[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
白蔵主という、有名な狐が僧に化ける、という話があります。
wikipediaから引用させていただくと、大体のあらすじは以下のようになっているようです。
白蔵主とは本来は宝塔寺という寺の僧の名で、彼の甥の猟師・弥作が、キツネを捕えて皮を売って生活していた。彼の住処の近くの夢山という山には老いた白狐がいたが、多くの子ギツネを弥作に捕えられたため、彼を怨んでいた。
そこでキツネは伯父・白蔵主に化けて弥作を訪ね、殺生の罪を説いて狐獲りを戒め、代りに金を渡してキツネ獲りの罠を持ち去った。しかし彼は金を使い果たし、再び金を乞いに伯父の寺を訪ねようとしたので、キツネは寺に先回りして本物の白蔵主を食い殺し、自らが再び白蔵主に成りすまし、キツネ獲りを追い返す。以来50年以上も住職を務め上げた。
あるときに鹿狩りが行なわれ、白蔵主は人に混じってそれを見物していたところ、キツネの正体を見抜いた犬に噛み殺されてしまった。人々はキツネの祟りを恐れ、祠を建てて「狐の杜」として祀ったという。以来、キツネが法師に化けること、または逆に法師がキツネのように振舞うことを「白蔵主」と呼んだという。
堺市にある少林寺という寺にも、この類話が伝わっています。
ただ、少林寺を舞台として伝わる白蔵狐には、細部の異なった幾つかの話があるようです。
「怪異・妖怪伝承データベース」で調べてみますと以下の話が引っかかります。
三本足の白狐
城蔵稲荷の由来。老僧が三本足の白狐を飼っていた。老僧の甥が猟師なのを怖れた白狐は、老僧に化けて甥に殺生の罪を語り聞かしたが、甥は鼠の天ぷらで引き寄せ白狐を殺した。
白蔵主,白狐
昔、稲荷を信仰する寺僧の下へ3匹の白狐が現れた。白狐たちは猟師を生業とする僧の甥を恐れ、僧に化けて甥に殺生を止めるよう諭した。これを聞いた僧も同様に諭したため、甥は殺生を止めた。白狐は代々今日まで境内の御堂に住むと伝えられる。
先日、図書館で借りて読んだ「大阪の民話」の中には、上記二つを混ぜ、さらに狐は子をなしますが、その小狐も三本足であった、というような話であったと記憶しています。
細かいところはさておき、
>キツネが法師に化けること、または逆に法師がキツネのように振舞うことを「白蔵主」と呼んだという。
と、されているようですので、例え狐に名が無くとも「白蔵主」と言っても差し支えないのでしょう。
この寺の歴史は相当に古く白蔵主の伝承は、「和泉名所図会」の少林寺の項にも記されています。
祭神、稲荷大明神。俗に、釣狐の社といふ。永徳年中に、耕雲庵といふ当寺の塔頭あり。其住侶を白蔵主といへり。この僧、稲荷大明神を常に信仰して、毎日法施怠らず。或時、明神感應あつて、竹林より三足の白狐出現せり。即、抱帰りて養愛す。此狐、霊あつて、隋仕の用を達し、又、盗難を避る事あり。伯藏主の甥に、猟を好むあり。かの白狐、此者を恐れ、伯藏主の体に化て、其甥の家に行、殺生の罪をさまさま語り、戒めけるに、此おのこ敏きものにて、狐の僧に化たる事をしり、密に道に出て、其術をつくし、猟しけると也。これを、狂言師大蔵といふ者、工夫をめぐらし、野干の所作を狂言に作り、釣狐、又は吼噦(こんくはん)とも名づけたり。彼狐、大藏がこゝろをこめしを感じ、又、老僧と化し、野干の骨髄の動を教しとなり。其より、此狂言を初メて行ふ時は、此寺に来ッて、この白狐の棲し竹林の小篠を伐て杖となす事、此狂言の故事なる。享保十八年、京師吉田家より通信霊社と神号を與へられしなり。
さて、現地に到着いたしましたが、山門の右手に早速案内板が。
山門と現地案内板
少林寺
萬年山少林寺は、元徳二年(1330)桃源宗悟の開山で、寺号は大檀越小林修理亮法の姓をとり小林寺としましたが、のちに菩提達磨の少林寺にならって少の字に改めました。当時、寺の境域は、今の寺地町・少林寺町を合せた両町の海浜にまで達していましたが、寺地の多くを織田信長に没収され次第に衰退しました。その後、豊臣秀吉が、石田三成・小西行長に命じて境内竹木の伐採を禁止したとありますから当時なお名刹であったことを伺いしることができます。本尊は釈迦牟尼仏、鎮守白蔵主稲荷明神、明治三十九年(1906)に禅通寺を合併、その鎮守今池弁財天をまつります。大徳寺派黄梅院末に属します。
永徳元年(1381)塔頭耕雲庵の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に参籠して霊狐を得、狂言大蔵流の始祖霊狐の所作を狂言に作り、釣狐として上演されました。以後狂言歌舞伎関係者は釣狐上演の際は当寺に参詣し技芸の上達上演の成功を祈願し寺内の逆芽竹を1本祈祷してもらい持ち帰り、上演の時の杖に使用する慣習になっています。
「釣狐」に関しては「日本芸術文化振興会」という団体のHP「文化デジタルライブラリー」内で一部閲覧する事ができるようになっていました。
能楽編その二 釣狐(つりぎつね)
「釣狐」で使用するという逆芽竹とは、白蔵主が鎮守稲荷明神に参籠しましたおり、参籠満願の日、修業中に用いた竹の杖を逆さに立て、そこから再生の芽を出し、繁茂した竹のことを言うのだそうです。
この碑の後ろに生えている竹が、逆芽竹と呼ばれるものでしょう。
このような妖怪話が元になった伝統が今も残るというのは、妖怪好きにとっては嬉しい限りですね。
少林寺
場所:大阪府堺市堺区少林寺町3-1-18