時の管主は
「大軌が開業する際に宝山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも大軌の苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」
として、快く資金を都合してくれたという話が残っているのだとか。
この賽銭は給料にも回されたため、当時の大軌社員の給料袋はズッシリ重かったと伝えられます。
今も宝山寺には、金森の書いた借用証書が残されているといいます。
また、日本初のケーブルカーが生駒に開業した要因の一つには、上記の話に対する大軌の礼というものもあったといわれているのだとか。
時代が時代であれば、これを元とした民話が生まれてきそうな話ですね。
駐車場脇にあった境内案内図。
山の中腹にあるにも関わらず、かなり大きな寺院です。
こちらが本来の正面に当たります。
神仏習合寺院ですので、寺ですが鳥居があります。参道脇の灯篭の並びが良い感じです。
実は平成23年の年末に行っていたので、この日は注連縄を鳥居に取り付ける行事が執り行われていました。
上2枚の写真は、大きな注連縄を引き上げる為に集まられていた門徒(信徒?)の方々。
下の写真は、それに経を上げに往く為境内を移動中の僧侶の方々。
神仏習合と分かってはいるものの、注連縄飾りの行事の際に経を上げる光景というのは不思議な印象をうけます。
こちらが山門
境内の様子です
さて、案内図には奥の院があるとの事なので、登っていってみることにします。
途中にあった多宝塔。愛染明王が祀られてありました。
奥の院への道中です。
両脇に地蔵の群れ、群れ、群れ・・・
こちらが寶山寺の奥の院。
そして山の山頂に祀られている福徳大神の拝礼所。
一応「福徳神社」とされているようです。
実際にはこの奥の山頂に祀られているらしいのですが、一般の人は立ち入ることが出来ないようになっているようです。
この他案内板では経塚という所などもあるようですが、随所に立ち入ることが出来ない場所があるようでした。
修行の場、聖域、神域といったものですので仕方ありませんね。
最後に境内に戻ってきてお茶とお餅で一服。
寒い日でしたので、熱いお茶が非常に美味しかったです。
聖天こと歓喜天の事についても少し。
そもそもはヒンドゥー教のガネーシャ(Ganesa、群集の長)に起源を持ちます。
ヒンズー教最高神の一柱シヴァ神を父にパールヴァティー)を母に持ち、シヴァの軍勢の総帥を務めたとされています。
古代インドでは、もともとは障碍を司る神だったが、やがて障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されていたようです。
象頭人身の姿で現されることが多いようです。
そもそも周囲を恐れさせていた暴君が、とある美女に私を抱きたいのであれば、仏法に帰依しなさいと言われこれを承諾し、以後仏法を護る神となった、などという由来もある神なので、その仏像は男天・女天2体の立像が向き合って抱擁している歓喜仏的なものが多いようで、日本においては秘仏とされている事が多いようです。しかもこの美女は菩薩が化身したものだったとか。
昔の仏教は、現在の仏教とは少し違っていたことを感じさせるエピソードですね。
そんなこともあり、夫婦和合の神として信仰をあつめているようです。
黒猫も妻との事、少し足を痛めている母の事等をお祈りしてまいりました。
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駒山 寶山寺
場所:奈良県生駒市門前町1番1号
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