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大阪市内に棲む黒猫が、大阪近辺の妖怪や民話の伝わる土地を訪ね歩いた記録です。 ツイッターで更新のお知らせをできるようにしています。 @youkai_kuroneko
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京都へ遊びに行ったついで、晴明神社にも足を運んできました。
この神社は、おそらく最も有名な陰陽師である安倍晴明が生前住んでいた屋敷を、晴明が亡くなられた時の帝である一条天皇が晴明の偉業を称え、また晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘四年(1007年)、その御魂を鎮めるために創建されたと伝えられています。
この日は何かのお祭りの日という訳ではありませんが、観光客、参拝客が結構いらっしゃいました。
さすが、小説や映画の題材にもなっている人気人物縁の地ともなれば、黒猫が普段訪ね歩いているところとは違い賑やかなものです。
かくいう黒猫の家の蔵書にも夢枕獏の「陰陽師」があります。婚前からの妻の蔵書ですが。
現在小学3年生になる娘が、そろそろ徐々に絵本から小説へ読む本が移行していっているのですが、その際、誰の本を読ませてみる?と妻と何度か話した事があります。
その中で妻は、夢枕獏は読みやすいんじゃない?という話題に上っていたので、娘も少しばかし「陰陽師」も手に取ったようです。
ただ、やはりまだ少し難しかったようで、別の作家の小説に移ってしまったようですが。
もう少し経ってから再度勧めてみる事にしましょう。
ちなみに先日は火浦功(黒猫も妻も好きな作家で出版作品はほぼ全部あるかも)の本を手にとっていたようです。
ちなみに黒猫は神林長平が好きだったりするのですが、さすがにまだ娘には勧めていません。
最も、最近は古書や民話集、郷土史や論文などを読む事が増えて、小説を殆ど読んでいないのですが。
閑話休題。
鳥居。
普通の神社であれば神社名の入った扁額があるところですが、こちらでは桔梗紋が掲げられていました。
鳥居から本殿を覗いてみたところと「晴明神社由緒」
本殿を写した写真はえらく雰囲気のあるように写っていますが、カメラの自動露光の加減でこのようになってしまっただけです。
この日は確かに雲が多かったですが、穏やかな日でした。
晴明神社由緒
御祭神 安倍晴明御霊神
沿革
安倍晴明公は孝元帝の御後胤で幼時より御聡明で陰陽の道を極められ長じて陰陽寮天文博士として朱雀 村上 冷泉 円融 花山 一条の六代の天皇に仕え幾多の御功績をたてられた 朝廷の祭政 生活の基範を陰陽の理を以て定められ今日の我々の年中行事 占法等々に多くの影響を与えられている
一条帝の御代 寛弘二年(一〇〇五年)九月二十六日御年八十五にてお亡くなりになると 帝の御鎮霊の勅旨をもって晴明公邸趾に寛弘四年(一〇〇七年)に神社としてまつられ現在に至る。
御神徳
晴明公は稲荷神の御分霊との信仰もあり魔除け 厄払け 病気平癒又 火除け 方除けの崇敬を集めている。
☆晴明桔梗印
当神社御神紋☆は桔梗印もしくは五芒星と呼ばれ 晴明公の創められた祈祷呪符の一で魔除けの印である 天地五行(木・火・土・金・水)を象どり西洋諸国でも用いられる 。
境内に入って、直ぐ左手に以前掛けられていた「一条戻橋」とその案内。
戻橋の直ぐ脇に鬼のような石像がありますが、これは渡辺綱が一条戻橋で腕を切り落としたという茨木童子ではなく、式鬼のようです。
そして二つ目の鳥居をくぐって、いよいよ本殿へ参ります。
この日、拝殿には参拝客が数多く来られていましたので、本殿まで写真に撮る事は控えました。
安倍晴明がその念力によって湧き出させたという晴明井。
また千利休もこの辺りに住んでいたといわれる他、この晴明井の辺りで自害したとも伝えられているのだそうです。
面白かったのが、境内南側の壁面に並べられた顕彰板。
下の写真のように、数ある晴明の伝説のうち有名な10の物語が紹介されています。
家族で散策しながら子供達に読み聞かせていましたが・・・所々、読み間違えて妻の突っ込みを喰らっていました。
<<関連エントリー>>
式神・茨木童子等-京都府京都市・一条戻橋-
安倍晴明-安倍晴明神社-
渡辺綱-坐摩神社行宮-
葛乃葉姫-信太森神社-
晴明神社
場所:京都府京都市上京区晴明町806番地1
晴明神社公式ホームページ