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子育て幽霊-櫛笥寺-

165px-Beisai_Kosodate_Yurei.jpg「子育て幽霊」という民話があります。
細かいところに差はあれど類話は日本全国にありますが、だいたいのあらすじはよく似たものとなっているようです。
wikipedia「子育て幽霊」からあらすじを引用します。


ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。
主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。

 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。
主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。

その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出した。
主人は女を気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。
翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞くので、主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。
お大尽は大いに驚いて娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。
掘り起こしてみると娘の亡骸が生まれたばかりの赤ん坊を抱いており、娘の手に持たせた三途の川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。
お大尽は、「娘は墓の中で生まれた子を育てるために幽霊となったのだろう」と「この子はお前のかわりに必ず立派に育てる」と話しかけると、娘の亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。
この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。



堺市堺区にある櫛笥(くしげ)寺に安置されている日審上人は、実はこの幽霊に育てられた子供である、と語られています。

 


kushigeji03.jpg
寺の前に案内板がありました。
こちらにも、その件について触れられています。

櫛笥寺
 具足山櫛笥寺は、明応元年(1492)櫛笥大納言隆朝が創建し、本住院日染の開山です。
 本山立本寺の末寺ですが、奉行所札書付に「京都立本寺、当地櫛笥寺、両寺一寺と申す」と記されている。朱印寺で、豊臣秀吉は天正14年(1586)1石1斗の朱印を寄せ徳川幕府もこれを引継ぎました。大阪夏の陣(1615)で焼失したが、元和3年(1617)本堂等を再建しました。
 当寺に安置する霊鷲院日審は、母が懐妊中に死亡した後、甕棺の中で出生し、説法にすぐれた高僧となり、安産守護の「つぼ日審さま」として慕われ、帰依するもの9万人に及んだといわれ、立本寺の17世、当寺の8世中興の師となりました。宝永元年(1704)の記録には延成院、久祥院、良圓坊、扇翁坊の四塔頭の名があり、境内地墓地計1238坪でした。
 昭和20年、戦火で全焼の後、昭和40年現在の本堂等が再建されました。
堺市
 
kushigeji01.jpg kushigeji02.jpg
「子育て幽霊」に由来する僧が勤めたとだけあって、安産・水子供養を謳っているようです。

「大阪伝承地誌集成」によれば、日審の墓の他、ご母堂の墓もこの寺にあったとのことですが、ご母堂の墓は戦禍で無くなってしまい、現在は日審上人の墓だけが残されているそうです。
ただ、やはり参らせていただくわけでもないのに、お墓を見に境内に入る、というのは失礼かと考え控えさせて頂きました。

「子育て幽霊」といえば京都東山に現在も残る「みなとや」。
「みなとや」にはその幽霊に売ったという飴を現在も売っているそうで、近くに行ったら是非買って食べてみたいものです。


櫛笥寺
場所:大阪府堺市堺区櫛屋東4丁1-15

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昨今、文献漁りも行っているが、昔の人の書が達筆すぎて苦心中

 

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